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2008年3月29日 (土)

柔道か柔術か(12)

ミュージックホールのレスリング



バーナード・ショー『バーバラ少佐』第2幕

救世軍ウェストハム宿泊施設。1月の寒い朝。25歳の乱暴者ビル・ウォーカーと46歳だが貧乏やつれで老人に見えるピーター・シャーリーが口論している。

ビル 俺を怒らせるなよ。殴られたくねえだろ。
シャーリー ふん。女を殴ったら次は年寄か? 若い男は相手にできんのか。
ビル 何をぬかす。さっき、ここに若いやつがいたじゃねえか。殴っただろう。
シャーリー へっ、あれが男か。飢え死にしかけの浮浪者だぞ。お前、わしの娘婿の弟が殴れるか。
ビル 誰だ、そいつは。
シャーリー ボールズポンドのトッジャー・フェアマイルっていうんだ。ミュージックホールで20ポンドせしめたんだぞ。日本人のレスラーと17分4秒も戦ったんだぞ。
ビル 俺はミュージックホール・レスラーじゃねえ。そいつ、ボクシングはできるのか。
シャーリー できるさ。お前はできねえだろう。

 まだ口論は続くが、「日本人のレスラーと17分4秒も戦った」男の話を持ち出されて乱暴者はすっかりおとなしくなってしまう。

 バーナード・ショーの『バーバラ少佐』が初演された1905年には、ミュージックホール・レスラーというものがあったことが分かる。
 ミュージックホールは音楽堂ではない。酒も出す大衆演芸場である。そこで試合をするのがミュージックホール・レスラーである。レスラー同士戦い、飛び入りの力自慢の挑戦も受けて立った。
 その一人にものすごく強い日本人のレスラーがいた。素人がレスラーに挑戦する場合、「勝てば何ポンド」という懸賞試合になるが、この日本人に限っては「15分以上ギブアップしないで戦えば20ポンド」という条件だった。
 この日本人レスラーはタニ・ユキオという名前だったらしい。(続く)

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2008年3月24日 (月)

ホームズとワトソンの拳銃(7)

「尻ポケットさえあれば何か詰まっていますよ」
 とレストレードが言ったのはバスカヴィル家の犬の事件だった。
 しかし、拳銃を入れるのはズボンの後ろのポケットなのですね。『まだらの紐』でワトソンが拳銃をポケットに入れて持って行ったけれど、私は漠然と上着のポケットかと思っていた。でも考えてみれば、小型拳銃でも1キロぐらいの重さはある。上着が垂れ下がってはちょっと具合が悪い。

 ところでバスカヴィル家の犬の事件はいつのことか? ベアリング=グールドによると、1888年9月25日から10月20日のことだという。本当だろうか? ホームズもワトソンもちょっと忙しすぎるような気がするけれど。
 
「君の方法を研究するのもこれが最後になるよ。ミス・モースタンが僕との結婚を承諾してくれたのだ」
「そんなことになるのじゃないかと思っていた。僕はおめでとうとは言わないよ」
 という対話は、1888年9月21日にかわされたのだそうです。
 ホームズとワトソンが二人そろって発砲し、宝物は手に入れそこなったけれど、ワトソンは妻を得た。そしてホームズには「コカインがあるさ」というのだった。
 これが9月21日金曜日のことであった。
 週があけて火曜日、9月25日の朝食のときに
「いつもは朝寝坊のシャーロック・ホームズ君が、もうテーブルについていた」とワトソンは言う。
 メアリ・モースタンと婚約はしたけれど、挙式となると色々準備もある。昔のことだから、すぐに同棲を始めるというわけにも行かない。ワトソンがまだベーカー街にいる間に次の事件が始まってしまった。「これが最後」どころか!

 ステッキの忘れ物があって

To James Mortimer, M.R.C.S., from his friends of the C.C.H. 1884

 と彫ってある。ジェームズ・モーティマーとはどういう人物か?

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 この発端は割合のんびりしているけれども、ワトソンはすぐにダートムアへ行くことになってしまう。事件が解決してロンドンへ戻ってこれたのは10月も下旬になってからである。メアリ・モースタン嬢は放っておいたのですね。大変な危険があったのだから、やむを得ないのだ。

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チベット族は毛主席のご長寿を祝った

7419
聳え立つヒマラヤ山よ
とうとうと流れるヤルタンブ河よ
私達の思いは山より高く、海より深い
毛主席のご恩は永遠に忘れられない
毛沢東思想の光に照らされて
私たちの心は明るく輝く
百万の農奴は中国共産党に従って
新しいチベットの建設に励む
偉大な指導者毛主席のご健康を祝って
いついつまでも歌おう

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2008年3月22日 (土)

ホームズとワトソンの拳銃(6)

 ホームズとワトソンが二人そろって拳銃を持って行った事件はいくつ記録されているだろうか?
 まず四人の署名がありました。ベアリング=グールドによると、この事件は1888年9月18日(火)から21日(金)のことだという。
 ワトソンは古い軍用制式拳銃を持って行き、ホームズも自分の拳銃を携行した。
 1880年6月27日のマイワンの戦いでは、ワトソンは制式拳銃アダムズ1872年型マークIIIをホルスターに入れて腰に帯びていたはずだ。
 
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  ロンドンではちょっとホルスターは使えない。といってポケットには入らない。どうやって持って行ったのだろう? 
 高倉健なら白鞘の日本刀をさりげなく風呂敷に包んで行くところだけれど、昔のイギリスに風呂敷はなかった。たぶんむき出しで持って行ったのでしょうね。
 ホームズの方はポケットに入るくらいの小型拳銃だったと思う。何とも書いてないけれど。
 ワトソンはアフガニスタンで「凶悪なイスラム戦士murderous Ghazis」を相手にした(もちろんアフガン側から見れば英印軍が「凶悪なキリスト教軍団」だった)。
 だから、0.45口径、すなわち100分の45インチ(11.4mm)という大口径の拳銃を用いた。アフガン人は強かったから、それでも威力不足だったのかも知れない。1880年8月からはさらに大きな0.467口径のエンフィールド・マークI拳銃が導入された。
 ホームズの方は、ロンドンで文明人を相手にしておればよいから、そんなに大きな拳銃は要らない。0.38口径くらいの小型拳銃だったはずです。
 ともかく、このときは二人で同時に発砲して、少なくとも一発は当たったのだった。

 ホームズとワトソンとレストレードの三人がそろって拳銃を持って行ったのは?

