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2008年2月29日 (金)

なぜ謝罪しないのか

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 そこで、彼らが頼りにするのは「言葉」となる。つまり、攻撃対象の人間から「私が悪かった」という言質を取る。そうすれば、大手を振って銃殺にできる。 
 だから文化大革命では糾弾集会にかけ、徹底的に吊し上げた。とにかく、相手を精神的に追い詰めて「自白」を取る。そうしなければ、中国では毛沢東のような権力者であっても、人ひとり殺せないのである。

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 もし、素直に罪を認めたとすれば、日本なら、よく正直に自白した、改悛の情があるといって罪一等を減じることもあるが、中国ではそんなことはありえない。
「そのとおりでございました、私は毛主席に背きました」「私はアメリカ帝国主義、資本主義の手先でございます」「日本のスパイでございます」
 だがこれは、最後まで自白しなければ、いくら情況証拠が揃っていても罪には問われないということである。少なくとも、死刑にすることはできない。せいぜい収容所に放り込んで、死んでくれるのを待つ、ということである。文化大革命のときに、毛沢東は何としても劉少奇を殺したかったのだろうが、彼は「罪」を自白しなかったので手が出せなかった。

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……この傾向が極端にまで進むと、いくら悪いことをやっていても、口先で「やっていない」と言い続ければ、中国人は誰も文句が言えなくなるわけである。
(岡田英弘)

 だから、毒餃子についてもしらを切り続けるはずだ、というわけです。
 目から鱗が落ちるとはこのことですね。
 しかし、あのシラの切り方は、それなりに見事ですね。岡田先生の言うように、中国は「言葉」の文化なのだ。「真心さえあれば言葉はどうでもいい」などというつもりでは、とんでもない目に遭う。こちらも言葉で対抗しなければいけないと思うのだけれど……
  警察庁の人が「看過できない」と言ったようだけれど、あれでは駄目だ。もっと偉い人が「報復するぞ」という意味のことを、ただし「報復」の語は使わないで上手に言わなければならない。
 しかし、そういう芸は日本人にはむつかしいだろう。中国四千年と対抗するのは大変だ。

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2008年2月27日 (水)

昔の英国の入学試験(2)

 コナン・ドイルは1875年、ガンジーの15年前に大学入学資格試験に合格している。
 ヘスキス・ピアソンのドイル伝では

 In his last year he edited the College magazine, and at the end of his time amazed everyone by taking honours in the London Matriculation.

  ストーニーハースト校の最終学年に彼は校内誌を編集し、最後にthe London Matriculationで優等の成績を取ってみんなを驚かせた。

 このthe London Matriculationは、ガンジーの伝記に出てきたa London University matriculationと同じものだろう。

  ジョン・ディクスン・カーのコナン・ドイル伝

……彼は、けんめいに身を震わせながら、他の十三人の少年といっしょに、ロンドン大学の試験を受けた。その結果をつつみこんだ小包郵便が、ものすごく暑い七月の一日、ロンドンから到着して、校長室へ運びこまれた。
……受験した十四人のうち十三人がパスし、ストーニーハーストはじまって以来の好成績だった……
……アーサーは、単にパスしたばかりでなく、実に優秀な成績でパスしたのである。

 大久保康雄氏は「ロンドン大学の試験」と訳している。
 しかし、ロンドン大学の入学試験ではない。ドイルは合格してエディンバラ大学に入学したのだから。

 ガンジーの場合も、合格はしたけれども大学に入学はしなかった。英語の力をつけるために、力試しに受けただけである。ガンジーはインナー・テンプル法曹学院に入学した。こちらは無試験である。法律の授業はなかった。学生の義務は授業料を払うことのほかに、1年に24回、学院の食堂で夕食を取ることだけだった。入学してから3年後に弁護士資格試験があったが、これはごく簡単なもので、よほどの馬鹿でなければ合格した。
 だから、ガンジーは暇を持て余していた。社交ダンスやバイオリンを習ったり、菜食主義を広める運動をしたり、英国人女性に誘惑されかかったりして、3年を過ごした。彼はヒンズー教の聖典、バガヴァット・ギーターを初めて(英訳で)読んだ。ガンジーが「マハトマ」への道を歩み始めるのは、南アフリカに渡ってからである。このころは、まだボンヤリした青年である。
 
