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2008年7月31日 (木)

ポカリスウェットについて

 毎日暑い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしですか。
 こう暑くては、脱水症状を避けるために水分を十分に取らなくてはいけない。私はつとめてポカリスウェットを飲むことにしています。

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 昔はああいうものはなかった。普通の水を飲めばよいと思っていたけれど、そうでもないらしい。ポカリスウェットのおかげでアフリカなどでも幼児死亡率が劇的に低下したのだそうだ。子供が病死する場合、直接の死因はたいてい下痢による脱水症状なのだが、対策としてただ水を飲ませても体が吸収しない。ポカリスウェットなら血液と浸透圧が等しいので吸収がはやく、これを飲ませてとりあえず脱水症状だけ防いでおけば、たいてい直るのだそうです。子供に効くなら大人にも有効なはずだ。

 しかし、私は大塚製薬製のポカリスウェットは飲まないことにしている。別の会社の別の銘柄を飲んでいる。何だったけ。冷蔵庫を開けてみると「アクエリアス」のペットボトルが入っていた。

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 私はPocari Sweatなんてものを飲むわけには行かんのだ。こう見えても英語の専門家だ。Pocariはどういう意味か知らんが、Sweat=汗だろう。そんなものが飲めるか。「汗の汁」だぞ。
 英語のネイティブに聞くとPocari Sweatは非常に気持ちが悪いという。正直言って私自身は「気持ち悪くて飲めない」ほど英語ができるわけではない。専門家の沽券に関わるから飲まないのだ。

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2008年7月30日 (水)

 トスカ枢機卿補遺(3)

 しかし、Popeをどう訳するかよりも、はるかに重大な問題がある。
  Godをどう訳するかだ。
 神に決まっているだろうが? そうかな?
「神の国は汝等のうちにあり」は
The Kingdom of God is within you.
 でしょう。

 むかし森首相が「日本は神の国である」という発言をしたが、あれは
Japan is the Empire of God.
 ではない。どう訳せばいいか、そんなこと分からんけれど、ともかく森さんはそういうつもりではなかった。

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 日本にキリスト教が伝来したのは1549年であった。以後よく広まるキリスト教ですね。

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 フランシスコ・ザビエルは1549年鹿児島に上陸し、10ヶ月間日本語を勉強してから九州と中国地方で布教した。1551年11月支那に向かうまでの2年3ヶ月で約千人の信者を獲得したという。
 Godに当たる言葉をザビエルたちはどう訳したか? はじめは「大日」と訳したらしい。大日如来はありがたい仏様だけれど、やはりお宗旨が違うのは困ります。
 
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  結局、ラテン語をそのまま使ってデウスということにしたらしい。
「神」と訳することは考えても見なかったようだ。

 明治になって「神」になったのは、中国で布教していたプロテスタントが聖書の翻訳に神を使っていたからだという。中国語訳ではGodの訳語として「上帝」「神」のどちらを使うか論争があり、結局「神」になったけれど、Godと神の間には微妙なズレがあるのだという。

 日本語の「かみ」は神という字を宛てるけれども中国語の神とはまた違う別の言葉である。
 なぜ神をかみと言うかというと、自分より上(かみ)のものという意味である。使用人から見れば一家の主婦は自分より目上だから「おかみさん」という。神も基本的にはこれと同じだから八百万いても不思議ではないのだ。
 しかし、この説は間違いだと言われていますね。たとえば平凡社世界百科事典では

 神は上=カミにあるからカミだとする考えは,江戸時代からあったが,国語学的には否定されている。すなわち神と上は同音語であるから同じ語源だとする考え方は,上代特殊かなづかいの面からいえば,神のミは乙類となり,上のミは,甲類に属して,互いに混同しないとされている。

 ところが実はそうではない。甲類と乙類は互いに混同する場合があるので、それくらいは言語学の常識なのだそうです。この問題は大野晋氏と渡部昇一氏の間で論争になって、渡部氏の公開討論の呼びかけに大野氏が応じなかった。渡部氏の判定勝ちになった。「おかみさん」の話も渡部昇一氏の本に書いてあったことです。
 よく似た音は混同するもので、英語のRとLを混同するのは日本人だけではない、ネイティブでも混同することがある。スティーブン・キングの『子取り鬼』という短編

「シャールは子取り鬼だといって泣いていた。"鉤爪(claws)"と聞こえるような言葉をいっていた。"餌袋(craws)"といっていたのかもしれない……」

 自分より上にあるのが神だとすれば、800万どころではない。遍在しても不思議はない。私の先祖はだいたいホトケになっているのだが、母方の親戚に神道の家があって、その家では死者は何々の命になる。大国主命や天のうずめの命などと同じで神である。
 キリスト教のGodは唯一の存在なのだから、「神」と訳してはおかしいはずだ。

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2008年7月29日 (火)

トスカ枢機卿補遺(2)

 カトリック教会の首長は英語ならばPopeである。Popeは「法王」でなく「教皇」と訳するのが正しい。
 平凡社世界大百科事典で「法王」を引いてみると

(1)釈迦(仏陀)の尊称。(2)766年(天平神護2),称徳天皇が僧道鏡に授けた位。法皇とも書く。(3)法皇に同じ。(4)ローマ法王(教皇)のこと。

 なるほど。「法」はやはり「仏法」をあらわすのでしょうね。お釈迦さんや道鏡や後白河法皇などと混同されては、カトリック教会としては迷惑だろう。

 教皇庁のあるバチカン市国は、公文書での呼称を法王から教皇に変えて欲しいと要求しているが、日本政府が聞き入れないらしい。
 各国の首長名を日本語でどう呼ぶかは、一応先方の了解を得て決める。「お宅は酋長ですか、大統領ですか、王ですか、皇帝ですか、国家主席ですか」と尋ねるのだ。
 バチカン市国は、前には法王でよろしいと答えたようで、近年になって教皇に変えて欲しいというのに対して、日本政府は「前は法王で結構とおっしゃったではありませんか。一度決めたものをむやみに変更はできません。お宅だけ特別扱いはできません」という態度のようだ。
 ここは先方の言うように変えてあげたらどうだろう。キリスト教の用語を日本語に訳するのは難しいのだ。仏教用語と紛らわしくないようにしなければならない。

