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2008年9月27日 (土)

喫煙の害について

 煙草を吸う女

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 ドイツでは

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 総統も吸わない。

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 諸君も吸わない。だから勝利したのだ。

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喫煙者を差別せよ。絶滅せよ。

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2008年9月26日 (金)

シャーロック・ホームズの来日(2)

 1925年以降に、明智小五郎がシャーロック・ホームズに来日を要請したことがある。しかし、ホームズはこのときは来なかった。「私も歳だし、リューマチもあるので」と断ったらしいが、明智探偵のホームズ宛書簡に対するホームズの返信は残っていない。(明智小五郎からシャーロック・ホームズへ 参照)
 
 山本周五郎訳述の『シャーロック・ホームズ』は152頁の長篇である。
 来日したホームズは、モンゴール王の宝玉(その価値は百億万円)を手に入れるため悪人と闘う。宝玉のありかを知るためには4枚の地図を集めなければならないのだ。

 1914年(大正3年)の『最後の事件』のときに60歳だったホームズは、さらに年齢をかさねても少しも衰えていない。ホームズの活躍は英国が舞台だったときと変わらない。正典に含まれる要素の多くが山本周五郎版ホームズにも出現する。
 たとえばベーカーストリート・イレギュラーズが帝都東京に現れるわけにも行かないから、代わりに凡太郎という浮浪児がホームズの助手をつとめる。49頁にはこう書いてある。

 真田男爵邸を出たホームズは、そこから直ぐに自動車で帰る村田刑事課長と別れたが、待たせておいた凡太郎の姿が、いくら探しても見えない、――一体どこへ行ったんだろう、怪しみ乍ら門前の街を歩いてみると、とある電柱に鮮やかに白チョークで、次のような文句を走り書きしてあるのが眼についた。
――怪しい男が邸へ入って又出てゆきました、僕はこれから後をつけます、凡太郎――
「ふーむ、さてはあの脅迫状を持って来た奴だな、凡太郎なかなか味をやるぞ、うい奴、うい奴」
 にっこり頷いてホームズは歩き出した。

 これを見ると、ホームズはどうも日本語が読めるようだ。それとも浮浪児の凡太郎が実は英語の達人で、白チョークの文句を英語で書いたのだろうか?
 凡太郎が「うい奴、うい奴」だというのはホームズの独白だ。英語では何と言ったのか? まさかホームズにお稚児さん趣味はないと思うけれど。
 毒矢を使うラマ食人種が出てくるのは『四人の署名』に似ている。軽井沢でホームズが滝壺に転落するのはライヘンバッハの滝を彷彿とさせる。『まだらの紐』に至っては、ほとんどそのまま日本で再現される。

『樅の木は残った』(伊達騒動の話)や『青べか物語』(東京ディズニーランドの話)の山本周五郎が訳述したホームズ譚を発掘してくれた末國氏と作品社に感謝したい。
 作品社編集部では山本周五郎の探偵小説が掲載されている可能性のある雑誌を探しているそうです。

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2008年9月25日 (木)

シャーロック・ホームズの来日(1)

 ここは丸の内の帝国ホテル、その十五号室に、三週間前ほどから滞在している一人の英国人があった、――ウィリアム・ペンドルトンと名乗る紳士で、180センチを越す痩せた長身、目の鋭い蒼白めた顔つき、左足を少し引き摺るのが癖だ。
 九時が鳴ってまもなく、ペンドルトンが朝の珈琲を啜っていると、給仕がやって来て一枚の名刺を差出した。
「このお方が御面会でございます」
「朝の面会は困るが……」
「是非にと仰有いますので」
 ペンドルトンは迷惑そうに名刺を受け取った。見ると――「警視庁刑事課長 村田俊一」と認めてある。
「……如何致しましょう?」
「さあ、まだ起きたばかりで取り散らしているが、宜しかったら、此室でお眼にかかるからとそう云って下さい」
「かしこまりました」
 給仕が去ると、待つ程もなく正服の村田刑事課長が足早に入って来た。――ペンドルトンは静かに椅子から立ち上がった。
「どうぞ此方へ、私がペンドルトンです」
「村田です、こんなに早くお騒がせ致しまして申訳ありません。実は至急あなたの御助力を願いたい事が出来ましたので」
「ほう、私に助力を――と仰有ると?」
「非常に奇怪な殺人事件が起こったのです、シャーロック・ホームズさん」
「何ですって?」
 ペンドルトンはきらりと眼を光らせた。――刑事課長はにっこり笑って
「いや、もうお隠しになるには及びません、貴方がホームズ氏であることは、三週間前に横浜へ御上陸なさった時から私の方には分かっていたのです」
「や……こいつはどうも」
 ペンドルトン、否……シャーロック・ホームズは、一本参ったと云う風に体を揺すぶって苦笑した。
 ああ、英国の名探偵、と云うよりも世界的の大探偵として誰知らぬ者なきシャーロック・ホームズが、意外にもはるばると海を渡ってわが日本へ来ていたのだ。何のために……? それはこの一篇の物語の進むにつれて次第に分かって来よう。

