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2008年4月17日 (木)

メレディスとドイル

 サウスノーウッド時代にドイルが特に誇りに思ったのは、ジョージ・メレディス(1828―1909)との繋がりだった。今となってはなぜかが分かりにくいのだが、メレディスは晩年の二十年間に文壇で偶像視されていた。理由は二つあった。第一に、メレディスの文章は読みにくく、そもそも理解できないことも多かった。したがって(1)名文であり(2)深遠な思想がある、ということになった。第二に、ふつうの読者はメレディスなど読まないので、同時代の作家は競争相手になる恐れのない彼を安心して祭り上げることができた。それに、どんな職業でも誰かひとり大御所がいて仰ぎ見ることができれば有り難いものだ。トマス・ハーディ(1840―1928)は1990年代にはまだ貫禄が足りなかったし、メレディスは社会的政治的に安全で恰好の崇拝対象だったのだ。ハーディの番が来るのはもっと後になり歳を取って危険がなくなってからである。
 カーライル(1795―1881)なきあとメレディスこそが文学の第一人者だと思ったから、コナン・ドイルはメレディス論を書き、1892年11月にはアッパーノーウッドの文学学術協会で彼について講演した。ドイルは文豪からボックスヒルの自宅に招かれることになった。このときの会見は庭で始まったが、危うくその場で終わるところだった。メレディスは自宅の裏の小高い丘を指して「先ほどあの天辺まで登ったのです」と言った。ドイルは新聞でメレディスの健康が優れないことを読んでいたから、驚いて「ずいぶんお元気ですね」と言った。メレディスは怒って「私を八十の爺とでも思っているのですか」と答えた。ドイルは「ご病気と伺っておりましたので」と言い訳し、メレディスは怒りを飲み込んだ。昼食の席でドイルは赤ワインを一本あけ、メレディスの話に聞き入った。昼食後二人はメレディスが仕事をする四阿まで険しい細い道を登った。ドイルが先に立った。後ろで滑って転ぶ音がしたが、ドイルは懲りていたから振り返らず気がつかない振りをした。「恐ろしく自尊心の強い老人だった。助け起こしたりすればとんでもないことになるのは本能的に分かった」とドイルは書いている。無事に四阿におさまったところで、メレディスは書きかけの小説を朗読してくれた。ドイルは非常にいいと思ったのでそう言うと、メレディスはそれでは書き上げることにしようと答えた。『驚くべき結婚』が完成したのは、ドイルがこのとき著者を助け起こさなかったおかげかも知れない。
(ヘスキス・ピアソン『コナン・ドイル』より)

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