Popeは教皇
cardinalは枢機卿
bishopは、むかしは「僧正」と訳することもあったけれど、これは仏教用語だ。いまは「司教」と訳する。司教は、たとえば日本なら16(全世界では2500)ある司教区を監督する職である。
 ふつうの神父さんはFather Brownのように呼ぶか、単にFatherと呼ぶ。職名としては司祭priestである。これはプロテスタントの牧師pastorと混同してはいけない。
 神父のうちの偉い人にはMonsignorという敬称がつくことがある。『シャーロック・ホームズ文献の研究』のロナルド・ノックスは、Monsignor Knoxと呼ばれることが多い。私は「猊下と呼んではおかしい」と書いたけれども、そうでもないらしい。猊下は本来は仏教用語のはずだが、カトリックの高位聖職者の敬称に使っても構わないらしい。枢機卿や司教には猊下をつけるし、司教ほどではないけれども偉い神父でMonsignorがついている人もノックス猊下のように呼んでよいようだ。
 グレアム・グリーンにMonsignor Quixoteという小説がある。現代のスペインの田舎町にドンキホーテの子孫であるキホーテ神父が住んでいて、という話である。この人がひょんなことからMonsignorの称号をもらい、それがきっかけで共産党員の元町長サンチョをお供に連れて、愛車ロシナンテ号でスペイン一周の旅に出るのである。
 翻訳は『キホーテ神父』という題になっている。猊下はやはり違和感があったのでしょうね。本文でキホーテ神父が"Monsignor!"と呼びかけられるシーンがあった。そこはどう訳してあるのだろう?

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2008年7月21日 (月)

トスカ枢機卿補遺(1)

 この1895年は忘れがたい年であった。この年、実に奇怪で突飛な事件が続発して、ホームズは多忙を極めた。まず、あのトスカ枢機卿の急死をめぐる有名な捜査にホームズが取り組んだのは、ほかならぬローマ法王が名指しで所望されたからである。
        
 ワトソンは1904年ストランド・マガジンに載せた『ブラック・ピーター』でこう書いた。まぼろしの作品とされていた『トスカ枢機卿の死』は、その後原稿の断片がS・C・ロバーツによって発見された。翻訳あり。ここです。

 しかしトスカ枢機卿という名前はどうかな。本名を書けないのは分かる。でも、もうちょっと何とかならなかったの?
 ワトソンはイタリア語を知らないわけではない。1891年4月25日(土)の朝には、客車の中でよぼよぼのイタリア人の神父(牧師ではない!)を相手に片言とはいえイタリア語をしゃべっているのだ。

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『ブラック・ピーター』を書いたときには、1900年初演の『トスカ』のことは知っていたはずだ。仮名も「スカルピア枢機卿」とでもした方が(つまりソプラノではなくバリトンですね)リアリティがあったはずだ。しかしワトソンは分かっていてとぼけているらしい。

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 なにしろ、枢機卿といえば当時は全世界で70人しかいなかった(現在は百人以上いて、日本人も一人いる)。法王の選挙権・被選挙権を有するのが枢機卿である。

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 法王が逝去すると、新しい法王を選ぶために枢機卿が集まる。無記名投票による互選で新法王を決める。何度も投票を繰り返すうちに聖霊の働きで自ずと最適の人が選ばれる。しかし決まるまではずいぶんと時間がかかり、この法王選出集会はなかなか大変で、実に根比べである。だからこの集会をコンクラーベといいます。
 毎回の投票時の投票用紙を焼却して、新法王が決まらなければ黒い煙を、決まれば白い煙を出す。

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 しかし、そもそも「法王」というのが間違いなんだそうです。「教皇」が正しいのだという。(続く)

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2008年7月18日 (金)

シャーロック・ホームズの栄光

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 アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)名義で刊行されたシャーロック・ホームズ(1854-?)の冒険譚は、長短あわせて60編が残っています。
 これらをまとめてthe Canon正典といいます。大部分は医学博士ジョン・H・ワトソン(1852-?)が書いたものです。
 私はこの正典の研究をぼちぼち進めています。いくつか新発見をし、重大な誤訳を正したと自負しております。

 まず藤原編集室の「書斎の死体」というサイトにエッセイと翻訳4編を載せてもらっています。

(1) T・S・エリオットのホームズ論
(2) S・C・ロバーツ『トスカ枢機卿の死
(3) ロナルド・ノックス『シャーロック・ホームズ文献の研究
(4) S・C・ロバーツ『ワトソン年代学の問題

 このブログでは、カテゴリの「シャーロック・ホームズ」をご覧下さい。
 主なものは次の通り。

翻訳
・ドロシー・セイヤーズ「ドクター・ワトソンのクリスチャンネーム
・エドマンド・ウィルソン「ホームズさん、巨大な犬の足跡だったのです
英国紳士録におけるシャーロック・ホームズ
・マーシャル・マクルーハン「シャーロック・ホームズ対官僚
・ケネス・レックロス「奇妙な時代
・S・C・ロバーツ「シャーロック・ホームズ小伝」1-5
・S・C・ロバーツ「シャーロック・ホームズの性格」1-5
・グレアム・グリーン『コナン・ドイル伝の書評

エッセイ
明智小五郎からシャーロック・ホームズへ
柔道か柔術か1-23 (もう少し続く)
牧師か神父か 1-4
赤毛のでぶ 1-2
・モリアーティ元教授の職業 1-5
凶器としての火掻き棒
棍棒かステッキか1-8
火掻き棒補説 1-2
ホームズの木刀術 1-11
バートン=ライトのステッキ術
手に手をとって1-2
アルペンスキーの元祖コナン・ドイル
ホームズとワトソンの拳銃1-5(まだ続く)
コナン・ドイル卿? 1-9
高名な?依頼人1-5
シャーロック・ホームズと「あの女」1-8
奈良の正倉院1-8

これから書く予定
翻訳
・S・C・ロバーツ『メガテリウム・クラブの盗難』――失われた冒険
・レックス・スタウト他『シャーロック・ホームズを語る――ラジオ座談会』
・ドロシー・セイヤーズ『ドクター・ワトソンの結婚』
・ドロシー・セイヤーズ『アリストレテスの探偵小説論』
・ウィリアム・ジレット『シャーロック・ホームズの苦境』(一幕劇)

エッセイ
・ホームズの頭蓋骨
・プロの美人たち
・コントラルト?
・刺青論
・ホルダーネス公爵と蜂須賀侯爵
・ホームズとボクシング

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2008年7月17日 (木)