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 あの名探偵シャーロック・ホームズが、はるばると海を渡ってわが日本へ来ていたとは!
 この『シャーロック・ホームズ』は、博文館の少年雑誌『新少年』の1935年12月号の別冊附録に一挙掲載された長篇である。コナン・ドイル原作、山本周五郎訳述となっている。(末國善己氏の解説による)

 ホームズが本当に日本に来たのだろうか? 来日はいつのことだったのか? 1935年は昭和10年であるが、この年に来たとは限らない。
 シャーロック・ホームズは1854年1月6日生まれなので、1935年には81歳だ。1925年(大正14年)には71歳である。来日は第一次世界大戦が終わった1918年(大正7年)からあとの大正年間であったと考えるのが自然でしょう。

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2008年9月19日 (金)

公的資金?

 AIGにアメリカの公的資金が注入されるのだって。

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 AIGとはどういう会社か。テレビで一時よくアリコのコマーシャルをやっていた。非常に感じが悪いので、すぐにチャンネルを変えることにしていたが、あのアリコの入院保険の会社らしい。あの保険に入った人は損をしそうだ。しかし、ああいうセンスのコマーシャルにつられるような人に同情はできないね。ざま見ろだ。

「公的資金の注入」が日本で盛んに取り沙汰されたのは何年前だったか。公的資金というと分かりにくいが、要するに私が払った税金だ。銀行はさんざんもうけてきたはずだ。経営陣が馬鹿なことをした後始末になぜ私の税金をつぎ込まなければならないのか。納得できない。
 あの公的資金騒ぎの数年前に、私は大病をして弱っていた。初期死亡率何パーセント、5年後生存率何パーセントという難病である。もうどちらもクリアして健康になったけれど、当時は本当に困った。2年ばかり医療費を免除してもらったけれど、収入がなくて家計が逼迫しても、まさか「公的資金を注入して欲しい」とは思わなかった。私には何の落ち度もなかったんだけれど。

 そういうわけで、銀行なんかとはつきあいたくない。しかし、現金をタンスにしまっておくわけにも行かないから困るのだ。
 そこで提案したいのは、カーストの創設である。銀行は人に金を貸してもうける卑しい商売である。しかも自分の失態を税金で尻ぬぐいしてもらっているのだ。銀行員を被差別カーストに指定すべきだ。
 銀行員は大いに差別すべきだ。しかし、差別と言っても具体的にはどういうふうに差別すればよろしいのか? その辺はカーストの本場インドをお手本にこれから研究すればよろしい。

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2008年9月18日 (木)

独身貴族のモデル(2)

 Gilded Prositution(金メッキの売春)は、大西洋を越えた結婚によって地位と金銭を交換する制度であって、1870年から1914年の間にひろく行われた――とMaureen E. Montgomery女史の
Gilded Prostitution: Status, Money, and Transatlantic Marriages, 1870-1914
という本に書いてある。

『独身貴族』の話は1886年のことらしい。この時点で英国の貴族と米国の富豪の間の縁組みが何組もあったはずだ。
 その中には、公爵家次男と百万長者の一粒種の組み合わせもあったに違いない。男の方が四十歳を越えていて、結婚には十分円熟した年齢である(mature for marriage)場合もあっただろう。女が四十歳を越えているなんてことはなかった。大富豪の娘ならいくらでも嫁入り先はあったから。
 政治家ウィンストン・チャーチル(1874-1965)の両親の場合などは、典型的なgilded prostitutionであった。