「武器の支度は? レストレード君」
 小柄な探偵はにやりと笑った。
「ズボンさえ履いていれば尻ポケットがあり、尻ポケットさえあれば何か詰まっていますよ」
「結構。僕たち二人もいざというときの備えはしている」

 これは何という事件でしょうか?

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2008年3月21日 (金)

アメリカのお役人

……しかし、政府がサービスのオンライン化を進めるについては、これとは少しく異なった動機もあると思います。金銭と時間の節約ということが大きいのです。政府はより効率的、効果的になる必要があるとは誰もが言うことです。アメリカの政府では耳にタコができるほど聞かされるフレーズがあります。"You need to do more with less." というのですが、日本にもこれに相当するフレーズがあるはずだと思います。いかがでしょうか? 

 アメリカ政府の官僚が日本でした講演の一部です。私が翻訳しました。だいぶ前の話だし、これくらいなら引用してもよいでしょう。
 しかし
You need to do more with less.
 を私は訳さなかった。
「日本にもこれに相当するフレーズがあるはず」とおっしゃるが、ないのだもの、訳せません。仕方がない。

 逆に日本の官僚がアメリカで講演して
「私どもはよく『期末に予算を残してどうする? マッサージチェアでも買っておけ』ということを申しますが、アメリカでも同じような言い方があるものと存じます」
 と言うとする。どう英訳するか? むつかしいですね。

「道路特定財源」をどう翻訳するか? 英辞郎には何種類も訳が出ている。

earmarked funds for road improvement // financial resources that are exclusively set aside for road construction // revenue for road construction // revenue sources set aside for road construction // revenues earmarked for road construction // road-use taxes legislated for road construction // tax revenues for road projects // taxes collected specifically to pay for highway construction

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2008年3月20日 (木)

推理小説の誤訳(4)完

 古賀正義氏まえがき続き
「……同じく東大英文科で教鞭をとり、英文学のカテゴリーを超えて戦後著名文化人の第一人者であった故中野好夫氏の『ローマ帝国衰亡史』(ギボン)も、一、二巻に関する限り、誤訳が少なからず、そのため索漠たる読後感が残るのは残念である。」

 ほんとだろうか? ショックだなあ。ギボンは難しそうだから、中野訳があるなら訳で読もうと思っていたのに。
 私は中野好夫訳のモームを英和対訳にしたのを何冊も読んだことがある。間違いは一つだけ気がついた。her second marriageを「あの女は後妻だから云々」と訳したのは、筆が滑ったのだろう。そのほかは正に達人の技で「凄すぎて真似はできない」と思ったものだ。
 晩年は衰えたのか? 淮陰生の名前で出した『一月一話』は面白かったけれど。分からん。

 古賀氏曰く
「推理小説だけなら、文学の周辺に位置するものとして、軽視することもできよう。しかし、一流の学者が一流の文学、史学、哲学、経済学、法学等の分野で同じような誤りを冒しているとすれば、明治以後の輸入文化は欠陥品、ないし当今流行の表現を使えば偽装品を含んでいたのではないかという深刻な反省を迫られることになろう。」

「同じような誤りを冒しているとすれば」は仮定だけれど、どうも実際にそうらしい。別宮貞徳氏の誤訳指摘本を見ると、そうらしい。

 ただ、古賀氏の本には、別宮氏の本と違って「あっと驚くタメゴロー」的な派手な間違いの指摘がない。あるいは「細かい文法ばかり突っついて……」と言う人がいるかも知れない。
 別宮先生の『特選誤訳迷訳欠陥翻訳』(pp.145-6) によると、古賀氏が1983年に「別宮氏の訳書にも多数の誤訳を見つけた」と言い、朝日新聞が鬼の首を取ったように記事にしたらしい。
 
 
  別宮氏は古賀氏に問題の訳書『イヴリン・ウォー作品集』のどこが誤訳かを尋ねる手紙を出し、古賀氏が丁重に返事して22箇所の誤訳を指摘した。
 別宮先生曰く
「この中で、訳語についての感覚の差、原文の解釈の相違を除き、たしかにこちらの誤りと認められたのは十三である。われながらずいぶん呆れた誤訳で、どうしてこんなバカなことをと思うのだが、それが翻訳の恐ろしさで、うっかりだの、思いこみだの、考えちがいだの、いずれ『誤訳辞典』の続編に(出れば、だが)収録するつもりでいる。……少なくともぼくは、ひとがそれくらいのミスをおかしていても責める気にはなれないし、責めたこともない。まして訳者名を公にすることなど考えも及ばない」

『推理小説の誤訳』という本に限れば、古賀氏がここで誤訳でないものを誤訳扱いしているとは思わない。ただ、古賀氏の基準は少々厳しすぎるきらいがないでもない。
 寅さんに「それを言っちゃあ、おしめえだよ」という台詞がありますね。
 古賀氏に対して「じゃあ、あなたも一度翻訳をしてみたらどうですか? むつかしさが分かりますよ」と言うのは、やはり禁じ手でしょうね。
 ただ、翻訳の恐ろしさは、やってみないと分からない。別宮先生ほどの人でも、「うっかりだの、思いこみだの、考えちがいだの」で間違いをしてしまうのだ。況や我々に於いてをや。
 
 結論
・誰でも間違うことはある。
・しかし、間違いにも「程度がある」。
・間違いをチェックする体制がないのが一番の問題だ。

 古賀氏の本も「間違いチェック」の一種だけれど、シャーロック・ホームズの例のようにチェック機能は働いていないようだ。だからしつこく取り上げたのです。

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2008年3月19日 (水)