環境にやさしい馬鹿

 くたばれ福田康夫。くたばれ環境省。もう少しして盛夏になると、東京都心で環境大臣が音頭をとって焼け石に水をまく行事をやるからね。嘲笑しよう。

 京都議定書では日本はEUと米国に嵌められて、何も分からないまま大きな負担を押しつけられたのだそうだ。
「議長国日本は、終始一貫、蚊帳の外」だったのだという。
『諸君!』8月号の櫻井よしこ氏『まやかしの地球温暖化対策に終止符を』が引用する佐和隆光氏の言葉
「会議が二週目に入ってまもなく、毎夜のごとく開かれるパーティーの会場で、ある外務官僚が私のところにやってきて『排出権取引って何ですか』と尋ねた。私が簡単な説明をすると、その官僚は『どうやらそういうものが導入されるらしいのです』と答えた。」
 
 びっくりでしょう。どうすればいいのだ? 
 ゴミの分別に協力したり、買い物に行くのにエコバッグを使ったりしていては駄目だ、ということだけは分かるはずだ。とりあえず、次のような文献を読め。
   反リサイクル党宣言 参照。
 京都議定書から脱退を宣言するには、どうすればよろしいか?
  断固として脱退するのがベストであるが、日本の政治家にそういう決断は無理かも知れない。それならば、「排出権取引」に難癖をつけて(なぜ中国に得をさせなければならないのか、不公平だ云々)実質的にサボる方法はないのか?

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2008年7月16日 (水)

コナン・ドイル卿?(9)

「今年はシャーロック・ホームズの生誕百周年」どんよりしたある秋の朝、ミセス・ブラッドリーが言った。「この記念すべき年にふさわしいお祝いをうっかりしそびれてしまったとしても、心配はご無用。ブーン・チャントリー卿からわたしたちに、シャーロック・ホームズの夕食会への招待状が届いたわ。夕食会は十一月二十五日、彼のお屋敷で開催される予定よ」
(『ワトスンの選択』p.1の書き出し)

「ブーン・チャントリー卿」が怪しい。2頁を見ると今度は「ブーン卿」と書いてある。Sir Boone Chantreyでしょうね。
 今年の5月に出た本だけれど、延原氏や大久保氏の時代から進歩していないのは困る。こういう翻訳はまだ多い。

 柳広司氏の『吾輩はシャーロック・ホームズである』は大傑作です。表紙はホームズみたいだけれど、背が低いのが変だ。六フィートには見えない。実は……
 この作品の唯一の瑕瑾は「コナン・ドイル卿」と書いてあることです。そのほかは脱帽するほかないできばえだ。

 ホームズなら延原謙訳という定評があったのだけれど、さすがに耐用期限が来たのか。
『フランシス・カーファックス姫の失踪』も何とかならんかね。
 Lady Frances Carfaxは伯爵令嬢である。偉いのだけれど「姫」は困る。
 日暮雅通氏の訳

「レディ・フランシスは、亡くなったラフトン伯爵の直系の一族のなかでまだ生きているただひとりの子孫だ。きみも覚えているかもしれないが、一族の財産を継いだのは男のほうの家系だった。彼女に残されたのは限られた財産しかなかったが、そのなかに銀と珍しいカットのダイヤモンドを施した古いスペインの装身具があった。レディ・フランシスはそれがたいそうお気に入りなんだ――気に入りすぎて、銀行に預けておこうともせず、肌身離さず持ち歩いている。……」

 しかし、このあとの一文がデタラメです。

「レディ・フランシスというのははかなげな風情の美しい人で、まだ中年というには若いくらいの年齢だというのに、不思議なめぐりあわせというのか、つい二十年前にはたいそうな取り巻きだった人たちからすっかり見捨てられてしまった」

A rather pathetic figure, the Lady Frances, a beautiful woman, still in fresh middle age, and yet, by a strange chance, the last derelict of what only twenty years ago was a goodly fleet.

  ちくま文庫の高山宏訳

「本当にかわいそうな人でね、このレディ・フランセスは。美人で、まだ中年の入口という年なのに、奇怪な運命にもてあそばれて、つい二十年前の溌剌たる姿の残骸という有様なのだ」

 正解です。「超人高山宏」なのだそうで、こんなところを間違えるはずがない。
 
 
  日暮訳にかえると――いやあ、翻訳って本当に怖ろしいですね。
 原文は動詞がない破格の形です。
 しかしthe Lady Francesが主語です。be動詞の省略と考えればよい。isをどこに補うのかと問われると困るけれど。ほかの要素はすべてこの主語に対する補語なのだ。
 the Lady Frances=the last derelict of what only twenty years ago was a goodly fleet
  が読めないで勝手訳をこしらえてはイケナイ。fleetが集合名詞だからといって「取り巻きだった人たちがどうこう」などは駄目。「現在のレディ・フランシスは20年前に立派な艦隊であったものの残骸である」という比喩です。

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2008年7月15日 (火)

コナン・ドイル卿? (8)

 The Honourable Ronald Adairの殺人事件が大いに波紋を呼んだという話から始まるのは『空き家の冒険』でした。
 
 ロナルド・アデヤ卿が不可解きわまる状況のもとに殺害されて、ロンドン中の興味をわきたたせ、上流社会を震えあがらせたのは、1894年の春のことだった。
(延原謙訳)

 貴族の子息であるロナルド・アデア卿が異常かつ不可解きわまりない殺され方をして、ロンドンじゅうの興味をかきたて社交界を震撼させたのは、1894年の春のことだった。
(日暮雅通訳)

 Honourableを両氏とも「卿」と訳している。これでよろしいか?
 HonourableはLordとどう違うか?
 ジーニアス大英和辞典
3[限定][H~;通例 the ~] 閣下《◆((英))では伯爵の次男以下の男子, 子爵・男爵のすべての子, ((米))では議員などに対する敬称;【略】 Hon, Hon.》∥the H~ Mr. Justice Smith スミス判事閣下《◆通例姓名を伴うが, 姓だけの時は Mr., Dr. をつける》

 とりあえず米国のことは除外して考える。
 Lordは侯爵から男爵までの爵位を有する人と公爵・侯爵の息子に対する敬称である。Honourableは爵位を有する人には使わない。伯爵の次男以下の男子と子爵・男爵のすべての子に対する敬称である。
 正典にはthe Honourable Miss Milesという名前が出てきた。子爵か男爵の娘もHonourableをつけて呼ぶのですね。
 この女性はどこに出たのでしょうか? 
 チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートンが
「……the Honourable Miss Milesとドーキング大佐の婚約が突然破談になったのは覚えておられるでしょうな。式の二日前になって、モーニングポスト紙に取り止めという記事が出ましたな。なぜか? 実に信じられんことですが、わずか1200ポンドというアホみたいな金があれば、万事解決していたはずなんですよ。……」
 と言って、ホームズとワトソンを憤激させたのだった。