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 ウィンストン・チャーチルの父ランドルフ(1849-95)は、第7代モールバラ公爵で保守党の政治家ジョン・スペンサー・チャーチルの次男だった。チャーチル家はスペイン継承戦争(1701-14)でジョン・チャーチルが大手柄を立てた。彼は総司令官としてアン女王の英国軍を率い、ルイ14世のフランス軍を破った功績により初代モールバラ公爵となった。

 ランドルフ・チャーチルは1873年、23歳の時に、米国の大富豪レナード・ジェロームの次女ジェニー(当時18歳)と出会って一目惚れし、結婚を申し込んだ。しかし、結婚には障碍があった。以下、関榮次氏の『チャーチルが愛した日本』に寄りかかって書くと

 ランドルフの両親は、ジェローム家の格式が低いとしてこの結婚には反対だった。ジェローム家の方でも、ランドルフが公爵家の跡継ぎではなく次男で資産もないことを嫌っていたし、美貌のジェニーにはヨーロッパ中の貴族がもっと好条件で結婚を申し込んでくるはずだという思惑もあった。
 しかし若い二人の決意は固く、親の方が根負けした形になった。モールバラ公爵は、ランドルフが国会議員に当選すれば結婚を許すことにした。1874年1月の総選挙で、ランドルフは当選した。
 2月にモールバラ公爵夫妻はパリまで出向いて、弁護士を立ててジェローム家と交渉し、5万ポンドの持参金という条件を引き出し、二人の結婚に同意した。
 5万ポンドは5桁であって、ハティ・ドーラン嬢の6桁の持参金には及ばない。ドーラン嬢が一粒種であるのに対して、ジェローム家には3人も娘がいたのだから、これはやむを得ないだろう。しかし5万ポンドは現在の価値では何千万ポンドにもなるのだそうで、ものすごい額である。
 この5万ポンドが年4分に回ると2000ポンドになる。これに父公爵からの手当1000ポンドを加えると3000ポンドの年収が見込めた。現在のいくらになるのだろう? 不労所得である、元本には手をつけないで金利で生活する、というのは、どうもすごいですね。
 次男で家督相続ができないランドルフ・チャーチルがジェニーと結婚するにはジェローム家の資金援助が不可欠だった。しかし、ジェローム家はウォール街の暴落で損失を被ったばかりだったので、交渉は難航したようだ。
 モールバラ公爵家も領地から莫大な収入があったが出費がかさみ、左前になっていた。ロスチャイルド家に領地を切り売りし、宝石、絵画、古文書などがクリスティーの競売にかけられていたことは公然の秘密であった。
  したがって、この結婚によって美しいミス・ジェロームが共和国の一女性から一挙に英国貴族の一員となるとしても、彼女のみが利益を受けるわけではないことは明らかであった。どちらも得をする、いわゆるwin-winの関係だったわけです。
 二人は1874年4月に結婚し、ウィンストン・チャーチルは11月に早産で生まれた。
 チャーチルの父ランドルフは若手政治家として活躍し、母ジェニーはその美貌で社交界の花形となった。

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2008年9月17日 (水)

独身貴族のモデル(1)

 独身貴族、セントサイモン卿の結婚にまつわる奇っ怪な事件がホームズのところに持ち込まれたのは、ワトソン自身が結婚する数週間前のことだった。ワトソンはまだベーカー街にいたから、モーニングポスト紙の消息欄をホームズに読んで聞かせることができた。

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 バルモーラル公爵家次男、ロバート・セントサイモン卿とカリフォルニア州サンフランシスコ市のアロイシャス・ドーラン氏の一人娘ハティ・ドーラン嬢との縁談は首尾よくまとまり、近く華燭の典を挙げられる由。

A marriage has been arranged and will, if rumour is correct, very shortly take place, between Lord Robert St. Simon, second son of the Duke of Balmoral, and Miss Hatty Doran, the only daughter of Aloysius Doran, Esq., of San Francisco, Cal., U. S. A.