推理小説の誤訳(3)

 再び古賀氏の文庫版まえがきから

「誤訳探しの旅はクリスティーに終わらなかった。その後シャーロック・ホームズものについては、クリスティーの数十倍の熱意をもって読み耽ったが、それはいわゆるシャーロッキアナ的な興味からであり(ただし、本業に負われ活字化は見送った)、誤訳の数については手許に記録がない。」

 誤訳探しの旅? 古賀先生は弁護士かと思ったら検事ですか――などというのはアンフェアだろう。使命感があるのだ。

 ホームズについては私も人様の翻訳をあれこれ批評するけれど、もっぱら「シャーロッキアナ的な」興味からである。新発見が楽しいからだ。もっとも我発見セリと思っていると、水野雅士氏などが先に見つけていることもある。土屋朋之氏などから気がつかなかったことを指摘されることもある。(今回も、笹野史隆氏のコナン・ドイル小説全集のことを教えていただいた。)いずれにせよ、「正典の読み方が変わる」ような間違いだけは見つけねばとは思っている。

 再び古賀氏まえがき
「グレアム・グリーンのほぼ全著作については、誤訳の記録が残っており、一冊当たりの誤訳平均15というのが相場であったが、なかには30前後に達するものもあった。推理小説に較べ比較的正確な訳文となっているのは、出版社が訳者の選定に慎重を期したためと思われる。」

 それでは、私もグレアム・グリーン訳の間違いを一つ。まず日本語だけ見てください。

 わたしは五十もすぎてから、母の葬式のときにはじめて叔母のオーガスタに会った。母は死んだ時おっつけ八十六になるところで、叔母は母より十一か十二若かった。……
(『叔母との旅』の第一章第一節の書き出し。早川書房グレアム・グリーン全集第22巻、昭和56年、小倉多加志訳)

 なんだか変でしょう? 
 私(ブログ筆者)も、母は健在だけど、母より十一か十二若い叔母がいる。この叔母と私が「私が五十もすぎてからはじめて会う」? 私が中国残留孤児だった、というような特殊な場合だけでしょう。叔母とは、私が赤ん坊、叔母が女学生で「はじめて会って」いる。こちらが覚えていないだけだ。
 原文はどうか

I met my Aunt Augusta for the first time in more than half a century at my mother's funeral. My mother was approaching eighty-six when she died, any my aunt was some eleven or twelve years younger.

 なあーんだ。
 for the first time in XX years=XX年ぶりに
 というのは受験勉強で確かに習ったはずだ。

○叔母のオーガスタとは、母の葬式のときに、五十数年ぶりに会った。
 
 グリーンのTravels with My Auntは20年くらい前に神保町の東京泰文社で買って(200円くらい)読んだ。つい最近、図書館でグレアム・グリーン全集を見つけて、開いてみたら劈頭から間違っているのだ。びっくりしたなあ。(私が図書館で見たグリーン全集は昭和56年版です。現在の版は直してあるかも知れない。そうだといいのだけど)
 古賀氏が名前の通り「正義」のために誤訳探しに乗り出したのも分かる。(続く)

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2008年3月17日 (月)

推理小説の誤訳(2)

 古賀正義氏の『推理小説の誤訳』は、A Dictionanry of Mistranslated Mysteriesという副題がついている。
 本当に辞書なみに網羅的なのだ。主としてアガサ・クリスティーのミステリから万遍なく誤訳を見つけ出している。

『オリエント急行の殺人』なんて5種類の翻訳が出ていて、全部チェックしたらしい。

 文庫版まえがき
「本書で取り上げた材料は、アガサ・クリスティーの推理小説を中心とする何の変哲もない平易な英文である。この作業を進めながら驚いたのは、誤訳があまりに多いことであった。文庫本一冊につき、平均50位の誤りがあり、20,30は上の部、100を越えて下の部に属するというのが大体の感想であった。」

 私もクリスティーは以前に40冊くらいまとめて読んだことがあるけれど、ほんとに「何の変哲もない平易な英文」である。どうしてそんなに間違えるのか不思議だ(ケアレスミスの一つや二つは誰でもするけれど)。引用を続けると

「推理小説は緻密な論理によって筋が展開され、読者は著者が設定した推理の過程を辿ることに楽しみを見いだすものである。しかるに誤訳はしばしば論理の崩壊――矛盾・撞着――につながりかねず、著者の努力を無にし、読者の喜びを奪う結果になる。このようにして誤訳は論理を生命とする推理小説の敵となるのである。」

 ほんとにその通り。出版社に「金返せ」と苦情が来ないのが不思議だ。
 翻訳も「製造物」である。いや、これはちょっと不正確か、ともかく商品なのだから、欠陥商品なら問題が生じる。だから、産業翻訳では必ず訳文をチェックする。(翻訳の馬鹿防止でちょっと触れました。)
 チェック以前に翻訳者の選定に気をつける。翻訳会社が「トライアル」をして翻訳者を選ぶのだ。短い英文和訳と、場合によって和文英訳をさせる。(英語を読むのはできても、書くとなると大変なので、英文和訳専門の翻訳者が多い。)。
 私もトライアルを受けたし、ある翻訳会社のトライアルの出題と採点をしているが、どこを見るかというと、要するに英文法がちゃんと頭に入っているかどうかである。

 たとえば、本書p.100

I was just a shade nervous of Mrs. Flemming's receptions, but hoped my appearance might have a sufficiently disarming effect. (クリスティーのThe Man in the Brown Suit)

×フレミング夫人がどう思うか、いささか心配になったが、私としては、なるべく目立たないように見えたらいいと、思っていたのである。(向後英一)

×フレミング夫人が自分をどう迎えてくれるかが一番気になってきて、どうか自分がしおらしくてこのましい印象を与えますようにと祈った。(桑原千恵子)