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 いずれにせよ、LordとHonourableではかなり差がある。前者の方がずっと偉いのだ。それにHonourableは女性にも使うのだから「卿」という訳語はやはり不適当でしょう。
 どう訳するか? カタカナのまま「オナラブル」としても読者には分からない。LordやSirほど頻出はしないのだから、ケースバイケースで処理するのがよいと思う。ミルヴァートンの台詞を、日暮雅通氏は
「ミス・マイルズとドーキング大佐のご婚約が……」と訳している。Honourableは無視してしまったのだ。賛成ですね。
 ジョン・ル・カレにThe Honourable Schoolboyという小説がある。訳題は『スクールボーイ閣下』である。こういう綽名で呼ばれる人物がいて云々という話で、それが題名になっているのだから無視するわけには行かない。閣下と訳するのがベストでしょう。

『空き家の冒険』にかえって、日暮氏が「貴族の子息であるロナルド・アデア卿が…」と原文にない語句を補ったのは、何とか元の英語の意味を伝えたかったのでしょう。しかし「卿」はよろしくない。
 私ならば、「伯爵令息ロナルド・アデア氏」とする。ロナルド・アデアがメイヌース伯爵の次男であることが少し先に出てくる。これを一部先取りするのですね。

 何でもかでも「卿」で済ませてしまうのはいけません。
 グーグルに「チャーチル卿」と入力してみると3万1900件もある。英語では
 Sir Winston Churchillか、単にSir Winstonかである。
 Lord Churchillではないし、Sir Churchillとは言わない。
 歴史上の人物なのだから、日本語では呼び捨てでチャーチルと言えばよいのだ。
  ドイル卿、コナン・ドイル卿、アーサー・コナン・ドイル卿もやめましょう。翻訳では「サー・アーサー・コナン・ドイル」か「サー・アーサー」とする。はじめから日本語ならば単にコナン・ドイルなどとして敬称は省くのがよろしい。

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2008年7月14日 (月)

コナン・ドイル卿? (7)

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『バスカヴィル家の犬』で巨大な魔犬に襲われて(?)死んだのは、Sir Charles Baskervilleであった。この人が死ぬと、モーティマー医師が音頭をとって跡継ぎを探した。故人の甥に当たるHenry Baskervilleという男がアメリカにいることが分かった。この男は物語に登場したはじめからSir Henryと呼ばれる。
 バスカヴィル家は準男爵(baronet)の位を世襲している。原則として長男が位を継ぎ、Hugoという名前であれば、Sir Hugo BaskervilleまたはSir Hugoと呼ばれる。*Sir Baskervilleという呼び方はしない。準男爵は男爵の下、ナイトの上の位であるが、貴族ではない。
 延原謙氏の翻訳では「チャールズ卿」「ヘンリー卿」と書いている。これはよろしくない。
 最新の日暮雅通氏の訳ではさすがに「サー・チャールズ」「サー・ヘンリー」となっている。
 むかしは翻訳にカタカナ書きの英語を使うことをいやがって、無理にでも訳す傾向があったようだ。しかしパンツを猿股はよろしいが、ブラジャーを「乳押さえ」はちょっと困りますね。
 Lordを「卿」と訳するとすればSirには別の訳語を宛てるべきで、訳語がなければカタカナのままにしておくのが妥当でしょう。

 もう一つ、訳がむつかしい敬称にHonourableがある。
 
  It was in the spring of the year 1894 that all London was interested, and the fashionable world dismayed, by the murder of the Honourable Ronald Adair under most unusual and inexplicable circumstances.
 
 何という冒険の書き出しでしょうか?

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2008年7月13日 (日)

コナン・ドイル卿? (6)

 ヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝によると、1902年8月にドイルがナイトの位をもらうとすぐ、出入りの洗濯屋が「サー・シャーロック・ホームズ」宛ての請求書を持ってきた。ドイルはかんかんに怒って「お前、ふざけた真似をするなよ」と怒鳴りつけた。
 ところが洗濯屋は別にふざけたのではなかった。担がれただけだった。ナイトの位を授けられると名前が変わる、好きな名を選ぶことができて、ドイルは名探偵の名を選んで「サー・シャーロック・ホームズ」になった――と友達から聞かされて信じ込んでしまったのだった。
 英国人でもナイトのことはよく知らないのだ。日本人が知らなくても仕方がないか。
 そもそもknightとは何か? リーダーズプラス英和辞典
knight
1 《中世の》騎士; 《貴婦人に付き添う》武士.
・the Knight of the Rueful Countenance 憂い顔の騎士《Don Quixote のこと》.
★封建時代に, 名門の子弟が page から squire に昇進し武功を立てて knight となった. ナイトに就任する儀式を accolade といい土地と黄金の拍車 (spurs) を下賜された.

 これが本来の意味である。元々は中世の騎士であって、日本で言えば侍のうち上級の者、「上士」「馬乗りの身分」くらいに当たりますか。ナイトに就任する儀式accoladeではdubbingということをする。ダビングというとテープに録音することしか思い浮かばないけれど

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 エリザベス女王も、同じようにショーン・コネリーの肩を剣で叩いた。両肩を叩いてから
 Rise, Sir Thomas.
と言ったはずである。Thomas Sean Conneryが彼の本名である。「サー・トマス」または「サー・トマス・ショーン・コネリー」が正式の呼び方である。
 サーと呼ばれる身分にはもうひとつ準男爵がある。ナイトは一代限りだが、準男爵の位は世襲である。

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2008年7月12日 (土)

コナン・ドイル卿? (5)

 正典にはLordと呼ばれる人がほかにも何人も出てくる。『独身貴族』では、Lord Backwaterバックウォーター卿という人がいて、これはセント・サイモン卿の友人で「ホームズ氏の判断力と分別は絶対に信頼できる」と言って探偵を推薦したらしい。バックウォーター卿は、侯爵、伯爵、子爵、男爵のいずれかの爵位を持っているか、それとも公爵か侯爵の次男以下である。
 ハノーヴァー・スクエアの聖ジョージ教会で行われた結婚式はごく内輪のもので、花嫁側は父親のアロイシウス・ドラン氏だけだった。花婿側は、バルモラル公爵夫人(花婿の母)、バックウォーター卿、ユースタス卿とレディ・クレア・セント・サイモン(花婿の弟と妹)、それにレディ・アリシア・ウィッティントンだった。
 結婚式はちょっとした妨害があったけれども無事済んだのだが、

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その後で大騒動が起きて、ホームズが乗り出すことになったのだった。
 それはそれとして、レディというのが出てきた。花婿の妹はLady Clea St. Simonだった。リーダーズプラス英和辞典でLadyを引いてみると
Lady
英国では次の場合 女性に対する敬称:
(1) 女性の侯・伯・子・男爵
(2) Lord (侯・伯・子・男爵) と Sir (baronet または knight) の夫人
(3) 公・侯・伯爵の令嬢. 令嬢の場合は first name につける.
 
