« 柔道か柔術か(15) | トップページ | 柔道か柔術か(17) »

2008年5月21日 (水)

柔道か柔術か(16)

 タニ・ユキオは、もちろんプロレスラーとも戦った。プロレスラーの中には15分戦って賞金を獲得した者もごくまれにいたようだ。
 ランカシャーのライト級レスラー、ボビー・ビッケルや、スコットランドのヘビー級のアレック・マンローなどが15分以上戦った(しかし勝てなかった)という記録が残っている。このマンローは体重が210ポンド(95kg)あって、当時としては非常に大型のプロレスラーだった。
 プロレスラー相手の戦いは、相手も「こんなチビの外人に負けてたまるか」というつもりでかかってくるので、ラフな試合になることもあった。マンチェスターでトム・コナーズという男と戦ったときがそうだった。
 コナーズは、試合の初めに恒例によって握手をすると、そのまま握った手を引っ張ってタニを捕まえ、ボディスラムで叩きつけようとした。タニは空中で身を翻して逃れたが、二人はもつれ合ってオーケストラピットに転落した(ミュージックホールの舞台で試合をしたのだ)。
 上がってくると、コナーズが反則のパンチを出した。観客が盛んにブーイングする。タニは相手の襟を掴んで倒し、マウンティングポジションから締めにかかった。コナーズはまたもや下からパンチを出したが、タニは構わず締めて、1分55秒、ギブアップを奪った。
 タニは当時のプロレスのチャンピオンだったジョージ・ハッケンシュミット(1878-1968)にも挑戦した。

Hackenshmidt1903

 エストニア出身で「ロシアのライオン」の異名を取ったハッケンシュミットは、身長175cm、体重99kgの大男だった。彼はロシアでレスリングと重量挙げを覚え、プロレスラーとしてヨーロッパ大陸で連戦連勝した。当時大陸のプロレスはグレコローマン・スタイルであった。ルールは現在のアマレスのグレコローマンとほぼ同じである。下半身を使ってはならず、相手の下半身を掴んではならない。投げ技はプロレスでいう「バックドロップ」や「スープレックス」のような反り投げが中心である。投げて寝技に持ち込んでフォール勝ちを狙う。いわゆるサブミッション(関節技などで参ったと言わせること)はなかった。
 ハッケンシュミットは1902年に英国に渡り、ここでもたちまち第一人者になった。彼はグレコローマンから英国で主流のフリースタイルに徐々に切り替えて行った。
 1903年11月、ハッケンシュミットがアントニオ・ピエリというレスラーと戦ったときに、タニはマネージャーのアポロと一緒にリングに上がり、3000人の観衆の前で挑戦状を渡した。
 ハッケンシュミットは「グレコローマン・レスリングのルールならば戦ってもよろしい」と答えた。タニの体重は9ストーン(57kg)足らずなのだから、これでは話にならない。タニの要求は、もちろん柔術ルールによる異種格闘技戦であった。
 ハッケンシュミットほどの体力があっても、未知の柔術技は怖ろしかったものと見える。この少し前には、フランスの有名なグレコローマン・レスラーで小型ハッケンシュミットと言われたモーリス・デリアスがタニに挑戦して敗れている。デリアスは体重が190ポンド(86kg)ある超一流のレスラーだったが、「ちっぽけなジャップは彼を簡単に打ちのめした」という。(続く)

|

« 柔道か柔術か(15) | トップページ | 柔道か柔術か(17) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/21071007

この記事へのトラックバック一覧です: 柔道か柔術か(16):

« 柔道か柔術か(15) | トップページ | 柔道か柔術か(17) »