 原文を見ると、46歳の独身貴族と若いアメリカ女性の結婚は、見合い結婚arranged marriageだったことが分かる。ワトソンの結婚は純然たる恋愛結婚だった。ホームズも一度婚約したことがある。何という事件の時でしたか?
 チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートンのメイドと婚約したのだった。結局は婚約不履行を決めこむのだけれど、仮に結婚したとすればやはり恋愛結婚である。
 ワトソンは中流階級である。ホームズはエスコットという名前の鉛管工に化けたのだったが、これはまず下層階級でしょう。中流以下の者は「くっつき合い」で結婚してもよろしいけれど、公爵家と大富豪のような上流階級となるとそうは行かない。もちろん、見合いも英国と日本ではだいぶ事情が違う。たとえば仲人という制度は英国にはなかったようだ。
 セントサイモン卿はサンフランシスコではじめてハティ・ドーラン嬢に会い、社交シーズンになって父親に連れられてロンドンに来た彼女に再会した。何度か会ってから婚約したのだ。
 モーニングポスト紙がA marriage has been arranged(縁談がまとまった)という書き方をしているのは、もちろん、公爵家とドーラン家の間に持参金の額などをめぐってシビアな交渉があったことを暗示している。この辺の事情を別の新聞は、こう書いている。

 結婚市場における現下の自由貿易主義は国産品に甚だ不利であり、遠からず保護政策の必要が叫ばれるであろう。大英帝国の名家の支配権は大西洋の向こうから来る美しき従姉妹たちの手に次々とわたりつつある。先週も美しき侵入者の一人が見事金的を射止め、最近のかかる傾向にきわだった一例を加えた。二十年来頑としてキューピッドの矢を寄せ付けなかったセントサイモン卿が、カリフォルニアの百万長者令嬢ミス・ハティ・ドーランと近く結婚することが、このたび正式に発表されたのである。ウェストベリー・ハウスの祝宴においてその秀麗なる容姿で衆目を集めたドーラン嬢は、大富豪の一粒種であり、持参金は優に六桁を越え、将来はさらに莫大な遺産を相続するものと見られている。一方、バルモラル公爵が数年来所蔵の絵画をやむなく売却しつつあることは公然の秘密であり、セントサイモン卿もバーチムアの広からぬ領地のほかには自身の財産を持たぬ身であるから、今回の結婚によってカリフォルニアの女相続人が、共和国の一女性からかくも容易に英国貴族の一員となるとしても、彼女のみが利益を受けるわけではないことは明らかであろう。

 この記事をよく読んでみると、このような、英国貴族の男子と米国の富豪の子女の縁組みが珍しくなかったことが分かる。
 こういう組み合わせには、gilded prostitution(金メッキの売春)というひどい呼び方があったくらいなのだ。

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2008年9月16日 (火)

証券化はすばらしい

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 証券化とはどういうことか? 証券化にはどういうメリットがあるか――という記事の英訳をした記憶がたしかにある。前世紀のことだから細部はよく覚えていないけれども。
 外資系証券会社(リーマン・ブラザーズではなかったと思う)の日本法人が日本人顧客向けに開発した金融商品のセールス資料だった。顧客向けには日本語のままでよいのだけれど、本社に対して「こういうことをしています」という報告が必要なので英訳させられたのだ。
「証券化」を英語でどう言うか?
 DDwinで串刺し検索してみると、13種類の辞書中4種類で、証券化=securitizationであることが分かる。
 しかし、この4種の辞書はどれも21世紀になってから出た新版である。当時、20世紀の辞書には載っていなかったと思う。OSはウィンドウズ98、パソコンはアスロン550GBか、あるいはその前のペンティアム233GBだった。辞書ソフトDDwinは使っていたが、当時の辞書にはsecuritizationという単語はなかったはずだ。
 辞書にはなくてもsecuritizationという英語があるはずだと見当をつけてインターネットで検索してみると、かなり用例があった。検索にグーグルを使ったかどうか? グーグルはまだなくて、AltaVistaで検索したように思う。
 そういう大昔に証券化が日本でも知られるようになったときは、まさかサブプライム問題なんてものが起きるとは予想もできなかったはずだ。

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日本経済新聞の経済新語辞典から

証券化 〔経済新語辞典〕securitization 債権や不動産など一定のキャッシュフローを生む資産を組み替えて証券とし,第三者に売却すること。資産の保有者にとって資金調達の一手段となる。ローンや賃貸ビルなどの利息や賃貸料などが証券を購入する投資家にとって期間収益になるが,資産の保有者にとっても資産の圧縮や効率活用につながり,利用する企業が増えている。海外などに特別目的会社を設立して,証券を発行することが多い。証券化によって,資産の小口化,定型化が進み,第三者が比較的自由に売買できるメリットがある。仲介する証券会社や銀行などのビジネスとしても注目されている。

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2008年9月11日 (木)

キルトの下?