 花婿の妹は上の(3)に当たる。レディ・アリシア・ウィッティントンは(2)か(3)だろう。(1)ではないと思う。女性が自分で爵位を持っていて「女侯爵」や「女伯爵」などになる場合はまれのはずだ。
 ともかく、Lordは貴族、日本で言えば大名クラスに対する尊称であって、「卿」と訳すことになっている。
 ただし、貴族の中でも一番上の公爵Dukeはまた別格である。
 ホルダーネス公爵Duke of Holdernessが出てきたのは、何という冒険だったか?
『プライアリー・スクール』でした。校長のハクスタブル博士が大騒ぎしてベーカー街でひっくり返ったのは、ホルダーネス公爵がものすごく偉かったからだ。

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 公爵に対してはLord Holdernessという呼び方をしてはならない。Lordは侯爵以下に使うのである。Duke of Holdernessと呼ぶか、His (Your) Grace(閣下)と呼ばねばならない。
 この公爵には一人息子がいるのだが、この子がまだ10歳の子供なのにLord Saltireソルタイア卿と呼ばれている。この「一粒種にしてお世継ぎ」がいなくなったというので大騒ぎになったのだった。
 この事件は1901年(明治34年)のことらしい。イギリスには明治維新がなかった。廃藩置県も版籍奉還もなく、徐々に改革を進めて封建制から近代国家に移行してきたので、封建遺制の残存がある。封建諸侯が元の偉さを多分に残している。さすがのホームズも相手が公爵となると特別扱いしたのだった。

 公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵が貴族で、貴族のうち侯爵以下に対してLordという尊称をつける。このLordは「卿」と訳することになっている。
 ナイトの位knighthoodは貴族よりは下である。Sirという称号を「卿」と訳しては紛れが生じてしまう。

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2008年7月 9日 (水)

サミットの成果?

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 2050年までに温室効果ガス排出を半減する? どう考えても実現不可能だ。福田ビジョン? 福田さんが2050年に生きているはずがない。真面目に考えなかったのだ。官僚に書かせた作文を読んだだけでしょう。福田にビジョンなんて、「比丘尼に魔羅出せ」というようなものだ。
 そもそもそんな目標を掲げる意味があるのか? 地球温暖化の原因は太陽の黒点の活動で温室効果ガスではないという説があるじゃないか。
 ブッシュががんばってくれたおかげで「共有する」という曖昧なかたちになった。インドや中国は当然のことながら反対するし、これで当分は具体的に日本の国益を損なう措置はとられないで済むのではないか。
 福田をできるだけ早く辞めさせ、後任の人がこの問題は何となくうやむやにしてしまう――という手を使う智恵が日本人に残っていれば、国益を損なわないで済むのではないか。

 京都議定書では日本はEUと米国に嵌められて、何も分からないまま大きな負担を押しつけられたのだそうだ。
「議長国日本は、終始一貫、蚊帳の外」だったのだという。
『諸君!』8月号の櫻井よしこ氏『まやかしの地球温暖化対策に終止符を』が引用する佐和隆光氏の言葉
「会議が二週目に入ってまもなく、毎夜のごとく開かれるパーティーの会場で、ある外務官僚が私のところにやってきて『排出権取引って何ですか』と尋ねた。私が簡単な説明をすると、その官僚は『どうやらそういうものが導入されるらしいのです』と答えた。」
 
 びっくりでしょう。どうすればいいのだ? 
 ゴミの分別に協力したり、買い物に行くのにエコバッグを使ったりしていては駄目だ、ということだけは分かるはずだ。

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2008年7月 8日 (火)

コナン・ドイル卿? (4)

「ずっとのちに彼は『三人のガリデブ氏』を書いて、この物語のなかで上記の日にシャーロック・ホームズにナイトの爵位を辞退させているのであるが…」(『コナン・ドイル』大久保康雄訳 p.304)

 そうでした。シャーロック・ホームズはコナン・ドイルと同じ日にナイトの位をもらうはずだった。しかし、ホームズは意固地だから辞退し、ドイルも辞退したかったけれど、母親に説得されて受けたのだ。
 大久保康雄氏は「ナイトの爵位」と書いていますね。これはよろしくない。間違い。
 爵位というのは、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵のいずれかの位のことだ。

公爵 duke (prince)
侯爵 marquess (marquis)
伯爵 earl (count)
子爵 viscount
男爵 baron

  括弧の中は英国から見て外国の爵位。たとえばバートランド・ラッセルは兄の死後に伯爵の位を継いでEarl Russellになった。フランスのモンテ・クリスト伯爵はThe Count of Monte Cristo。

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 日本では1869年に華族制度を設け、1884年の華族令で、公、侯、伯、子、男の5段階の爵位を定めた。これが1947年まで続いた。鹿鳴館と違って、この華族は西洋の貴族の猿真似ではない。
 華族になったのは、公家、大名家、維新の功臣の家であった。公家と功臣はともかく、大名家は西洋の封建諸侯(feudal lords)にほぼ対応するものだった。
 旧将軍家、島津家、毛利家が公爵、大大名(加賀前田家など)が侯爵、中規模の大名が伯爵、5万石未満の小大名が子爵、1万石以上だが分家で大名の格がない家が男爵になった。
 私の小学校の同級生のT君は旧伯爵家の御曹司だった。ドジな子だったので先生によく怒られていた。先生は「こりゃ、T、立っておれ」などと叱りつけておいて「昔だったらお手討ちになるところだな、ハハハ」と笑うのだった。学校から道路一本隔てたところにお城があって、お城の中のものすごく広い家に一度遊びに行ったことがある。昔は三十二万石の城主だったのだ。
 こういう日本の「殿様」を英語に訳するとlordでしょう。日本と西洋の封建制はよく似ていた。封建制があったのは日本と西洋だけだ。マルクスは資本論(第1巻は1867年刊行)で「封建制が現在も残存しているのは日本だけであるから、封建制の研究には日本を研究すればよろしい」という意味のことを書いている。
 lordを辞書で引いてみると、「卿」という訳語が出る。「殿様」を訳語にしてもよいと思うけれど。

