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2008年5月22日 (木)

柔道か柔術か(17)

 ジョージ・ハッケンシュミットは1905年にはニューヨークで全米チャンピオンのトム・ジェンキンスを負り、最初の世界ヘビー級チャンピオンと認められた。
 ハッケンシュミットは1908年にシカゴでアメリカ人のフランク・ゴッチ(1878-1917)に負れるまで世界チャンピオンであった。

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 シカゴでのハッケンシュミット対ゴッチ戦では、ゴッチが体にオイルを塗る、目潰し、ひっかき、パンチなど卑怯な手を使ったと言われる。
 1911年にシカゴで行われた再戦では、ハッケンシュミットが一本目を取り、二本目と三本目をゴッチが取るという事前打ち合わせができていたが、ゴッチが約束を破って初めから勝ちに行き、二本を連取した。
 かなり現在の「プロレス」に似てきたわけだ。

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 しかし、ハッケンシュミットもヨーロッパ大陸では、前述のように真面目なグレコローマンスタイルでプロレスリングをしていたのだ。英国に来てからはフリースタイルで戦うようになった。
このフリースタイル・レスリングが20世紀初めの英国では「プロレス」だったのだ。1901年(明治34年)12月18日に夏目漱石がロンドンでプロレスを見た話は前に書きました。漱石曰く「西洋の相撲なんて頗る間の抜けたものだよ。膝をついても横になっても逆立をしても両肩がピタリと土俵の上へついてしかも、一、二と行事が勘定する間このピタリの体度を保っていなければ負でないっていうんだから大に埒のあかない訳さ。」(柔道か柔術か(5))

 第一次大戦前のイギリスでは、だいたいこういう「真面目なプロレス」が行われていたらしい。これに対してタニ・ユキオをはじめとする日本人の柔術家たちが絞め技や関節技の威力で対抗していた。タニのほかによくレスラーと戦ったのはミヤケ・タロウという柔術家であった。
 体重210ポンド(95kg)のレスラー、アレック・マンローがタニと15分以上戦って賞金を得たのは1909年のはじめのことであった。この試合はスコットランドのグラスゴーで行われた。マンローは同じ日のうちに、キルマーノックという町(やはりスコットランド)でミヤケとも戦い、やはり15分以上戦って賞金を得た。
 ここで注目すべきは、タニにしてもミヤケにしても、負けることなど考えもしなかったし、実際負けなかったことだ。
(1)お互いに柔道着を着る
(2)フォールではなくギブアップで勝負をつける
という二つのルールがある限り、ずっと体が大きいプロレスラー相手でも自信があったのだ。だからこそ、タニは世界チャンピオンのハッケンシュミットに挑戦したのだ。1910年にはタニはインド人レスラーのグレート・ガマにも挑戦している。

Gama1916

 英国のレスリング事情はだいたいこんなもので、日本人柔術家は、プロレスラーに対抗して優位を保っていた。
 こういう状況をめちゃめちゃにしたのが第一次世界大戦の勃発である。1914年8月4日に英国がドイツに対して宣戦布告すると、レスリングや柔術どころではなくなってしまった。
 60歳のシャーロック・ホームズも『最後の挨拶』をしたのだった。(続く)

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