ホームズとワトソンの拳銃(5)
1883年の事件『まだらの紐』では、ホームズがワトソンに拳銃を持たせて自分は丸腰で行くのだった。
これは1887年の『赤毛連盟』でも同じだった。
「……ただ今日が土曜なのが少々厄介だ。今晩、君の手を借りたい」
「何時だ?」
「十時に来てもらえればいい」
「じゃあ、十時にベーカー街へ行く」
「頼む。そしてね、少々危険があるかも知れないのだ。軍用拳銃(army revolver)をポケットへ忍ばせてきたまえ」
your army revolverと書いてある。アダムズ1872年型マークIIIということになるけれども、これは前述のようにとうていポケットに入れて携行できるものではない。困りますね。
ワトソンの筆はどうも細部が不正確なことが多い。ブジツ(武術)とバリツを取り違えたのではないかという話もあるし、自分がアフガニスタンで受けた戦傷の位置さえも不確かなのだ。この場合も、ホームズが言及し、ワトソンが実際に携行した拳銃は『まだらの紐』の際のウェブリーNo.2(「イーリーの2番」)なのだろう。事件のことを書いてストランド・マガジンに発表したのは1891年である。4年経つ間に食い違いが生じたのだ。
ワトソンがその夜ベーカー街へ行くと先客が二人いた。
「あ、来たね。これで人数はそろった」ホームズは私の姿を見ると、ピージャケットのボタンをかけ、棚から重い狩猟用の鞭を取った。「ワトソン、スコットランド・ヤードのジョーンズ君は知ってるね。じゃ、メリーウェザーさんを紹介しよう。今晩の冒険にお仲間入りを願ったのだ」
ホームズは狩猟用の鞭を武器にするつもりらしい。
そして4人で暗いところへ入って行くのですね。
真っ暗な中で待つことになった。
「大胆不敵な連中です。不意打ちを食わせるわけですが、それでも気をつけないとこちらが危ない。私はこの箱の後ろにいるから、諸君はそっちのに隠れてください。私が灯りを差し向けたら、すかさずとびだすこと。もし撃ってきたら、ワトソン、射殺してしまっても構わない」
私は拳銃の撃鉄を起こして、隠れている木箱の上に置いた。
「射殺してしまっても構わない」――こう書いてあるのです。原文は
If they fire, Watson, have no compunction about shooting them down.
光文社文庫
「もし発砲してきたら、ワトスン、遠慮なく撃っていいよ」
これは、訳として足りない。
新潮文庫
「もし向うが発砲したら、ワトスン君はかまわないから容赦なくうち倒していいよ」
この方がベターです。
shoot downをOEDで引いてみよう。
to shoot (a person) down: to kill by a shot (usually with suggestion of merciless cruelty or determination)
銃撃によって殺すこと(通常、容赦なく残酷にあるいは決然とという含意を伴う)
要するに「撃ち殺す」ことです。だからワトソンがcompunctionを持つ(良心の呵責を感ずる)かも知れないが、そんなことは無用だ、というのです。
実際に撃ち合いになったら、射殺するつもりで撃たないと危ない。一発で効かなければ二発三発と撃ってとどめを刺してもいいくらいだ。
もちろんホームズの活躍する事件では、そういう血なまぐさいことは起こるはずがなく、無事に済んだのでした。
この『赤毛連盟』の真似ではないかと思われるほどよく似た事件が、1910年に実際に起きています。この「ハウンズディッチ事件」では、警官4人、犯人2人の人死にが出ています。シャーロック・ホームズ文献の研究の訳注参照。
次はほかの事件で悪者が拳銃を持っていた場合を見てみよう。(続く)
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