 ジーニアス大英和辞典 lord
3. a…卿(きよう)《◆(1)侯[伯, 子]爵の略式の称号;呼びかけも可. (2)男爵の普通の称号;洗礼名を付けない. (3)公[侯]爵の(長子を除く)子息の儀礼的称号;姓を省いてよい》(【略】L., Ld.)∥L~ Cardigan カーディガン卿(=the Earl of Cardigan)/L~ Morrison モリソン卿(=Baron Morrison of Lambeth).

つまり、卿はLordの訳語として使われているのだから、Sirも卿と訳しては困るだろう、と言いたいのです。
 正典では、たとえばLord St. Simonセント・サイモン卿という『独身貴族』の結婚問題に絡んだ騒ぎがありましたね。
 このセント・サイモン卿という人は
「ロバート・ウォルシンガム・ドゥ・ヴィア・セント・サイモン。バルモラル公爵家次男。ふむ。紋章は、地は紺、黒い中帯の上方に三個の鉄菱をあしらう。生年は1846年。四十六歳。結婚に若すぎるとは言えないな。前内閣の植民省次官。父公爵は元外務大臣。プランタジネット王家の直系で、母方はチューダー王家の血を引く。……」

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2008年7月 6日 (日)

日本を見捨てない?

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 ブッシュ大統領は、「拉致で日本を見捨てない」と言ったのだそうだ。本当だろうか? 本当でしょうね。NHKのニュースでそう言っていたから。
 どうも恥ずかしいことですね。ブッシュさんは見捨てない云々を英語で言ったはずだ。
 We won't desert Japan.
 と言ったのだろうか?
 福田氏はそんなことを目の前で言われて平気だったのか?

「別に構いませんよ。北朝鮮のことはアメリカの好きなようにしていただければよろしい。私どもは私どもでやりますから。平壌へ特殊部隊を送り込める体制を早急に整えます。核武装もすぐに着手します」と言うのが独立国の首相ならば当たり前だと思うけれど。

 ところが実際には、福田氏は横田さんの本の英語版をブッシュ氏にプレゼントしたのだって。どういう神経かね。

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コナン・ドイル卿? (3)

 ドイルの功績に対してナイトの位が授けられることになった。

1899年10月   ボーア戦争勃発。ドイル志願。
1900年4月   野戦病院監督として南アフリカに赴く。
1901年1月   ヴィクトリア女王崩御。エドワード7世即位。
1901年8月   『バスカヴィル家の犬』連載を始める。
1902年1月   『南アフリカの戦争――その原因と経過』出版
      5月    ボーア戦争終結
      8月    エドワード7世戴冠式

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 コナン・ドイルは、1902年8月の戴冠式の機会にナイトの位を授けられることになった。

「8月9日、戴冠式の当日を告げる鐘の音がひびきわたったとき、コナン・ドイルは、同時にナイトに叙せられるオリヴァ・ロッジ教授とともに、バッキンガム宮殿の檻のなかへつれこまれた。絹衣装の盛装をこらして美々しく飾りたてた人びとのまんなかで、この二人は心霊学の問題の討議に熱中し、そこへ出かけてきた目的すら忘れてしまうありさまだった。そして、ほどなく彼は日光のなかへ、まだいくらか反抗的な気分で、アーサー・コナン・ドイル卿となって出現したのであった。」
(ジョン・ディクスン・カー『コナン・ドイル』大久保康雄訳 早川書房版p.304)

 ようやく本題です。
 彼はSir Arthur Conan Doyleとなった。これを大久保康雄氏は「アーサー・コナン・ドイル卿」と書いているが、これでよろしいのか?

 よろしくない。ナイトの位をもらったドイルのことを、「アーサー・コナン・ドイル卿」「コナン・ドイル卿」「ドイル卿」「アーサー卿」と呼ぶのは、いずれも不適切である。
 間違いだ――とまでは言い切れないのがむつかしいところだ。
 Sirの称号は、「日本にないもの」だからだ。

「日本にないもの」とは何か?
 英語の初歩の授業では、先生がたとえばbookと発音の模範を示し、生徒がその後について一斉にbookととなえますね。
 明治時代、英語教育が始まったばかりのころは、少々方式が違った。
先生「book 本」 生徒「book  本
 というふうに、先生が単語の発音と意味をとなえ、生徒たちが復唱した。
notebook  帳面」 「notebook  帳面
pencil 鉛筆」 「pencil 鉛筆
knife  包丁」 「knife  包丁
という具合である。発音より意味に重点を置いた。発音は先生も不確かなことが多かった。knifeはクニフェと読んだかも知れない。読み方はどうでもよく、意味の方が大切だったのだ。
 しかし先生にも意味が分からない単語が出てくることがあった。そういうときは
butter  日本にないもの」 
cheese   日本にないもの
 とするしかなかった。バターやチーズがどういうものか、見なくては分からない。
   Cheese and butter are made from milk.
  日本にないもの日本にないものは牛乳から作る。

 Sirはいまだに「日本にないもの」である。baronならば「男爵」でなくてはだめで、「伯爵」とすれば間違いである。
 Sirは「日本にないもの」なのだから、どう訳せば間違いとは言えない。
 しかし、ほかの位や称号との釣り合いを考えると
 Sir Arthur Conan Doyleは
「サー・アーサー・コナン・ドイル」と言うべきだ。
「アーサー・コナン・ドイル卿」はいけない。

 英語では
 Sir Arthur Conan Doyleまたは単にSir Arthurと言うが、
 *Sir Conan Doyle や*Sir Doyleは言わない。
 日本語で「コナン・ドイル卿」「ドイル卿」はいけない。「アーサー卿」もだめ。
 大久保康雄氏が「アーサー・コナン・ドイル卿」と書いているし、延原謙氏は『バスカヴィル家の犬』で「チャールズ卿」「ヘンリー卿」と書いているので、翻訳家の皆さんがいまだに真似をしている。
 しかし、もうやめましょう。「サー・アーサー・コナン・ドイル」「サー・チャールズ」「サー・ヘンリー」の方式に統一することを提案したい。
 もう少し説明が必要かも知れない。