△突然行ってフレミング夫人がどう思うかと考えると、不安な気持がないでもなかったが、きっとこの外観を見ればむこうさまだって腹立たしい気は起きなかろう、と私は思ったのである。(赤冬子)

○(下線の部分のみ)私の身装(みなり)を見れば、夫人の反感もやわらぐかもしれないと思った(わたしの(みすぼらしい)外観が夫人の敵意をやわらげる効果を十分発揮するかもしれないと思った)。

Armは武器であり、disarmは"武装を解除させる"という動詞であり、disarmingはこれから来た形容詞である。C.O.D.はdisarmにpacify hostility or suspicion of (~の敵意または疑念を和らげる)という定義を与え、これからdisarmingという形容詞ができたと説明している。(ここまで古賀氏。後略)

 間然するところのない説明である。私が英文法というのはこういうことです。
 かならずしもC.O.D.を引く必要はない。disarmは他動詞で原義は「武装解除する」、転じて「敵意を和らげる」、したがってdisarmingは「相手の敵意を和らげるような」という意味だ――と頭が働いて訳文が出てくるのでないと困る。当てずっぽうに訳してもらっては危ないのだ。
 上の3氏のような訳しぶりでは、契約書や財務諸表やマニュアルならお客さんから苦情が出るのは必定である。私なら絶対に翻訳者として採用しない。
 推理小説の場合はどうか。この部分をどう訳しても全体に大して影響はないようにも思える。しかし、こういう間違いが50も100もあれば、ボディーブローのように効いてくるのだ。「推理小説の敵となる」というのは、そういうことだ。

 古賀氏はクリスティーのほかにシャーロック・ホームズやグレアム・グリーンも訳文を検討したのだという。(続く)

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2008年3月15日 (土)

推理小説の誤訳(1) 技師の親指の場合

「私はテーブルの上にある本を見ました。ドイツ語は知らなくても、二冊は科学の本、ほかのは詩集だと分かった。それから窓に寄ってみた。外に田園風景が見えるかと思ったのですが、樫の戸板に頑丈なかんぬきをかけて閉めてある。妙に森閑とした家でした。どこか廊下の方で古い柱時計が時を刻む大きな音がする。そのほかは死んだように静かだ。漠然たる不安が襲ってきました。このドイツ人どもは何者だろう。こんな人里離れたところに住んで何をしているのか。いったいここはどこだ? アイフォード駅からの距離は十マイルかそこらだ。それだけは分かっているけれど、北か南か、東か西か、まるで見当がつかない。いや、レディングだって、ほかの大きな町だって、十マイル圏内にはあるのだから、こう見えてもそれほど辺鄙なところではないかも知れん。しかし、これほど静かなのだから、田舎には違いない。I paced up and down the room, humming a tune under my breath to keep up my spirits and feeling that I was thoroughly earning my fifty-guinea fee.」

『技師の親指』からです。「私は……」といって話しているのは、水力工学技師のヴィクター・ハザリー氏であった。悪者はこいつで、ものすごく怖いことになるのでした。

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 しかし、英語のままにした箇所です。

 古賀正義氏の『推理小説の誤訳』に、同書の元版が出た1983年の時点での翻訳が全部、大間違いであることが書いてある。(日経ビジネス人文庫版pp.112-116)

 古賀氏のあげる間違い訳の例

×私は気力を引き立てるために、部屋のなかを歩きまわり、鼻歌を口ずさんだり、何はともあれ五十ギニーの報酬を手に入れる稼ぎ場所なのだと心につぶやいたりしました。
(大久保康雄)

×私はひっそり鼻歌をうたいながら部屋を行ったり来たりして、元気をつけようとしました。まるまる五十ギニーもうけるんだと思ったりしました
(鈴木幸夫)

×ぼくは部屋のなかを行ったりきたりしながら、気をひき立たせるために鼻歌をうたったり、とにかくまるまる五十ギニーかせぐところなんだと考えてみたりしました
(阿部知二)

×私は気を引き立たせるために、軽く鼻唄をうたったり、五十ギニ儲かるのだと思い出したりしながら、部屋のなかをあちこち歩きまわっておりました。(延原謙)

 全員ダメだった。
 この本は1983年にサイマル出版会から出たものの文庫化です。25年前に正典の翻訳が4種類入手できて、それが全部間違いだった。
 古賀氏はこのあとで正解を書いています。
 しかし、この本が出てから、さらに2種類の翻訳が出ているはずだ。どう訳してあるか見ておこう。

×わたしは部屋の中を行ったり来たりしながら、気持ちを引き立たせようと、鼻歌を歌ったり、五十ギニーの報酬がまるまる自分のものになることを考えていました
(小林司・東山あかね)

×ぼくは部屋の中を行ったり来たりしながら、元気を出すために鼻歌を歌ったり、とにかく五十ギニー儲かるんだからと自分に言いきかせたりしました。
(日暮雅通)

 なぜ6人が6人とも同じ間違いをするのだ? CIAの陰謀か。

 古賀氏の正解

○(下線の部分のみ)五十ギニーという報酬をかせぐにふさわしいだけの十分な苦労をしているなあと感じながら……(五十ギニーという報酬をかせぐにはそれ相応の苦労がいるわいと感じました)。

 そういうことです。なぜ間違ったかというとearnという単語の意味を正確につかんでいないためだ。
 earn=かせぐ または earn=儲ける だと思っているのが大間違い。
 古賀氏はC.O.DとO.E.D.(Oxford English Dictionary)の定義を引いて懇切丁寧に説明している。これをここに写そうと思ったがやめた。本を買って読んでください。

 ただ、私は、古賀氏が読者の水準を高く見積もりすぎているのではないかと思う。説明してもらっても分からない人が多いだろう。
 ひょっとして訳者の中にも「どうして私の訳で間違いなの?」などと言って首をひねる人がいるんじゃなかろうか?
 25年前にこれが出たのに、ショックを受けて訳文を改定した人もいないようだし、新しく訳す人も恬淡として同じ間違いを繰り返しているのだもの。