  ガンジーが1890年に合格したときは、ラテン語、フランス語、物理(「光と熱」)の3科目だった。(なぜ数学は不要?)
 コナン・ドイルが1875年に合格したときの科目は、カーやピアソンによる伝記には書いてない。

 ロンドン(ユニバーシティ)マトリキュレーションは、だいたい「大学入学資格試験」と訳しておけばよいだろう。要するに

(1)競争試験ではなく資格試験
(2)ロンドン大学が出題し採点した。
(3)オックスフォードとケンブリッジ以外の大学の受験生用

 コナン・ドイルたちはロンドンまでで受験に出かけたのではなく、スコットランドのストーニーハースト校で試験を受け、答案をロンドン大学に送ったのだろう。
 カーのドイル伝で「その結果をつつみこんだ小包郵便」と書いているのは、採点した答案を小包で送ってきたということだ。
 当時は現在のセンター試験のような馬鹿な制度(廃止しろ!)はなかった。試験は完全な「記述式」だったはずだ。それでもロンドン大学で全国の試験ができたのは、志願者が少なかったからだろう。
 志願者が多くて競争試験になったのは、陸軍士官学校と海軍兵学校だった。そのための予備校がビジネスとして成立していたことは、モリアーティ元教授の職業(1)--(5)に書きました。

 1875年は明治8年である。このころ日本にはもちろん大学入試などなかった。大学の設立は明治10年になってからである。
 1890年は明治23年である。この年、夏目金之助(漱石)は帝国大学に入学している。(東京帝国大学と書くのはおかしい。大学はまだ一つしかない。)どういう試験を受けたか、漱石の伝記を読んでも書いてあるのを見たことがない。

 むかしはのんびりしていてよかった、ということです。

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2008年2月25日 (月)

昔の英国の入学試験(1)

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 1888年(明治21年)10月、19歳になったばかりのガンジー(モーハンダース・カラムチャンド・ガンディー)は、客船クライド号から英国サウサンプトンの港に降り立った。
 彼はロンドンのインナー・テンプル法曹学院で3年間勉強して、バリスター(法廷弁護士)の資格を取ってインドに帰るつもりだった。

 以下は『ガンディーと使徒たち』pp.126-127から。

  英国に来てから数ヶ月の間、ガンディーは学業にはあまり身を入れなかった。彼はインナー・テンプル法曹学院に学生として登録しただけで、ほかにはほとんど何もしなかった。しかし、ウェスト・ケンジントンの下宿を引き払ってからは、もう少し真剣に取り組むようになった。当時のインナー・テンプルでは学業はほとんど形式的なものだった。学生は標準的な教科書を何冊か読んで、三年後にコモン・ローとローマ法の二科目の試験に合格すればよかった。試験はごく簡単なもので、ほとんど全員が合格した。学生の義務は、このほかに授業料を払うことと「規定の学期間在学する」ことであった。学生は、自分の所属する学院で一学期に六度夕食を取れば在学したものと見なされた。夕食は実際に食べる必要はなく、所定の時間に正装して食卓に着き一時間ほど坐っておればよかった。卒業するためには十二学期間在学する必要があり、一年は四学期だった。試験に合格し規定の学期間在学した後、学生は紳士として法曹倫理規範に従うことを誓い、バリスターの資格を与えられた。

 ガンディーは、法律書に取りかかる前にまずもっと英語の力をつけなければならないと思った。それにローマ法の研究にはラテン語の初歩も必要だった。彼はオックスフォードかケンブリッジに入学することも検討してみた。しかし、インナー・テンプルに籍を置いたまま大学にも行けなくはなかったが、時間と金が足りなかった。彼はその代わりにロンドン大学の入学試験を受けることにした。これはアーメダバードの試験よりもはるかに難しかったから、彼は受験予備校に通った。一八九〇年一月、彼はラテン語、フランス語、化学の三科目の入学試験を受けた。この試験は不合格で、彼は六月に再試験を受けた。今度は化学の代わりに「熱と光」という科目(この方が易しかった)を取り、合格した。

