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2008年9月 9日 (火)

チベットの鳥葬

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[河口慧海]
 
  チベットのいわゆる鳥葬というのは仏法の方では風葬というもので、チベットでは屍体をチャ・ゴエ(禿鷲)に食わせるのをもって一番良い葬り方としておるです。その次が火葬水葬で、一番悪いのが土葬である。土葬は通常の病気で死んだ時分には誰でもやらないです。チベット人は非常に土葬を嫌う。ただ天然痘で死んだ時分だけ土葬にするです。ソレは鳥に与えれば鳥に伝染の憂いがあり、また河に流せば、他に伝染の憂いがあるというところから、許されないのです。火葬はマア良い方ですけれども、殊に薪の少ない処でもあり、マサカ屍体をヤクの糞で焼くこともできませんから、ソレで火葬は余ほど上等の人でなけりゃア行われない。水葬は大きな河の辺では大抵行われるです。ソレも屍体をそのまま河の中に投りこまない。屍体の首を切り、手を切り、足を切り、みんな切り離して流すです。ソウするとあっちの洲に止りこっちの崖に止ることもなく、魚もまた食いやすいからということであります。空葬といって空に葬るのは、いわゆる鳥に食わせるので、コリャ実地私が見たところでお話しましょう。
 この四通りの葬り方について、ドウいうふうにして好いかとラーマに尋ねるので、ラーマはその人相応の指図をするのです。何でこの四通りの葬り方があるかというと、インド哲学の説明では、人体は地、火、水、風の四つよりできておるという。それ故この四つに帰る道があるので、土に帰るのは地、ソレから水、火、そして鳥に食わすのが、すなわち風に帰るのであるという説明なんです。大抵マア僧侶は皆鳥に食わせる。ただ法王とか、或いは第二の法王および尊き化身のラーマ達は、コリャ別物であって、普通の僧侶は鳥に食わせます。
 私が今度送ってまいります葬儀もこの鳥葬で、まずセラの大学から出て、東へ向って行くと河の端に出る。その河辺を北へ廻り、山の端について二、三町も行きますと、同じく河端で、しかも山の間に高さ六、七間もあろうかという、平面の大きな天然の巌があります。その平面の処は広さ十五、六坪もある。そこがすなわち墓場でして、墓場のグルリの山の上、或いは巌の尖には、怖ろしい眼つきをした大きな坊主鷲が沢山おりますが、それらは人の死骸の運んで来るのを待っているのです。まずその死骸の布片を取って、巌の上に置く。デ坊さんがこちらで太鼓を敲き、鉦を鳴して御経を読みかけると、一人の男が大いなる刀を持って

《死骸の料理》 まずその死人の腹を截ち割るです。ソウして腸を出してしまう。ソレから首、両手、両足と順々に切り落して、皆別々になると、それを取り扱う多くの人達(その中には僧侶もあり)が、料理を始めるです。肉は肉、骨は骨で切り離してしまいますと、峰の上、或いは巌の尖にいるところの坊主鷲はだんだん下の方に降りて来て、その墓場の近所に集まるです。まず最初に太腿の肉とか何とか良い肉をやり出すと、沢山な鷲が皆舞い下って来る。もっとも肉も少しは残してあります。骨はドウしてそのチャ・ゴエにやるかというに、大きな石を持って来て、ドシドシと非常な力を入れてその骨を叩き砕くです。その砕かれる場所もきまっている。巌の上に穴が十ばかりあって、その穴の中へ大勢の人が骨も脳蓋骨も脳味噌も一緒に打ちこんで、細く叩き砕いたその上へ、麦焦しの粉を少し入れて、ゴタ混ぜにしたところの団子のような物を拵えて鳥にやると、鳥は旨がって喰ってしまって、残るのはただ髪の毛だけです。

《食人肉人種の子孫》 さて、その死骸を被うて行ったところの布片その他の物は隠亡がもらいます。その隠亡は俗人であって、その仕事を僧侶が手伝うのです。骨を砕くといったところが、なかなか暇がかかるものですから、やはりその間には麦焦しの粉も食わなければならん。またチベット人は茶を飲みづめに飲んでいる種族ですから、お茶を沢山持って行くです。ところが先生らの手には、死骸の肉や骨くずや脳味噌などが沢山ついているけれども、一向平気なもので、「サアお茶を喫れ、麦焦しを喫れ」という時分には、その隠亡なり手伝いたる僧侶なりが手を洗いもせず、ただバチバチと手を拍って払ったきりで茶を喫むです。その脳味噌や肉の端切のついている汚ない手で、ジキに麦焦しの粉を引っ掴んで、自分の椀の中に入れて、その手で捏ねるです。だから自分の手についている死骸の肉や脳味噌が、麦焦しの粉と一緒になってしまうけれども、平気で食っている。ドウも驚かざるを得ないです。余りやり方が残酷でもあり不潔ですから、「そんな不潔なことをせずに、手を一度洗ったらドウか」と私がいいましたら、「そんな気の弱いことで坊主の役目が勤まるものか」と、こういう挨拶。デ「実はこれが旨いのだ。汚ないなんて嫌わずにこうして食ってやれば、仏も大いに悦ぶのだ」といって、ちっとも意にかいしない。いかにもチベットという国は、昔は羅苦叉鬼(ラクシャキ)の住家で人の肉を喰った国人であって、今の人民もその子孫であるということですが、なるほど羅苦叉鬼の子孫たるに愧じないところの人類であると思って、実に驚いたです。
(河口慧海『西蔵旅行記』1904年)
上記は『チベット旅行記(下)』より
http://www.gutenberg21.co.jp/tibet2.htm

 入手しやすい刊本は『チベット旅行記』として白水社版と講談社学術文庫版があるが、いずれも原文を改変している。
 高島俊男先生曰く
「私なんぞは、明治の文章が持っている明治の匂いがうれしいので、こうヘナヘナと書きなおされては、あさましくも味気ない感を禁じ得ない」
(『本と中国と日本人と』p.217)
  上記インターネット版は、1904年に博文館から出た『西蔵旅行記』の原文に近いのではないだろうか。確かめてはいませんが。

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