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2008年7月 5日 (土)

1901年のボディビル大会

 1901年9月31日、ロンドンのロイヤル・アルバートホールで世界初のボディビル大会が開催された。(コナン・ドイルとボディビル参照)

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 アーサー・コナン・ドイル(黒の背広姿)と有名な怪力男ユージン・サンドウ(グレーらしい背広姿)などを審査員として、裸男が肉体美を競った。

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 厳正な審査の結果、左から1位のウィリアム・マレー、2位のD・クーパー、3位A.C.スマイズが選ばれた。着衣の男はユージン・サンドウ。 アマチュアはちゃんとパンツをはいてポーズしたらしい。

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 サンドウがイチジクの葉っぱをつけてポーズしたのはプロだからである。
 近年で最高のボディビルダーは、アーノルド・シュワルツェネガーだと思っている人が多いだろうが、そうではない。1960年代から70年代に活躍したセルジオ・オリバの方がはるかにすごかった。サイズだけならば現代のビルダーはもっと大きいが、これはアナボリックステロイド剤を乱用しているからだ。

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2008年7月 4日 (金)

コナン・ドイル卿? (2)

 1902年1月9日、ドイルはパンフレットを書き始め、毎日16時間書いて、17日には
The War in South Africa: Its Cause and Conduct
南アフリカの戦争――その原因と経過
 という6万語のパンフレットを仕上げた。
「私の個人的見解はできるだけ表へ出さず、目撃者の言を、農家の炎上とか暴行とか集中キャンプとかその他の論争問題について、その多くはボーア人であるが、書き記した。説明はなるだけ簡単に短くしたが、事実の正確さについてはどこまでも一貫し、焼けた農家の実数についてだけは自身がないけれど、といっても重大な質問を受けたことは一度もない。私の記述が充実しており効果的であるのを重いながらペンをおいたときは、うれしくてたまらなかった」(『わが思い出と冒険』p.231)

ドイルはこのパンフレットの刊行のために寄付を募った。パンフレットを書き終えるころには1000ポンドほどが集まった。
「多くはあまり余裕もない中から無理をして送ってよこした少額の金であった。中でもきわだった特徴は、毎日のように目の前で行われる中傷に答えることができないのでみじめにされている外国在住の女教師(家庭教師)からの寄付の多いことだった。」(p.232)
  2ヶ月ほどで英語版は30万部ほどを売り上げた。フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ハンガリー語、ロシア語など20カ国語の訳本が出版された。これによって
「大陸の諸新聞の論調に急速な著しい変化が現れた。」(p.238)
 少なくとも「英軍の残虐行為」という悪評はドイルの努力によって払拭された。
「ここまできて私の胸底に深く印象の残っていることは、政府が自分のことなのに十分の説明と防衛策に出なかったことである。一個人が三千ポンドを費やして、一ヶ月という短い期間に世界中の世論に著しい感銘を与え得たのだから、真に資力も知能もある組織ならば、どんなことができるであろう?」(p.240)

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 ボーア人の部隊。
 ボーア人はゲリラ戦を挑んだ。英軍は苦戦を強いられ、ゲリラへの補給を絶つために女子供を含む12万人をconcentration camp強制収容所に収容し、農地や農場を焼き払った。収容所では2万人が死亡した。
 しかし、大陸の新聞で伝えられたような「残虐行為」は、白人であるボーア人に対しては行われなかった。

 1906年、南アフリカは英国領となっていたが、ズールー族の酋長が徴税官を投槍で殺し、これをきっかけにズールー族の反乱がはじまった。
 当時南アフリカにいた37歳のガンジーは、大英帝国の忠良な臣民として英国に味方すべきだと思ったから、在住インド人による篤志救急隊を組織した
 ガンジーが救急隊とともにズールーランドに入ってみると、討伐隊は公開の絞首刑と公開の笞打ち刑で「反乱」を鎮圧しようとしていた。救急隊が看病した負傷者の大部分はズールー族だった。「私たちが行かなければ傷ついたズールー族は何日でも放っておかれたに違いない。ヨーロッパ人は黒人の傷の手当てなどしてやろうとはしなかった。……私たちは五日も六日も放置されて悪臭を放っていたズールー人の傷を消毒してやった。私たちは喜んで仕事をした。ズールー人は私たちと話は通じなかったが、手振りや目の表情から、神が私たちを救助に派遣されたと思っているようだった」討伐隊の蛮行は悪評を呼び、討伐はすぐに中止された。ガンジーの救急隊は六週間でヨハネスバーグに帰った。
(『ガンディーと使徒たち』より)

 この残虐行為はさすがに悪評を呼んだ。しかし、今回は英国の国際的な評価が問題になるような事態にはならなかった。相手は黒人なのだもの。

 ともかく、1902年のドイルは「南アフリカ大虐殺」の冤罪を独力で晴らしたのである。ナイトの位はこの功績に対して与えられた。
 しかし、まだ本題に入っていない。

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2008年7月 3日 (木)

コナン・ドイル卿? (1)

 1902年、アーサー・コナン・ドイルはナイトの位(knighthood)を授けられ、Sir Arthur (Conan Doyle)と呼ばれるようになった。
 シャーロック・ホームズ譚を書いて大衆を楽しませた功績によるのではない。ポール・マッカートニーは1998年に、ショーン・コネリーは1999年にナイトの位をもらっているが、芸能活動のおかげでナイトに叙せられる人が出てきたのはごく最近である。

「ショーン・コネリーはナイトに叙せられた」
Sean Connery was created a knight.