 私自身は誤訳指摘にはそれほど興味はない。関心はシャーロック・ホームズ学にあるので、翻訳はどうせ間違いがあるだろうと思っているから。
 でも、こういう初歩的な間違いを見ていると嫌になってくるね。どうも予備校の教師をしていたころのことを思い出す。気の利いた受験生なら、こういう間違いはしません。
 古賀氏がC.O.D.やO.E.D.を引いてみせたのは説明のためである。
 自分で読むときは辞書なんか引かなくても自然に「やれやれ、五十ギニー稼ぐとなると大変だなあ云々」というような意味が頭に浮かぶはずである。不肖私だって同じだ。そういう風に読めなければ、洋書を読む意味はない。
 読めない人に翻訳をする資格はない。
 全員、豆腐の角に頭をぶつけて死んでいただきたい。

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2008年3月14日 (金)

ホームズとワトソンの拳銃(5)

 1883年の事件『まだらの紐』では、ホームズがワトソンに拳銃を持たせて自分は丸腰で行くのだった。
 これは1887年の『赤毛連盟』でも同じだった。

「……ただ今日が土曜なのが少々厄介だ。今晩、君の手を借りたい」
「何時だ?」
「十時に来てもらえればいい」
「じゃあ、十時にベーカー街へ行く」
「頼む。そしてね、少々危険があるかも知れないのだ。軍用拳銃(army revolver)をポケットへ忍ばせてきたまえ」

 your army revolverと書いてある。アダムズ1872年型マークIIIということになるけれども、これは前述のようにとうていポケットに入れて携行できるものではない。困りますね。
 ワトソンの筆はどうも細部が不正確なことが多い。ブジツ(武術)とバリツを取り違えたのではないかという話もあるし、自分がアフガニスタンで受けた戦傷の位置さえも不確かなのだ。この場合も、ホームズが言及し、ワトソンが実際に携行した拳銃は『まだらの紐』の際のウェブリーNo.2(「イーリーの2番」)なのだろう。事件のことを書いてストランド・マガジンに発表したのは1891年である。4年経つ間に食い違いが生じたのだ。

 ワトソンがその夜ベーカー街へ行くと先客が二人いた。

「あ、来たね。これで人数はそろった」ホームズは私の姿を見ると、ピージャケットのボタンをかけ、棚から重い狩猟用の鞭を取った。「ワトソン、スコットランド・ヤードのジョーンズ君は知ってるね。じゃ、メリーウェザーさんを紹介しよう。今晩の冒険にお仲間入りを願ったのだ」

 ホームズは狩猟用の鞭を武器にするつもりらしい。
 そして4人で暗いところへ入って行くのですね。

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 真っ暗な中で待つことになった。
「大胆不敵な連中です。不意打ちを食わせるわけですが、それでも気をつけないとこちらが危ない。私はこの箱の後ろにいるから、諸君はそっちのに隠れてください。私が灯りを差し向けたら、すかさずとびだすこと。もし撃ってきたら、ワトソン、射殺してしまっても構わない」
 私は拳銃の撃鉄を起こして、隠れている木箱の上に置いた。

 「射殺してしまっても構わない」――こう書いてあるのです。原文は

If they fire, Watson, have no compunction about shooting them down.

 光文社文庫
「もし発砲してきたら、ワトスン、遠慮なく撃っていいよ」
 これは、訳として足りない。
 新潮文庫
「もし向うが発砲したら、ワトスン君はかまわないから容赦なくうち倒していいよ」
 この方がベターです。

 shoot downをOEDで引いてみよう。
 
to shoot (a person) down: to kill by a shot (usually with suggestion of merciless cruelty or determination) 
銃撃によって殺すこと(通常、容赦なく残酷にあるいは決然とという含意を伴う)

 要するに「撃ち殺す」ことです。だからワトソンがcompunctionを持つ(良心の呵責を感ずる)かも知れないが、そんなことは無用だ、というのです。
 実際に撃ち合いになったら、射殺するつもりで撃たないと危ない。一発で効かなければ二発三発と撃ってとどめを刺してもいいくらいだ。
 もちろんホームズの活躍する事件では、そういう血なまぐさいことは起こるはずがなく、無事に済んだのでした。
 
 この『赤毛連盟』の真似ではないかと思われるほどよく似た事件が、1910年に実際に起きています。この「ハウンズディッチ事件」では、警官4人、犯人2人の人死にが出ています。シャーロック・ホームズ文献の研究の訳注参照。

 次はほかの事件で悪者が拳銃を持っていた場合を見てみよう。(続く)

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2008年3月12日 (水)

ホームズとワトソンの拳銃(4)

『まだらの紐』では、ホームズがこう言うのだった。

I should be very much obliged if you would slip your revolver into your pocket. An Eley’s No. 2 is an excellent argument with gentlemen who can twist steel pokers into knots.
ポケットにピストルを忍ばせていってくれるとありがたいな。イーリーの2番なら、鋼鉄の火掻き棒をひん曲げてしまう相手にも、説得力があるだろう。
 
 ワトソンが持っているアダムズ1872年型マークIIIモデルはどういう拳銃か? 0.45口径、6連発であるが、重さは弾を込めないで1.1kg、長さは28.6cmもあるのだ。

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 これをポケットに入れて(あとは歯ブラシだけ持って)サリー州まで行けばよろしい、なんてことをホームズが言うか?
 ワトソンは古い軍用拳銃のほかに、もう少し小型の拳銃を手に入れていて、そのことをホームズが知っている、と考えるのが自然だろう。
 その小型の拳銃を仮にイーリーの2番という弾薬の名前で呼んでいるのだ。
 イーリーの2番というのはどういう弾薬か? これを調べればよろしい。
 ところが調べてみると、1880年代のイーリー社のカタログにNo.2という拳銃用の弾薬はない----これを自分で発見したのなら偉いのだけれど、そうではない。調べた人は別にいて、私はそれを見ただけです。Stanton O. Bergというアメリカ人が
 THE FIREARMS - SAFETIES of SHERLOCKIAN - VICTORIAN LONDONを書いている。http://hometown.aol.com/forensicb/Holmes1.html