 どうなっているかというと

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 こうです。
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2008年9月10日 (水)

有毒輸入米?

 疑問点がたくさんある。

(1)有毒な輸入米? どこから輸入したのか? 「中国からの輸入だ」とテレビなどでほとんど言わないのはなぜか?

(2)ウルグアイラウンドで輸入が義務づけられている? しかし、有毒米を輸入する義務はまさかないはずだ。農林水産省が「メタミドホスが検出されたから送り返す。直ちに代金を返却せよ」という要求をしなかったのはなぜか? ミサイルを撃ち込むと脅かされたからか? 農水省幹部がハニートラップにかかったのか? 

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(3)日本米の対中輸出を禁止できないか? 中国人の金持ちは自国の米が有毒だと知って、価格が20倍もする日本米を食べているそうだ。支那人には支那有毒米を食べさせろ。自業自得だろ?

(4) 三笠フーズの社長の責任は? あれは詐欺ではないのか?

(5) 農水省の責任は? 税金を使って有毒米を輸入するなどという決定をしたのは何という名前の役人だ? 

(6)“有毒大米"渉案主犯王斌被警方抓荻---中国語の新聞の写真についていたキャプション。「有毒米事件の主犯が警察に捕まった」というような意味か? 死刑にするのだろうか? 向こうでは「有毒米事件」が報道されているらしいが、日本の新聞で報じないのはなぜか?

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2008年9月 9日 (火)

チベットの鳥葬

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[河口慧海]
 
  チベットのいわゆる鳥葬というのは仏法の方では風葬というもので、チベットでは屍体をチャ・ゴエ(禿鷲)に食わせるのをもって一番良い葬り方としておるです。その次が火葬水葬で、一番悪いのが土葬である。土葬は通常の病気で死んだ時分には誰でもやらないです。チベット人は非常に土葬を嫌う。ただ天然痘で死んだ時分だけ土葬にするです。ソレは鳥に与えれば鳥に伝染の憂いがあり、また河に流せば、他に伝染の憂いがあるというところから、許されないのです。火葬はマア良い方ですけれども、殊に薪の少ない処でもあり、マサカ屍体をヤクの糞で焼くこともできませんから、ソレで火葬は余ほど上等の人でなけりゃア行われない。水葬は大きな河の辺では大抵行われるです。ソレも屍体をそのまま河の中に投りこまない。屍体の首を切り、手を切り、足を切り、みんな切り離して流すです。ソウするとあっちの洲に止りこっちの崖に止ることもなく、魚もまた食いやすいからということであります。空葬といって空に葬るのは、いわゆる鳥に食わせるので、コリャ実地私が見たところでお話しましょう。
 この四通りの葬り方について、ドウいうふうにして好いかとラーマに尋ねるので、ラーマはその人相応の指図をするのです。何でこの四通りの葬り方があるかというと、インド哲学の説明では、人体は地、火、水、風の四つよりできておるという。それ故この四つに帰る道があるので、土に帰るのは地、ソレから水、火、そして鳥に食わすのが、すなわち風に帰るのであるという説明なんです。大抵マア僧侶は皆鳥に食わせる。ただ法王とか、或いは第二の法王および尊き化身のラーマ達は、コリャ別物であって、普通の僧侶は鳥に食わせます。
 私が今度送ってまいります葬儀もこの鳥葬で、まずセラの大学から出て、東へ向って行くと河の端に出る。その河辺を北へ廻り、山の端について二、三町も行きますと、同じく河端で、しかも山の間に高さ六、七間もあろうかという、平面の大きな天然の巌があります。その平面の処は広さ十五、六坪もある。そこがすなわち墓場でして、墓場のグルリの山の上、或いは巌の尖には、怖ろしい眼つきをした大きな坊主鷲が沢山おりますが、それらは人の死骸の運んで来るのを待っているのです。まずその死骸の布片を取って、巌の上に置く。デ坊さんがこちらで太鼓を敲き、鉦を鳴して御経を読みかけると、一人の男が大いなる刀を持って

