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2008年3月19日 (水)

推理小説の誤訳(3)

 再び古賀氏の文庫版まえがきから

「誤訳探しの旅はクリスティーに終わらなかった。その後シャーロック・ホームズものについては、クリスティーの数十倍の熱意をもって読み耽ったが、それはいわゆるシャーロッキアナ的な興味からであり(ただし、本業に負われ活字化は見送った)、誤訳の数については手許に記録がない。」

 誤訳探しの旅? 古賀先生は弁護士かと思ったら検事ですか――などというのはアンフェアだろう。使命感があるのだ。

 ホームズについては私も人様の翻訳をあれこれ批評するけれど、もっぱら「シャーロッキアナ的な」興味からである。新発見が楽しいからだ。もっとも我発見セリと思っていると、水野雅士氏などが先に見つけていることもある。土屋朋之氏などから気がつかなかったことを指摘されることもある。(今回も、笹野史隆氏のコナン・ドイル小説全集のことを教えていただいた。)いずれにせよ、「正典の読み方が変わる」ような間違いだけは見つけねばとは思っている。

 再び古賀氏まえがき
「グレアム・グリーンのほぼ全著作については、誤訳の記録が残っており、一冊当たりの誤訳平均15というのが相場であったが、なかには30前後に達するものもあった。推理小説に較べ比較的正確な訳文となっているのは、出版社が訳者の選定に慎重を期したためと思われる。」

 それでは、私もグレアム・グリーン訳の間違いを一つ。まず日本語だけ見てください。

 わたしは五十もすぎてから、母の葬式のときにはじめて叔母のオーガスタに会った。母は死んだ時おっつけ八十六になるところで、叔母は母より十一か十二若かった。……
(『叔母との旅』の第一章第一節の書き出し。早川書房グレアム・グリーン全集第22巻、昭和56年、小倉多加志訳)

 なんだか変でしょう? 
 私(ブログ筆者)も、母は健在だけど、母より十一か十二若い叔母がいる。この叔母と私が「私が五十もすぎてからはじめて会う」? 私が中国残留孤児だった、というような特殊な場合だけでしょう。叔母とは、私が赤ん坊、叔母が女学生で「はじめて会って」いる。こちらが覚えていないだけだ。
 原文はどうか

I met my Aunt Augusta for the first time in more than half a century at my mother's funeral. My mother was approaching eighty-six when she died, any my aunt was some eleven or twelve years younger.

 なあーんだ。
 for the first time in XX years=XX年ぶりに
 というのは受験勉強で確かに習ったはずだ。

○叔母のオーガスタとは、母の葬式のときに、五十数年ぶりに会った。
 
 グリーンのTravels with My Auntは20年くらい前に神保町の東京泰文社で買って(200円くらい)読んだ。つい最近、図書館でグレアム・グリーン全集を見つけて、開いてみたら劈頭から間違っているのだ。びっくりしたなあ。(私が図書館で見たグリーン全集は昭和56年版です。現在の版は直してあるかも知れない。そうだといいのだけど)
 古賀氏が名前の通り「正義」のために誤訳探しに乗り出したのも分かる。(続く)

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