 このBerg氏によると、ウェブリー社にNo.2という拳銃があり、これがイーリー社の弾薬を使う。0.38口径と0.45口径があり、銃身は2インチと短い。

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 この「ウェブリーの2番」を、やや不正確であるが「イーリーの2番」と呼んだのではないか、というのがBerg氏の意見である。これなら確かにポケットに忍ばせて行くことができる。
 ウェブリー社は軍用拳銃のメーカーとしても有名で、同社のマークVIリボルバーは実に1887年から1963年まで英陸軍の制式だった。(まだ何回か続きます。「愛国的頭文字」にも触れる必要があるし)

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2008年3月10日 (月)

造反有理

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 われわれの偉大な指導者毛主席は「日本民族は偉大な民族です。アメリカ帝国主義が長期にわたって頭上に君臨するものを日本民族は絶対に許すはずはありません」とのべている。日本は日本人民のものである。米日反動派が気ままに分割する絶対に許せない。アメリカ帝国主義の魔手は日本に伸ばされたその日から、日本人民の反米闘争は太平洋の荒波のように一波ごとに高まってきた。輝かしい革命の伝統をもつ日本の青年はすでに民族解放闘争の最前列にたち、米日反動の弾圧・虐殺をものともせず、修正主義者のおどかしとペテンをはねつけ、「造反有理」の大旗を高くかかげて、世界人民の最大の敵であるアメリカ帝国主義およびその日本における手先と激しくたたかってきた。日本人民の米日反動派に対するかぎりない憎しみがものすごい怒りの潮となって、「ペンタゴン――東京」の反革命同盟をつきくずし、米日反動派のファッショ支配を壊滅的にゆさぶっている。米日反動派は、こんごは、「さらにきびしい制限方法」(さらに残酷な弾圧と読む)をとる、と威たけだかにわめき、ファッショ的テロ手段で大学の愛国的学生を捜査・逮捕し、革命的青年に迫害を加えている。見たところ牙をむきつめを立てて、ただならぬ勢いだが、ハリコの虎はやはりハリコの虎にすぎず、米日反動派は内心の恐怖をかくしきれない。かれらは自分の末日を予感して、こんどの日本の革命での青年の反米闘争は「暴力革命の練習」であると、ためいきをもらした。なるほど、暴虐をきわめて人民を奴隷にしている旦那がたにも世にも恐ろしいものがあったのだ。「暴力革命」という文字が口にされると旦那がたはぞっとして、ヒステリーの大発作をおこすのである。これは「暴力革命」は人民にとってすばらしいものであることをものがたっている。これは反動支配者を死においやる宝である。どうしてこんなにすばらしい宝物を失うことができよう。こんなに貴重な宝物をみすみすほおっておくことはできない。レーニンとスターリンは、この宝物を使いボリシェビキを指導してツァーの支配をくつがえし、毛主席もこの宝物で、中国人民を指導して、そこにのしかかっていた三つの大きな山をはこびさり、繁栄富強の社会主義の新中国をうちたてたのである。

詳しくは日中愛好協会(正統)のサイトをご覧下さい。

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ホームズとワトソンの拳銃(3)

『緋色の研究』も佳境に入って、ホームズの出した新聞広告

今朝ブリクストン通りのホワイト・ハート酒場とホランド・グローブの間にて金のカマボコ型結婚指輪拾得。ベーカー街221Bのワトソン博士まで申し出られたし。夜8時から9時。

 これで犯人をおびき出そうというのだった。それで
ホームズ「……来るさ。一時間以内に必ず来るよ」
ワトソン「来たら?」
ホ「そのときはすっかり僕に任せとくさ。君、武器はあるかい?」
ワ「昔の軍用拳銃と弾が少々ある」
ホ「じゃ、掃除して弾を込めておきたまえ。向こうは必死になって来るだろう。それは僕としても油断させておいて捕まえるつもりだけれど、万一の場合には備えておいた方がいい」
 ワトソンは寝室へ行って、言われたとおり昔の軍用制式拳銃(service revolver)を取り出し、掃除して弾を込めた。

 大英帝国陸軍の制式拳銃ならば、何年に何が用いられていたか分かっている。ワトソンが従軍したころは、アダムズ1872年型マークIIIモデルが制式だった。これは0.45口径、6連発のダブルアクション、銃身長は6インチである。黒色火薬を用いた。

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 1880年8月からエンフィールド・マークIモデル(0.476口径)が導入される。しかし、ワトソンは1880年6月27日のマイワンの戦いで負傷して、以後は戦場に出ていないから、新しい拳銃を手にする機会はなかった。
 将校(軍医を含む)の装備は自弁が原則であるから、帰国するときに拳銃と何発か残った弾を持って帰ったのである。
 この制式拳銃(service revolver)を仕舞い込んであったのを取り出したのだ。もっとも『緋色の研究』では撃たなくてすんだ。
 ワトソンが確かに同じ拳銃を用いた機会がもう一度ある。

「今夜のささやかな冒険の成功を祈って、乾杯。さあ、出発だ。ワトソン、ピストルは持っているかい?」
「昔の軍用拳銃(service-revolver) が、デスクにある」
「持って行き給え。支度をして行くべきだ。玄関に馬車が来ているな。6時半に頼んでおいたのだ」

 このときの面子は、ホームズとワトソンのほかにアセルニー・ジョーンズだった。もちろん『四人の署名』の事件で、このときは実際にワトソンの0.45口径が火を噴いたのだった。これは1888年の事件で、このあとワトソンはメアリー・モースタン嬢と結婚したのだった。
 1881年と1888年にワトソンが持っていたのは陸軍の古い制式拳銃であった。それならば1883年の『まだらの紐』のときも当然同じ制式拳銃だったかというと、必ずしもそうは言い切れないのである。(続く)

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2008年3月 9日 (日)

ホームズとワトソンの拳銃(2)