この本は私が訳したのですが、第2段落に誤訳があります。「ロンドン大学の入学試験」というのが間違い。これは「ロンドン大学の入学資格試験」としなければならない。

 原文は
He therefore settled on a London University matriculation--a much more rigorous examination than the Ahmedabad one--and on a cram tutorial school to help him prepare for that.

  matriculationという単語は知っているつもりだったので、辞書を引かなかった。リーダーズプラス英和辞典を引いてみると

matriculation
大学入学[入会]許可, 入学式; 【英】 大学入学資格試験《現在は GCE に取って代わられた》

 とある。GCDを引くと

GCE
【英】General Certificate of Education(一般教育証明書[試験])全国的に行われる試験で, S level, A level とそれより低いO levelがあったが, O levelは廃止; 大学入学の資格を認定する

 この間違いには、ヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝を読んでいて気がついた。コナン・ドイルは1875年、ガンジーの15年前に大学入学資格試験に合格している。(続く)

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2008年2月22日 (金)

ゴルゴ13の狙撃銃(3)

 ゴルゴ13は1968年に小学館のビッグコミック誌に連載が始まり、いまだに現役で活躍しているのですね。さいとうたかお先生に励ましのお便りを出そう。

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 ゴルゴ13についてはずいぶん研究が進んでいる。
 ウィキペディアで「ゴルゴ13」を引くと、M16の狙撃銃としての使用の問題についても詳しく書いてある。以下引用

・現実のM-16について
  本来のM16は、軍用アサルトライフルである。狙撃銃としての精度は、大口径の銃・ボルトアクションライフルのほうが優れている。また「死者を出すよりも負傷者を増やすほうが、敵方へのダメージが大きい」という合理的理由により、殺傷能力は小さい(反面、携行弾数が多くなっている)。
  ただしM16はアサルトライフルとしては高精度である。遠距離狙撃には用いる事ができないが、100m程度の近距離狙撃には用いられる事もある。そのため特殊目的ライフル(Special Purpose Rifle)として、M16の狙撃銃型も存在する。
・作中でのM16の描写
  単純に任務を遂行する目的としては、M16がそぐわない事は、ゴルゴ13も承知の上である。しかしながらゴルゴ13はフリーランスの狙撃手であり、単純な狙撃をこなせばいいという訳ではなく、戦闘に突入する事も頻繁にある。よって、狙撃兼戦闘のための銃として、M16は最適の選択である。その意味をゴルゴは作中でAKシリーズを設計したカラシニコフに対して、「俺はワンマンアーミーだからだ」と一言で述べている。 (引用終わり)

「ゴルゴ13も承知の上である」と言うことだったのか。なるほど。
 しかし、ひとつ気になることがある。アサルトライフルって何だ?
 どうやら突撃銃assault rifleのことらしい。
 リーダーズプラス英和辞典で引いてみよう。

assault rifle
【軍】 突撃銃, アソールトライフル《大きな弾倉をもつ軍事用(半)自動ライフル; アソールトライフルタイプの民間人用の銃》.[G Sturmgewehr の訳; MP 44 に対し Hitler が命名]

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 assaultの発音はカタカナなら「アソールト」になるのは常識だと思うけれど、どうやら、アサルトライフルが定着してしまったようだ。
 詩人のRobert Browningは正しい発音でブラウニングと呼ぶが、
 有名な銃器設計者のJohn Browningはブローニングと呼ぶことになっているのと同じらしい。

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 私を起こしたのはライフルの安全装置を外す、カチャリという金属音でした。戦場にいる兵隊なら、たとえどれだけ深く眠っていようとも、その音を聞きのがすことはありません。それは何といいますか、特別な音なのです。それは死そのもののように重く、冷たいのです。私はほとんど反射的に、枕元に置いたブローニングに手をのばそうとしましたが、誰かにこめかみのあたりを靴底で蹴りあげられ、その衝撃で一瞬目が見えなくなりました。呼吸を整えてからうっすらと目を開けると、私を蹴ったらしい人間がかがみ込んで私のブローニングを拾い上げるのが見えました。ゆっくりと顔を上げると、二丁のライフルの銃口が私の頭に向けられていました。その銃口の向こうには蒙古兵の姿が見えました。
(間宮中尉)

