非暴力直接行動(7)
ガンジーは1948年1月30日に暗殺された。
インドが独立したのは前年の1947年8月15日であった。パキスタンとの分離独立であったため、ガンジーは独立式典にも参加しなかった。初代首相は国民会議派におけるガンジーの盟友ジャワハルラール・ネルー(1889-1964)であった。
インドが独立を勝ち取ることができたのは、ガンジーの非暴力直接行動が功を奏したからだろうか?
英国の政治学者バーナード・グリッグは、「ガンジーの非暴力主義がインドの政治的解放を四半世紀以上遅らせたことはほとんど確実であろう」という。(ガンディーと使徒たちの書評)
別宮暖朗氏の『軍事学入門』
日本の敗戦から2年後、イギリスはインドの独立を承認しました。この独立も、イギリスが財政上つりあわないと判断したことが大きかったと思われます。イギリスは1931年に成立した労働党のマクドナルド挙国一致内閣のころから、インドをカナダ、アイルランド、オーストラリアなどと同様の地位の自治領として独立させることを考えていました。
その理由は、1919年に起きたアムリツァールの暴動などにより治安維持コストが予測不可能になったことだと思われます。……
……植民地の独立とは……恒常的ハラスメント(宗主国から派遣された官民に脅威を与えること)により、駐留経費が割に合わなくなり、宗主国が独立を許さざるを得なくなったものが大半です。ハラスメントとは言論やオープンな武力行使ではなく、「テロ」の形をとることが多いものです。
ガンジーの非暴力運動がイギリスに対して「道徳的衝撃」を与えたことは確かである。しかし、これは相手がイギリスだったからで、ナチス・ドイツやスターリンのソ連ならば、ガンジーは問答無用で殺されていただろう。
インドの独立をもたらしたものは、「非暴力」ではない。端的に言えば「テロ」であった――というのだが。
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