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 スタンフォードが
「ドクター・ワトソン、ミスター・シャーロック・ホームズ」
と言って二人を引き合わせたのは、『まだらの紐』の事件より2年前、1881年1月のことだった。翌日ホームズとワトソンはもう一度会い、二人でベーカー街221Bの部屋を検分し、すぐに一緒に住むことに決めたのだった。
 ただし、この1881年1月という年月は正典には書いてない。元インド陸軍所属、医学博士ジョン・H・ワトソンの回想録の書き出しは
 
 1878年にロンドン大学で医学博士の学位をとった私は、軍医の過程を修めるため、引き続きネトリーの陸軍病院へと進んだ。そこで修業を修了してから、順調に第五ノーサンバランド・フュージリア連隊付きの軍医補に任命されたのである。

 ワトソンがジザイル銃の銃弾によって負傷したマイワンの戦いは、1880年6月27日のことだった。

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 この戦いでは、総勢2476名の英印軍が2万5000人のアフガン人に包囲された。英印軍は死者969名、負傷者178名という大損害を出して敗退した。(従卒のマレーがワトソンを助けてくれなければ、死者970名、負傷者177名となっていたはずだ。)

 ワトソンはペシャワールへ後送され、やや回復したと思ったら腸チフスにやられた。結局、ロンドンで「1日11シリング6ペンスの収入の許す限り自由」にしているときに、シャーロック・ホームズに紹介されたのは1881年1月のことである----というのは、ベアリング=グールドの考証による。
 ローリストン・ガードンの怪事件がホームズのところに持ち込まれたのは3月のことだったという。

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 後に『緋色の研究』という題名でまとめられた回想録には、ワトソンが拳銃を取り出すシーンがあったはずだ。(続く)

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2008年3月 8日 (土)

高挙毛沢東思想偉大紅旗

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 毛沢東同志是当代最偉大的馬克思列寧主義者。毛沢東同志天才地、創造性地、全面地継承、悍衛和発展了馬克思列寧主義、把馬克思列寧主義提高到一個斬新的段階。
 毛沢東思想是在帝国主義走向全面崩壊、社会主義走向全世界勝利的時代的馬克思列寧主義。毛沢東思想是反対帝国主義的強大的思想武器、是反対修正主義和教条主義的強大的思想武器。毛沢東思想是全党、全軍和全国一切工作的指導方針。毒餃子是反対日本帝国主義的強大的食品武器、是反対日本修正主義和教条主義的強大的食品武器。

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2008年3月 7日 (金)

ホームズとワトソンの拳銃(1)

 ワトスン君、こいつは怠けてなんかいられないよ。ことに僕らが事件に関係したことをあの老人が知ってしまったんだからね。用意がよければ、すぐウォータールー駅までタクシー馬車をとばそう。ポケットにピストルを忍ばせていってくれるとありがたいな。鋼の火掻棒を飴のように曲げてみせる男にゃ、イリーの二号ピストルくらいはないと話になるまいよ。ピストルと歯ブラシだけ用意していけば、たいてい間に合うだろう。
(『まだらの紐』延原謙訳)

 まだらの紐は、ベアリング=グールドの考証によれば、1883年4月の事件である。
 しかし、ここで注目したいのは「イリーの二号ピストル」だ。そういうピストルがあったのか? 
 原文はこうだ。

An Eley’s No. 2 is an excellent argument with gentlemen who can twist steel pokers into knots.

 新しい訳ではどうか? 光文社文庫の日暮雅通訳

鉄の火掻き棒を簡単にねじ曲げるような男が相手なんだから、イリー二号ピストルの方が話をつけやすい。

 まずEleyは、「イーリー」と発音します。有名なホームズ役者のバジル・ラスボーンもそう読んでいる。

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 しかし、一号でも二号でも、「イーリー」という名前を冠したピストルはありません。
 Eleyという会社は拳銃は製造していない。弾薬ammunitionsを製造する会社として19世紀から有名なのだ。今でも盛んに営業しています。
http://www.eley.co.uk/

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 下の写真では薬莢のお尻にはっきりEleyのマークが見える。

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「イーリーの二番」というのは、どうやら弾薬を指すらしい。では

 An Eley’s No. 2 is an excellent argument---

は、「イーリーの二番を一発撃ち込んでやれば----」ということになるのか? 
 しかし、これはホームズの言葉としては乱暴すぎるだろう。ホームズとワトソンが人間を撃ったのは、『四人の署名』のトンガ(アンダマン島の怪人)の場合だけである。あれは真にやむを得ず撃ったのだった。(どちらの弾が当たったのだろう?)

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 ガリデブの事件で「殺し屋のエヴァンズ」を相手にしたときでも、ずいぶん危ない目にあったのに、ホームズは撃たなかった。
 ここは、「イーリーの2番の弾を撃つ拳銃」という意味でしょうね。現代でも、たとえば「357マグナム」は弾薬の名前であるけれど、その弾薬を撃つリボルバーを指してこういうことがある。この箇所の訳は単に「イーリーの二番」としておけばよろしい。
 どういう拳銃だったか? ワトソンがどんな拳銃を持っていたかは、ほかの冒険を見なければ分からない。(続く)

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2008年3月 5日 (水)