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2008年2月21日 (木)

ゴルゴ13の狙撃銃(2)

 M16が狙撃銃には向かないことくらい、この本を読まなくても分かる?
  しかし、かのよしのりさんの本には、もう一歩奥がある。
  確かに軍隊ではM16(民間用としてはAR-15)を狙撃銃に使わないけれど、アメリカの警察では使っているところがあるという。

「警察の狙撃手は、人質を抱えている犯人の脳幹を撃ち貫かねばならない。距離は近いが、数センチの誤差しか許されない。……100メートルの距離で3センチ以内に撃ち込めるなら、人質の後ろから顔を半分だけ出している犯人の頭に命中させることもできる。」

「さて、ここにあるAR-15、一見どこにでもあるAR-15だが、口径5.56ミリではなく6ミリだ。223レミントン薬莢を口だけ広げて6ミリにしたものだ。……重くなったぶん、微妙に反動も大きくなってはいるのだが、銃身がヘビーバレルなので一般歩兵のM-16より反動による銃の動きは少ない。そして風の影響も少なくなっている。」

 かのよしのりさんは元自衛隊の銃器専門家で、火縄銃から中国軍の消音式サブマシンガンまで、ありとあらゆる銃を実際に撃っている。
 加えて文章がうまいのだから鬼に金棒である。

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「標的を狙う。100メートル離れた標的を数ミリの誤差で狙う。人間の体は生きている以上、静止しない。引き金を引こうとすると、数ミリ標準がずれる。狙いなおす。引き金を引こうとすると、また照準がズレる。しかし、射撃訓練をかさねてゆくうちにそのブレはだんだん小さくなってゆき、微妙にズレているときに引き金を引きはじめ、引き落とした瞬間に誤差が最小になっている。
 7.62ミリ弾の半分くらいの銃声がして、反動で銃がわずかに動く。
 たいていの銃は反動で銃が跳ね上がり、命中の瞬間の標的を射手自身がスコープを通してみることはできない。命中を確認してくれるのは観測手だ。
 だが、この銃は反動で跳ね上がらない。スコープのなかでターゲットから赤い液体が飛び散るのが見える。
 いや、ターゲットはスイカだったのだよ、ほんと。」

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2008年2月20日 (水)

ゴルゴ13の狙撃銃(1)

 昔、歩兵銃がボルトアクション銃であった時代には、歩兵銃のなかから精度のよいものを選んで狙撃銃にしていた。しかし、歩兵銃が自動銃になり、さらに突撃銃に変わっていくと、それを狙撃銃に利用することには無理があって、一般歩兵の銃とは、まったく別の狙撃銃が装備されるようになった。

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 漫画のゴルゴ13では、しばしばM16で狙撃が行われている。しかし、アメリカ軍のみならず、どこの軍隊でもこの種の軽量自動小銃を狙撃銃として使うことはない。弾が軽すぎて、300メートル以上の距離になると風に流されやすく、さらに遠くなると威力不足になってくる。遠距離狙撃には、やはりある程度重い弾を使わなくてはならないのだ。
(かのよしのり『鉄砲撃って100!』p.122)

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2008年2月18日 (月)

餃子と外務大臣

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と言うのだから、あきれるほかはない。
 中国当局筋も「調査の結果問題はなく中国側で混入したとは考えられない云々」と言っている。

 放置しておいてよいのか? 
 私が外務大臣ならば、早速に崔天凱駐日大使を外務省に呼びつけますね。

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 抗議の意志を伝えるために大使を呼ぶというのは、時々あることだ。
 今回は問題が問題だから、ふつうに呼びつけないで、ちょっと趣向を変えよう。
「本日はひろく日中関係全般について話し合いたいので、昼の十二時にご来駕いただきたい。粗餐を差し上げます」
 大臣室に来てもらって、昼飯に餃子を出すのですね。

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「お国の農業もだんだん発展してきたようで、結構なことですね。『農業は大塞に学べ』でしたか? これからも毛沢東思想の旗を高く掲げてがんばっていただきたい。私どもも及ばずながら応援させていただきます」