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 100年前には文学もナイトの位には何の役にも立たなかった。ドイルより偉い文学者でもナイトにはなっていない。
 ドイルがナイトになったのは、第二次ボーア戦争(1899年10月-1902年5月)と関係がある。1899年10月ボーア戦争が勃発すると、40歳のドイルはミドルセックスの連隊に一兵卒として志願したが、この志願は却下された。そこでドイルは民間の医師で編成した野戦病院の監督として南アフリカに渡り、1900年4月から7月まで傷病兵を看護した。
 1901年終わりから1902年はじめにかけて、ドイルは南アフリカでイギリス軍が残虐行為を働いているという悪評がヨーロッパに広まっていることに気づいた。イギリス兵は
・ダムダム弾を使用し
・銃剣で赤ん坊を突き刺したりし
・ボーア人の女性を強姦し
・ボーア人の子供を飢え死にさせている
などという報道が外国の新聞で盛んに行われた。もちろん、すべてウソであった。 
  たとえばダムダム弾は南アフリカでは使われなかった。普通の軍用銃の弾丸はフルメタルジャケット(full metal jacket)弾で、鉛の弾芯を真鍮で完全に覆ったものである。この弾丸は標的、すなわち人間に当たった場合、貫通する可能性が高く無用の苦痛を与えない。ところが弾頭に十字の切れ込みを入れておくと、命中後四つに分裂して人体に食い込み大きなダメージを与える。しかし、これは1899年のダムダム弾禁止宣言、1907年のハーグ陸戦条約で禁止されている。英国が白人同士の戦いにダムダム弾を用いるはずがない。この弾丸はカルカッタの近くのダムダムという町にある兵器廠で作ったのでダムダム弾というのである。インドの土人に対して使ったものに決まっているではないか。
 ドイルはイギリスを弁護するためにパンフレットを書いた。

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2008年7月 2日 (水)

禁煙ファシズム対ゴルゴ13

 全国喫煙者同盟は、路上禁煙条例(「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」)を制定している東京都千代田区に対して、非暴力直接行動を行うと発表した。
 来る8月1日、喫煙者同盟員約100名が千代田区神田駅前に集合する。

 現在、千代田区では10人の元警察官を採用して一日中巡回させ、町内会役員や区役所職員も区内をパトロールして喫煙者を発見し次第注意している。煙草を取り出して火をつけようとすれば一分もしないうちに黄緑色のユニフォームに身を包んだ者共が来て「煙草を吸わないで下さい」。吸い続けていると煙草を取り上げてしまう。また新しいのを出して火をつける、また取り上げられる。……そのうちに「あんた、ここがどこか知ってんのか」などと言い出す。どこの人か知らんが、ここは千代田区で、千代田区へ来たら千代田区の規定に従ってもらおうじゃないか、などとまるで岡っ引きだ。町内会の素人が権力の切れっ端を与えられて「何をしても許される」ということになってしまったわけだ――斎藤貴男(さいとうたかを)氏の文章による。

 このようなケチなファシズムも放置しておけば怖ろしいものになる。千代田区長は隣組による相互監視システムを復活させたいのか。

とんとん とんからりと 隣組
格子を開ければ 顔なじみ
廻して頂戴 回覧板
知らせられたり 知らせたり

とんとん とんからりと 隣組
あれこれ面倒 味噌醤油
御飯の炊き方 垣根越し
教えられたり 教えたり

とんとん とんからりと 隣組
地震やかみなり 火事どろぼう
互いに役立つ 用心棒
助けられたり 助けたり

 これに対抗するため、全国喫煙者同盟ではとりあえず同盟員100名を動員し、喫煙デモを行う。100名以上が煙草に火をつけてプカプカとふかしながら、中央通りを日本橋までデモする。希望者は当日神田駅前で参加することができる。煙草、ライター、罰金として5万円を持参すること。

 なお、同盟では、この非暴力直接行動が功を奏しなかった場合の策もすでに考慮している。いつまでも非暴力を貫くかどうかは分からない。次の手は――

 知る人ぞ知るであるが、さいとうたかを氏はゴルゴ13に縁のある人である。
 非暴力で駄目な場合、同盟では熱心な喫煙者であるゴルゴ13に依頼することも考慮している。だれとだれを標的にすればよいかはこれから決めるのだが。あくまでも非常手段であるが、いざとなれば非常手段に訴えることはあえて辞せない。

  カテゴリの「煙草」もご覧下さい。禁煙ヒステリーを許すな! 全国の喫煙者、団結せよ!
  君たちは高みに立って異端者を裁くのがそんなにうれしいか? 異端者がいつまでもおとなしいと思っているのか?  我々は断固闘う、どこからでもかかってこい。

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2008年7月 1日 (火)

非暴力直接行動(8)

 第二次大戦後の植民地の独立はどのようにもたらされたか?
 ベトナム。フランスとしては、戦後にベトナムを独立させるつもりは毛頭なかった。1945年9月、ホー・チ・ミンたちはハノイでベトナム民主共和国の成立を宣言したが、フランスは軍隊を送った。1954年ディエンビエンフーの戦いでフランス軍がベトミン軍に降伏しジュネーブ協定によって撤退するまで第一次インドシナ戦争が続いた。
 インドネシア。日本の敗戦後、オランダは独立を認めず軍隊を送った。1949年まで続いた独立戦争には、残留日本兵2000名も参加した。
 マレーシアとシンガポール。マレー半島は戦略的に重要な領土なので英国は簡単に手放そうとはしなかった。マレー系と中国系の対立もあり、マラヤ連邦として完全に独立したのは1957年である。(シンガポールは1965年に分離独立)
 ビルマ。1942年、アウンサン(アウンサンスーチー女史の父親)らが日本軍の後押しで英軍を駆逐、翌年ビルマ国建国。1945年3月、アウンサンは英国側に寝返ったが、戦後英国は独立を許さず、再び英領となった。1948年、ビルマ連邦として独立。
 住民が非暴力の抵抗運動を行い、支配者が植民地主義の悪を反省して立ち去る――というシナリオが実現していたらどんなに素晴らしいことか。しかし…

 アジア諸国の独立については
・インドとパキスタンを除き、日本軍が支配者を駆逐した。
・日本の敗戦後、現地人が独立戦争を戦った。
・フランスやオランダは負けて追い出された。イギリスは必ずしもそうではない。植民地保有のコストが割に合わなくなってきたのだろう。「インドはもう十分元を取ったし、ビルマのようなつまらない所を持ち続けても。しかし、マレー半島はまだ手放せないぞ」
・インドでガンジーの非暴力主義が独立を「四半世紀以上遅らせた」かどうか。しかし仮にガンジーの指導が貫徹していたらどうか。スバス・チャンドラ・ボース(1897-1945)の路線がなかったとしたらどうか?

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 1943年11月の大東亜会議出席者。左からバー・モウ(ビルマ)、張景恵(満州国)、王兆銘(中国)、東條英機(日本)、ワンワイタヤーコーン(タイ)、ホセ・ラウレル(フィリピン)、スバス・チャンドラ・ボース(インド)。

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