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2008年7月21日 (月)

トスカ枢機卿補遺(1)

 この1895年は忘れがたい年であった。この年、実に奇怪で突飛な事件が続発して、ホームズは多忙を極めた。まず、あのトスカ枢機卿の急死をめぐる有名な捜査にホームズが取り組んだのは、ほかならぬローマ法王が名指しで所望されたからである。
        
 ワトソンは1904年ストランド・マガジンに載せた『ブラック・ピーター』でこう書いた。まぼろしの作品とされていた『トスカ枢機卿の死』は、その後原稿の断片がS・C・ロバーツによって発見された。翻訳あり。ここです。

 しかしトスカ枢機卿という名前はどうかな。本名を書けないのは分かる。でも、もうちょっと何とかならなかったの?
 ワトソンはイタリア語を知らないわけではない。1891年4月25日(土)の朝には、客車の中でよぼよぼのイタリア人の神父(牧師ではない!)を相手に片言とはいえイタリア語をしゃべっているのだ。

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『ブラック・ピーター』を書いたときには、1900年初演の『トスカ』のことは知っていたはずだ。仮名も「スカルピア枢機卿」とでもした方が(つまりソプラノではなくバリトンですね)リアリティがあったはずだ。しかしワトソンは分かっていてとぼけているらしい。

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 なにしろ、枢機卿といえば当時は全世界で70人しかいなかった(現在は百人以上いて、日本人も一人いる)。法王の選挙権・被選挙権を有するのが枢機卿である。

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 法王が逝去すると、新しい法王を選ぶために枢機卿が集まる。無記名投票による互選で新法王を決める。何度も投票を繰り返すうちに聖霊の働きで自ずと最適の人が選ばれる。しかし決まるまではずいぶんと時間がかかり、この法王選出集会はなかなか大変で、実に根比べである。だからこの集会をコンクラーベといいます。
 毎回の投票時の投票用紙を焼却して、新法王が決まらなければ黒い煙を、決まれば白い煙を出す。

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 しかし、そもそも「法王」というのが間違いなんだそうです。「教皇」が正しいのだという。(続く)

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