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 まさか砲艦を出すわけにも行かないし、21箇条の要求を突きつけるのも無理だし、これくらいしか手はないのでは?
 がんばれ、高村正彦

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2008年2月17日 (日)

天璋院様の

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 君を待つ間の姫小松……………
 障子の内で御師匠さんが二絃琴を弾き出す。「宜い声でしょう」と三毛子は自慢する。「宜いようだが、吾輩にはよくわからん。全体何というものですか」「あれ? あれは何とかってものよ。御師匠さんはあれが大好きなの。……御師匠さんはあれで六十二よ。随分丈夫だわね」六十二で生きているくらいだから丈夫と云わねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少し間が抜けたようだが別に名答も出て来なかったから仕方がない。「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。いつでもそうおっしゃるの」「へえ元は何だったんです」「何でも天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって」「何ですって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁にいった……」「なるほど。少し待って下さい。天璋院様の妹の御祐筆の……」「あらそうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の……」「よろしい分りました天璋院様のでしょう」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」「御嫁に行った」「妹の御嫁に行ったですよ」「そうそう間違った。妹の御嫁に入った先きの」「御っかさんの甥の娘なんですとさ」「御っかさんの甥の娘なんですか」「ええ。分ったでしょう」「いいえ。何だか混雑して要領を得ないですよ。詰るところ天璋院様の何になるんですか」「あなたもよっぽど分らないのね。だから天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって、先っきっから言ってるんじゃありませんか」「それはすっかり分っているんですがね」「それが分りさえすればいいんでしょう」「ええ」と仕方がないから降参をした。吾々は時とすると理詰の虚言を吐かねばならぬ事がある。
 

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2008年2月16日 (土)

女王か王妃か(4)

 続きです。要するに

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 まず、英国のチャールズさんの新しい奥さんカミラのことを「コーンウォール公爵夫人」と呼ぶのは、やはり間違いでしょう。
 duchessを反射的に公爵夫人としてはいけない。
 辞書にもちゃんと書いてあります。リーダーズプラス英和辞典

duchess
公爵 (duke) 夫人, 公妃; 女公爵, 《公国の》女公.
 
 カミラさんの場合、強いてどれかを選ぶとすれば、まあ公妃でしょう。
 しかし、夫のチャールズさんは日本式に言えば皇太子なので、妻が「公妃」では本当はおかしい。適切な訳語は「なし」なのだ。
 イギリスと日本では事情が違うのだから、仕方がない。

 もう一つの間違いは次の2箇所だった。
・カミラを女王にするべきかどうか

・彼女(ダイアナ)なら立派な女王になったことでしょう

もちろんQueen=女王であると思いこんでしまうのが、素人の間違いである。これは
ラッセル自伝の誤訳(1)--(5)で触れました。

 Queenには2種類ある。Queen regnantとQueen consortである。「統治するクィーン」と「配偶者たるクィーン」である。女王王妃ですね。
 現在のエリザベス女王や昔のヴィクトリア女王はQueen regnantである。古くはクレオパトラなどがQueen regnantだった。
 エリザベス女王が崩御されて、息子のチャールズさんが即位されるとKing Charlesになる。しかし現夫人のカミラさんはどうやらQueen Camillaにはならないらしい。
 仮にダイアナさんが離婚しないでチャールズ夫人のままなら、チャールズの即位と同時にQueen Dianaができていたはずだ。これはもちろん「ダイアナ女王」ではなく「ダイアナ王妃」ですね。
 
 しかし、次のような場合は、もちろん女王様でしょう。
(2008年10月28日付記。来日したカミラさんのことを政府は「コーンウォール公爵夫人」と呼んでいるようだ。厳密には間違いなのは女王か王妃か(1)(2)(3)(4)に述べてきた通り。しかし政府としては「Duchessの訳語は『なし』というわけにも行かないから、やむを得ないのでしょう。)

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2008年2月12日 (火)

女王か王妃か(3)

「女王か王妃か」の(1)と(2)を書いたのは昨年の10月だった。書きかけのまま放っておいたが、読んでくれる人はいて、「通りすがり」という人がコメントを寄せてくれた。
 このコメントが痛いところを突いているのですね。
 私は

「世襲の王」というのだけれど、世襲じゃない、たとえば選挙で選ばれる王なんているか?
 