《死骸の料理》 まずその死人の腹を截ち割るです。ソウして腸を出してしまう。ソレから首、両手、両足と順々に切り落して、皆別々になると、それを取り扱う多くの人達(その中には僧侶もあり)が、料理を始めるです。肉は肉、骨は骨で切り離してしまいますと、峰の上、或いは巌の尖にいるところの坊主鷲はだんだん下の方に降りて来て、その墓場の近所に集まるです。まず最初に太腿の肉とか何とか良い肉をやり出すと、沢山な鷲が皆舞い下って来る。もっとも肉も少しは残してあります。骨はドウしてそのチャ・ゴエにやるかというに、大きな石を持って来て、ドシドシと非常な力を入れてその骨を叩き砕くです。その砕かれる場所もきまっている。巌の上に穴が十ばかりあって、その穴の中へ大勢の人が骨も脳蓋骨も脳味噌も一緒に打ちこんで、細く叩き砕いたその上へ、麦焦しの粉を少し入れて、ゴタ混ぜにしたところの団子のような物を拵えて鳥にやると、鳥は旨がって喰ってしまって、残るのはただ髪の毛だけです。

《食人肉人種の子孫》 さて、その死骸を被うて行ったところの布片その他の物は隠亡がもらいます。その隠亡は俗人であって、その仕事を僧侶が手伝うのです。骨を砕くといったところが、なかなか暇がかかるものですから、やはりその間には麦焦しの粉も食わなければならん。またチベット人は茶を飲みづめに飲んでいる種族ですから、お茶を沢山持って行くです。ところが先生らの手には、死骸の肉や骨くずや脳味噌などが沢山ついているけれども、一向平気なもので、「サアお茶を喫れ、麦焦しを喫れ」という時分には、その隠亡なり手伝いたる僧侶なりが手を洗いもせず、ただバチバチと手を拍って払ったきりで茶を喫むです。その脳味噌や肉の端切のついている汚ない手で、ジキに麦焦しの粉を引っ掴んで、自分の椀の中に入れて、その手で捏ねるです。だから自分の手についている死骸の肉や脳味噌が、麦焦しの粉と一緒になってしまうけれども、平気で食っている。ドウも驚かざるを得ないです。余りやり方が残酷でもあり不潔ですから、「そんな不潔なことをせずに、手を一度洗ったらドウか」と私がいいましたら、「そんな気の弱いことで坊主の役目が勤まるものか」と、こういう挨拶。デ「実はこれが旨いのだ。汚ないなんて嫌わずにこうして食ってやれば、仏も大いに悦ぶのだ」といって、ちっとも意にかいしない。いかにもチベットという国は、昔は羅苦叉鬼(ラクシャキ)の住家で人の肉を喰った国人であって、今の人民もその子孫であるということですが、なるほど羅苦叉鬼の子孫たるに愧じないところの人類であると思って、実に驚いたです。
(河口慧海『西蔵旅行記』1904年)
上記は『チベット旅行記(下)』より
http://www.gutenberg21.co.jp/tibet2.htm

 入手しやすい刊本は『チベット旅行記』として白水社版と講談社学術文庫版があるが、いずれも原文を改変している。
 高島俊男先生曰く
「私なんぞは、明治の文章が持っている明治の匂いがうれしいので、こうヘナヘナと書きなおされては、あさましくも味気ない感を禁じ得ない」
(『本と中国と日本人と』p.217)
  上記インターネット版は、1904年に博文館から出た『西蔵旅行記』の原文に近いのではないだろうか。確かめてはいませんが。

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2008年9月 8日 (月)

