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2008年4月 2日 (水)

柔道か柔術か(13)

パラゴン・バラエティー劇場
マイルエンド街

TO-NITE TO-NITE TO-NITE (TO-NITE=TONIGHT)
アポロ提供、特別出演
日本人レスラー
ユキオ・タニ

タニに勝った者には特別賞100ポンド。タニは体重9ストーン(57.15kg)しかないが、どんなに大きい相手の挑戦も受けて立つ。タニが15分以内に負かすことができなかった者には、アポロ(タニのマネージャー)が20ポンドの賞金を提供。プロのチャンピオンクラスのレスラーは特に歓迎。アマチュアの腕試しを奨励するために、アポロはタニが負かすことのできなかった者に40ポンドの価値のある銀製カップを進呈。一番健闘したアマチュアには高価な金メダルを差し上げる。出場申込は毎晩試合開始前までに。

 これは『スポーティングライフ』誌の1904年12月号に記録されているタニ・ユキオの興業のポスターである。
 タニ・ユキオは1900年ごろ、バートン=ライトの「バーティツ」の指導員として渡英した。当時19歳だった。まもなくバートン=ライトと別れたタニはミュージックホール・レスリングの世界に入った。
 これは当時ストロングマン(怪力男)アポロの名で知られたウィリアム・バンキアがバーティツの道場でタニと手合わせしてその実力に驚いたことがきっかけだった。
 バンキアによると

Yukio_tani_2

タニは身長5フィート(150cm強)しかないから簡単にやっつけられると思った。ところが驚いたことに、2分もたたないうちにこちらがやっつけられてしまった。どういう手を使ったのかはまったく分からないのだが、試合の終わりには私はすっかり伸びてしまった。ジャップはニヤリと笑って「どうだ、参ったか」と言うのだった。

 バンキアは当時プロレスの世界でトップのレスラーたちをバートン=ライトの道場に呼んでタニと戦わせようとした。(すでにプロレスができていたことが分かる。しかし、現在のプロレスとは違ってアマチュアレスリングに近いルールで試合をしたらしい。1901年に夏目漱石がプロレスの試合を見に行って退屈した話は柔道か柔術か(5)に書きました。)
 ところが誰もが尻込みして戦おうとしない。ようやく元全英チャンピオンのトム・キャノンがマットに上がったが、

Tomcannon

一分もたたないうちに投げ技をかけられ、マットの外の石の床に落ち、びっくりして参ったと言った。
 こうしてタニは、素人でもプロでも誰の挑戦でも受けるミュージックホール・レスリングの世界に入った。(続く)

http://ejmas.com/jalt/jaltart_Noble_1000.htm
を参考にして書いています。
 ただし、前回のバーナード・ショーの『バーバラ少佐』に「日本人のレスラー」の話が出てくるのは、私が自分で見つけました。このレスラーはたぶんタニでしょうね。

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