 と書いたのだけれど、これが間違いだった。
 書いたあとで、そう言えば受験勉強で世界史をやったときに「選帝侯」というのがあったな、と思いだしたのだけれど、野暮用で忙しくて放っておいた。
 コメントに曰く

選挙王制のあった欧州の国を挙げれば、有名どころでは神聖ローマ帝国があります。
10世紀以降、ドイツ国王の選挙権をもつ聖俗諸侯の選挙により神聖ローマ皇帝(ドイツ国王)が選ばれる、という建前でした(のちにハプスブルク家から代々の皇帝が選ばれるようになります)。
で、いわゆる7選帝侯の1人にボヘミア王が挙げられております。
ボヘミア王は選帝侯による選挙、という制度が固まった14世紀頃には有力な諸侯でしたが、その後王統が移り変わり、15世紀に断絶します。

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「正統の王」について書いた箇所も、不適切であった。
正統-非正統をlegitimate-illegitimate としたのが間違い。
形容詞legitimateの第1の意味はOEDによれば、

Of a child: Having the status of one lawfully begotten; entitled to full filial rights. Said also of a parent, and of lineal descent.

であるから、legitimate-illegitimateは、嫡出-非嫡出になってしまう。
 なかなか、難しいものですね。
 続きは、明日。

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ボヘミア王フリードリヒ5世 (1596-1632)    

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赤福のアクセント

 しばらくブログを休んでいたので、ちょっとout of dateになってしまいましたが、赤福が再開したのはめでたいですね。
 もう少したつと売り切れもなくなるだろう。久しぶりに伊勢神宮に参拝して、帰りに五十鈴川のほとりで赤福を食べたいな。二箱くらい買って帰るのだ。

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 一時は毎日のようにテレビで「赤福の偽装が云々」とやかましかった。
 気になったのはアナウンサーの「アカフク」の発音である。アフクと、カの音を高く発音している。あれは間違いです。フラットなアクセントでなければならない。アフクなどという菓子は伊勢にはありません。
「赤福餅」と言うときにはアカフクの部分は平らに発音する。「アカフクモチ」と言うつもりで声を出して、「モチ」の部分は言わないで飲み込んでしまうと、正しい発音になるのだ。
 
 まあ、あづまえびすどもが間違った発音をするのはやむを得ないか。
 だいたい、あづまに赤福のような菓子があるか? せいぜいフーテンの寅さんの「とらやの団子」くらいだろう。
 

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2008年2月10日 (日)

紀元節

 平成20年は皇紀2668年にあたるそうです。知ってました? 神武天皇から数えて当今は125代目です。私は建国記念日関係の文書を英訳したので知りました。天皇陛下の「大御心」などという単語は辞書にないので弱った。

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 皇紀2600年は昭和15年(1940年)でした。このときは紀元節もさることながら、11月に奉祝式典が盛大に執り行われたそうです。

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紀元二千六百年式典ノ勅語

茲ニ紀元二千六百年ニ膺リ百僚衆庶相会シ之レカ慶祝ノ典ヲ挙ケ以テ肇国ノ精神ヲ昂揚セントスルハ朕深ク焉レヲ嘉尚ス
今ヤ世局ノ激変ハ実ニ国運隆替ノ由リテ以テ判カルル所ナリ爾臣民其レ克ク嚮ニ降タシシ宣諭ノ趣旨ヲ体シ我カ惟神ノ大道ヲ中外ニ顕揚シ以テ人類ノ福祉ト万邦ノ協和トニ寄与スルアランコトヲ期セヨ

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 ちなみに海軍戦闘機の零戦は、皇紀2600年に制式採用されたので「零式艦上戦闘機」という名称になったのだという。同年9月30日に中国戦線で初陣を飾った。翌年昭和16年12月8日の真珠湾攻撃には、九九式艦上爆撃機129機、九七式艦上攻撃機143機とともに零戦78機が参加した。

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