「私はテーブルの上にある本を見ました。ドイツ語は知らなくても、二冊は科学の本、ほかのは詩集だと分かった。それから窓に寄ってみた。外に田園風景が見えるかと思ったのですが、樫の戸板に頑丈なかんぬきをかけて閉めてある。妙に森閑とした家でした。どこか廊下の方で古い柱時計が時を刻む大きな音がする。そのほかは死んだように静かだ。漠然たる不安が襲ってきました。このドイツ人どもは何者だろう。こんな人里離れたところに住んで何をしているのか。いったいここはどこだ? アイフォード駅からの距離は十マイルかそこらだ。それだけは分かっているけれど、北か南か、東か西か、まるで見当がつかない。いや、レディングだって、ほかの大きな町だって、十マイル圏内にはあるのだから、こう見えてもそれほど辺鄙なところではないかも知れん。しかし、これほど静かなのだから、田舎には違いない。I paced up and down the room, humming a tune under my breath to keep up my spirits and feeling that I was thoroughly earning my fifty-guinea fee.」
『技師の親指』からです。「私は……」といって話しているのは、水力工学技師のヴィクター・ハザリー氏であった。悪者はこいつで、ものすごく怖いことになるのでした。
しかし、英語のままにした箇所です。
古賀正義氏の『推理小説の誤訳』に、同書の元版が出た1983年の時点での翻訳が全部、大間違いであることが書いてある。(日経ビジネス人文庫版pp.112-116)
古賀氏のあげる間違い訳の例
×私は気力を引き立てるために、部屋のなかを歩きまわり、鼻歌を口ずさんだり、何はともあれ五十ギニーの報酬を手に入れる稼ぎ場所なのだと心につぶやいたりしました。
(大久保康雄)
×私はひっそり鼻歌をうたいながら部屋を行ったり来たりして、元気をつけようとしました。まるまる五十ギニーもうけるんだと思ったりしました。
(鈴木幸夫)
×ぼくは部屋のなかを行ったりきたりしながら、気をひき立たせるために鼻歌をうたったり、とにかくまるまる五十ギニーかせぐところなんだと考えてみたりしました。
(阿部知二)
×私は気を引き立たせるために、軽く鼻唄をうたったり、五十ギニ儲かるのだと思い出したりしながら、部屋のなかをあちこち歩きまわっておりました。(延原謙)
全員ダメだった。
この本は1983年にサイマル出版会から出たものの文庫化です。25年前に正典の翻訳が4種類入手できて、それが全部間違いだった。
古賀氏はこのあとで正解を書いています。
しかし、この本が出てから、さらに2種類の翻訳が出ているはずだ。どう訳してあるか見ておこう。
×わたしは部屋の中を行ったり来たりしながら、気持ちを引き立たせようと、鼻歌を歌ったり、五十ギニーの報酬がまるまる自分のものになることを考えていました。
(小林司・東山あかね)
×ぼくは部屋の中を行ったり来たりしながら、元気を出すために鼻歌を歌ったり、とにかく五十ギニー儲かるんだからと自分に言いきかせたりしました。
(日暮雅通)
なぜ6人が6人とも同じ間違いをするのだ? CIAの陰謀か。
古賀氏の正解
○(下線の部分のみ)五十ギニーという報酬をかせぐにふさわしいだけの十分な苦労をしているなあと感じながら……(五十ギニーという報酬をかせぐにはそれ相応の苦労がいるわいと感じました)。
そういうことです。なぜ間違ったかというとearnという単語の意味を正確につかんでいないためだ。
earn=かせぐ または earn=儲ける だと思っているのが大間違い。
古賀氏はC.O.DとO.E.D.(Oxford English Dictionary)の定義を引いて懇切丁寧に説明している。これをここに写そうと思ったがやめた。本を買って読んでください。
ただ、私は、古賀氏が読者の水準を高く見積もりすぎているのではないかと思う。説明してもらっても分からない人が多いだろう。
ひょっとして訳者の中にも「どうして私の訳で間違いなの?」などと言って首をひねる人がいるんじゃなかろうか?
25年前にこれが出たのに、ショックを受けて訳文を改定した人もいないようだし、新しく訳す人も恬淡として同じ間違いを繰り返しているのだもの。
私自身は誤訳指摘にはそれほど興味はない。関心はシャーロック・ホームズ学にあるので、翻訳はどうせ間違いがあるだろうと思っているから。
でも、こういう初歩的な間違いを見ていると嫌になってくるね。どうも予備校の教師をしていたころのことを思い出す。気の利いた受験生なら、こういう間違いはしません。
古賀氏がC.O.D.やO.E.D.を引いてみせたのは説明のためである。
自分で読むときは辞書なんか引かなくても自然に「やれやれ、五十ギニー稼ぐとなると大変だなあ云々」というような意味が頭に浮かぶはずである。不肖私だって同じだ。そういう風に読めなければ、洋書を読む意味はない。
読めない人に翻訳をする資格はない。
全員、豆腐の角に頭をぶつけて死んでいただきたい。
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