評伝

 以前から気になっていたことだが、わが国には評伝というジャンルがあって、これが独自の人気を博している。<人物評伝>などという言い方は特に好まれる。ところで<評伝>に相当する外国語は何かと考えると、ハタと当惑する。日本における<評伝>という語の成立を調べてみたら、さぞ面白かろう。資料をふんだんに使って人物を浮き彫りにする<伝記>の分野は、イギリス人のお家芸で、イギリスぐらい堂にいった伝記に富む国は珍しい。そのイギリスにも、日本のような意味での<評伝>というジャンルはない。<伝記>の事実尊重主義と<批評>の分析判断主義とが、別枠になっているためであろう。これらを混淆し、何となく事実に沿った伝記のような体裁をとりながら、実は筆者の好悪をコッソリ織り込むやり方が<評伝>。二つの分野を峻別するのも、混淆するのも、それぞれに得失はある。優れた見識を持つ筆者の手になる<評伝>は、筆者の個性の冴えが、対象の個性を描きあげ、いきいきとした読み物になる。個性による個性の照明であり、出会いであり、読者までその出会いに感動し満足させられる。
 こういう秀れたものの場合は良い。しかし本格的伝記を書くだけの事実追求の執念もなく、批評といえるだけの分析能力も価値判断力もなく、手頃な規模と手間でお茶を濁すのに、<評伝>というジャンルは実によい隠れ蓑を提供してきた。 
 わが国で本格的ノンフィクション文学が発達せず、辞典類の記述も評伝的恣意に甘く流れがちなのも、このことと関係があるだろう。
(由良君美『みみずく偏書記』pp.215-216)

『先生とわたし』は評伝でしょう。「筆者の個性の冴えが、対象の個性を描きあげ、いきいきとした読み物にな」ったといえる。

「伝記」対「評伝」は、私も以前から気になっていたことで、コナン・ドイルの伝記に関して触れたことがある。
  日本では、伝記と評伝を区別せず、何となく伝記の高級なのが「評伝」であるかのような認識がある。岩波書店からPenguin Livesというシリーズの翻訳が出ているが、ペンギン評伝叢書と称しているのはまことに見識がないと思う。

  ジュリアン・シモンズの『コナン・ドイル』は、イギリスには珍しい<評伝>である。
 コナン・ドイルの<伝記>としては、ジョン・ディクスン・カーの書いたものがあるけれども、失敗作である。
 イギリス式の本格的な伝記として、ヘスキス・ピアソンの『コナン・ドイル』を紹介したいと私は思っているのだけれど。
 これについては、カテゴリーのコナン・ドイル、特に「コナン・ドイル伝の邦訳」をご覧下さい。

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2008年3月 4日 (火)

シャーロック・ホームズの研究

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 アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)の名義で発表されたシャーロック・ホームズ(1854-?)の冒険物語は、長短あわせて60編が残っています。
 これらをまとめてthe Canon正典といいます。大部分は医学博士ジョン・H・ワトソン(1852-?)が書いたものです。

 この正典の学問的な研究は、100年近く前に始まりました。
 1911年(明治44年)、オックスフォード大学の講師であったロナルド・ノックスが
Studies in the Literature of Sherlock Holmes
 という講演を行い、翌年に論文として発表しました。
原文は
http://www.diogenes-club.com/studies.htm
 でごらんになれます。
 訳文は下記の
(3) ロナルド・ノックス『シャーロック・ホームズ文献の研究』です。
 
 以後、シャーロック・ホームズの学問的研究は大いに進展し、いろいろと新説珍説奇説が出ました。『ドクター・ワトソンは女だった』などというのもあることはご存じのとおり。
 
 正典の翻訳は、新潮文庫に延原謙氏の訳があり、最近は光文社文庫で日暮雅通氏の全訳が完成しました。河出書房の小林東山両氏の訳、東京創元社の阿部知二氏訳も図書館などで見ることができるはず。
 
 

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 私はぼちぼちと研究を進めておりますが、いくつか新発見をしたと自負しています。
 シャーロック・ホームズの翻訳は何種類も出ているのに、いまだに重大な誤訳が残っています。(たとえば、「牧師か神父か」や「モリアーティ元教授の職業」をご覧ください)。
 
 私のシャーロック・ホームズ研究は、まず藤原編集室の「書斎の死体」というサイトにエッセイと翻訳4編を載せてもらっています。ぜひご覧下さい。

(1) T・S・エリオットのホームズ論
(2) S・C・ロバーツ『トスカ枢機卿の死
(3) ロナルド・ノックス『シャーロック・ホームズ文献の研究
(4) S・C・ロバーツ『ワトソン年代学の問題

 このブログでは、カテゴリの「シャーロック・ホームズ」をご覧下さい。
 主なもののタイトルは次の通り(飛び飛びに連載しているものもあります)。

翻訳
・ドロシー・セイヤーズ「ドクター・ワトソンのクリスチャンネーム
・エドマンド・ウィルソン「ホームズさん、巨大な犬の足跡だったのです
英国紳士録におけるシャーロック・ホームズ
・マーシャル・マクルーハン「シャーロック・ホームズ対官僚
・ケネス・レックロス「奇妙な時代
・S・C・ロバーツ「シャーロック・ホームズ小伝」1-5
・S・C・ロバーツ「シャーロック・ホームズの性格」1-5

エッセイ
明智小五郎からシャーロック・ホームズへ
柔道か柔術か1-11 (もう少し続きを書くつもり)
牧師か神父か 1-4
赤毛のでぶ 1-2
・モリアーティ元教授の職業 1-5
凶器としての火掻き棒
棍棒かステッキか1-8
火掻き棒補説 1-2
・ホームズの木刀術 1-11
・バートン=ライトのステッキ術
手に手をとって1-2
アルペンスキーの元祖コナン・ドイル

これから書く予定のもの
(翻訳)
・ドロシー・セイヤーズ「ホームズの学生生活」1-4(未完なので完成させたい)
・S・C・ロバーツ『メガテリウム・クラブの盗難』――失われた冒険
・レックス・スタウト他『シャーロック・ホームズを語る――ラジオ座談会』
・ドロシー・セイヤーズ『ドクター・ワトソンの結婚』
・ドロシー・セイヤーズ『アリストレテスの探偵小説論』
・ウィリアム・ジレット『シャーロック・ホームズの苦境』(一幕劇)

(エッセイ)
・ホームズの頭蓋骨
・ボヘミア王とは誰か
・プロの美人たち
・南アフリカ大虐殺とコナン・ドイル
・ミュージックホールのレスリング
・コントラルト?
・ボクサー弾を100発
・刺青論
・コナン・ドイル卿?
・ホルダーネス公爵と蜂須賀侯爵

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