チベットのポワ(ポア)と鳥葬

 命終の時には、一般の民家でも同様に、直ちに祈祷僧を招いて祈祷を乞う。そしてポワという祈祷を行う。ポワとは転移或いは遷移の意味である。霊魂を他に移すことをあらわしている。即ち体内の魂を体外に引き出し、天上界とか安楽界とかに送り移す祈祷である。この祈祷の効果が顕著に現れると、死人の体が運動を起こすと信ぜられている。また、人が死んでも頭上に暖かさが残っているのは、天上界に生まれる証左であり、足の先が暖かいのは地獄に堕ちる徴である。足の先の暖かい死人には、ポワの祈祷をしても効果はなく、転じて善い世界に生をうけさせることはできない。悪は善よりも力強く、命終の即座に、霊魂は地獄行きとなり、暫くも体内に留まっていないからである。魂を取り去った死体は部屋の一隅におかれ、穢い毛布に包まれる。両膝を胸のところで堅く縛り、頭を中間に挟み、屍骸を一つの団塊にしてしまう。日を選んで、未明ひそかに死体運搬人にこれを渡す。身寄の者はもとより師弟関係も、誰一人として付添はない。日本の場合とは全く異なっている。彼らとしては、霊魂を失った死体は一つのぬけがらで、土塊と等しく、何らの価値がないというのである。
 斯くして、死体を禿鷹の住んでいる岩窟のほとりに運び、その食用に供する。この禿鷹は翼を張ると一丈に及ぶものがあり、嘴と、爪は鋭く、飛翔は甚だ迅速である。幼児などはそのまま掴んで飛び去ることもある。さて死体は岩窟にはこばれ、大盤岩の上で、隠坊によって解体せられる。胴と手足を切り離し、骨から肉を毟りとり、骨を細々に叩き、禿鷹がすぐ嚥下できるように寸断するのである。それを待ち構えていた禿鷹の群は、一片一塊の残すところもなく直ちに食い尽くしてしまう。このような鳥葬は西蔵では普通一般の葬儀である。彼らはこのように一物も残らずに無に帰したことを、死人の後生がよかったと喜ぶ。
(多田等観『チベット』岩波新書1942年)

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 写真は『普通でないe-ricos』からお借りしました。
http://e-ricos.net/blog2/2006/09/post_33.html

 中国の西蔵自治区当局は鳥葬は非衛生的だとして火葬を奨励していたが、2006年鳥葬について撮影や報道を禁ずる条例を公布して、伝統文化を保護することになった。チベットには約1000箇所の鳥葬用石台があるが、関係者以外による撮影や見物、及び鳥葬用石台近くの採石など開発行為も禁じた。
(ウィキペディア)
 

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2008年9月 4日 (木)

中国崩壊の可能性

(オリンピック終了後に)中国が崩壊する可能性は極めて高い。いつ事がはじまってもいい状況に来ている。……
……有事に備えて派遣している日本人従業員の身の安全は考えなければならない。そのためにどんな手を打っておくか。日本へ帰ってくる航空会社のオープンチケットを、パスポートと一緒にいつも持っているように言い含めて渡しておきます。
 今外国の航空会社は中国の奥地でも路線を開いています。それに外国の航空会社はチケットを持っている客を優先しますので、いざというときにはすばやく中国から脱出できるのです。
 搭乗日が記載されていないオープンチケットは一年有効ですから、一年ごとに切り替えればいい。一流企業でもそこまでやっているところは少ないでしょう。中小企業はそこまで考えも及ばなかったかもしれません。
 しかし、これは必ず準備しておくべきです。
(長谷川慶太郎)

 私(ブログ筆者)は、日本の一流企業や中小企業の中国との取引の文書をかなり見ている。どの会社も「中国が崩壊する可能性」は考えていないようだ。これから合弁会社設立の契約を締結するというのだから、「脱出用のチケット」の準備がしてあるとは思えない。
 大丈夫なのだろうか? 
 長谷川慶太郎氏の予測はこれまでも的中してきたのだ。
 長谷川氏曰く。

「最悪の場合には、投資は全部捨てるという覚悟をしておく。施設から機械まで全部捨てる。それは駐在員に言っておかなければなりません。『まず命が一番だ。まずは逃げろ』と。」

 逃げるときにはどうすればよいか? 長谷川氏によれば
・いざというときはアメリカ系の航空会社に逃げ込め。
・中国はやくざと同じで強きに弱く、弱きに強い。だからアメリカに頼るべきだ。
・日本の外務省は頼りにならない。今の日本政府には邦人救出などできない。

 中国に在留する日本人は上海だけでも4万7000人以上いる。戦前に日本が中国に「権益」を持っていた時代でも、これよりはるかに少なかっただろう。昔なら何かあれば陸戦隊を出したのであるが、今では法人救出用の政府専用機も出せないだろう。
 中国の有事がどう始まるかは、長谷川慶太郎氏も「予測できません」と言う。都市の暴動、少数民族の過激派のテロ、北朝鮮からの難民流入、ロシアとの国境紛争、原発の放射能漏れ、三峡ダムの崩壊などの可能性があるという。

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