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2008年6月23日 (月)

非暴力直接行動(2)

Gandhi_southafrica

 1913年3月、キリスト教の儀式によらぬ結婚は無効だという理由でインド人労働者の妻の南アフリカ入国を認めないとする判決が下された。同時に「連邦移民制限法」が制定され、インド人の南アフリカ移住は実質的に禁止されることになった。
 同年9月、ガンジーは非暴力直接行動を開始した。彼は
「南アフリカ連邦中の監獄にできるだけ多くのインド人を送り込もうと決心した。これによって一連の反インド人法の非道徳性を浮き彫りにし、南アフリカの社会に道徳的変化をもたらすことができるかも知れない。」

 ガンジーの妻を含む同志16人が移住許可証なしでナタールからトランスヴァールへ州境を越え、逮捕を誘った。政府は挑発に乗って全員を逮捕し投獄した。
 数日後さらに11人が同じように逮捕されるべく、今度はトランスヴァールからナタールへ許可証を持たずに州境を越えた。しかし政府は今度は逮捕を控えたので、ガンジーの計画通り、11人はニューキャッスルまで36マイルを行進した。ここでは5000人のインド人年季労働者がヨーロッパ人所有の炭坑で働いていた。11人は炭坑夫を説得して、人頭税とサール判決に抗議するストライキに入らせた。……
 ガンジーは11月まで数千人のインド人を率いて抗議行動を続けた。
 ガンジーと同志たちは政府に対して
「我々はこれから移民制限法に違反する行為を行うから逮捕していただきたい」と通告した。しかし、政府は挑発に乗らず、ガンジーと同志たち全員が「国法陛下のホテルの客」となることはできなかった。
 ガンジーはこの間に三度逮捕された。彼は懲役6ヶ月または罰金60ポンドを宣告され、懲役を選んだ。
 ガンジーたちの運動は英国とインドの新聞に大きく報じられた。
 1914年1月、ヨーロッパ人の鉄道労働者が南アフリカ全土でストライキに入り、ボータ政権は存亡の危機に立たされた。ガンジーはただちに抗議行動を取りやめた。
「我々は敵の弱みにはつけ込まない」という理由だった。ガンジーの自伝によれば

 スマッツ将軍の秘書官の一人が苦笑して言った。「私は諸君を好まないし、助けてやりたいとも思わない。しかしどうすればよいのか。どうして諸君に手を挙げられるだろうか。諸君が英国人のストライキのように暴力を振るえば、こちらにもやりようがある。すぐに始末をつけてやる。ところが諸君は敵を傷つけようとしない。もっぱら我が身に苦痛を引き受けることで勝利を求めて、自ら課した礼儀と騎士道の限界を踏み越えない。こちらは手の出しようがなくて困ってしまうのだ」

 一九一四年六月、政府の代表でもなく官職もないガンジーは、スマッツ将軍と手紙をやりとりし会談を重ねて、あたかも対等の立場であるかのように交渉し協定を結んだ。ヒンドゥー教、イスラム教、パールシー教の伝統儀式による結婚はすべて有効と認められ、人頭税は廃止され、未納分の徴収は中止された。しかし連邦移住制限法は、政府側の形式的な譲歩として毎年六名の教育あるインド人の入国が認められたほかは、依然有効とされた。協定は妥協の産物だったが、ガンジーはこれを運動の勝利と考えた。
 この年、ガンジーは21年間を過ごした南アフリカを去った。以後はインドで非暴力直接行動を続けることになる。

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