« ヴィクトリア皇帝(5) | トップページ | リーマンと山一 »

2008年10月26日 (日)

ヴィクトリア皇帝(6)

 王(女王)と皇帝はどう違うか? 皇帝の方が偉い? その通りだけれども、それだけが違いではない。皇帝にはなれても、王にはなれない場合があるのだ。
 ナポレオン・ボナパルトは1804年に元老院の決議によって皇帝に推戴され、12月2日にノートルダム大聖堂で戴冠式を行った。
 
 Coronation_napoleon
  戴冠式では、皇帝や王になる人は冠をかぶせてもらうのがふつうなのに、ナポレオンは自分で勝手にかぶった。絵はナポレオンが皇后のジョゼフィーヌに冠をかぶせるところ。真ん中で長い杖をもっているのが教皇。ふつうは教皇に戴冠してもらう。

 フランス革命は1789年7月14日のバスチーユ襲撃に始まった(この日は日本では「パリ祭」だけど、おフランスでは単にle quatorze Juillet(7月14日)というざんす)。
 ナポレオン・ボナパルト(1767-1821)は1785年に士官学校を出て砲兵士官になり、革命後はヨーロッパ諸国を相手に戦って大功績を挙げた。1799年11月9日、ブリュメール十八日のクーデタで独裁権を握り、1804年に皇帝になったのだ。
 1793年に処刑されたルイ十六世はフランスのであった。ナポレオンはなぜ王ではなく皇帝になったのか? 皇帝の方がいいからといって選んだのではない。王にはなれなかったのだ。
 ルイ十六世はブルボン家の出で、フランク族の王家につながる血筋である。フランク族の王は神の子孫であった。日本の天皇が天照大神の子孫なのと同じだ。キリスト教になってからはもちろん「神の子孫」を自称できなくなったが、「王権神授説」は王家の血筋と無関係ではないだろう。
 そこへ行くと、ナポレオンはコルシカの馬の骨である。フランス人でさえなく、本名はブオナパルテというイタリア人だ(ボナパルトはフランス風に改めた名字)。フランス人が王(=一族の長)として仰ぐことはできない。
 ナポレオンのカリスマは彼を皇帝にしたが、王にすることはできなかった。
 ヨーロッパで初めて皇帝になったのはローマのアウグストゥスであったが、彼も王位は具合が悪いから避けたようだ。(続く)

|

« ヴィクトリア皇帝(5) | トップページ | リーマンと山一 »

コメント

「イアン・フレミング極秘文書」という小説の冒頭に、エドワード8世がBBCラジオを通じて退位のメッセージを述べるシーンが出てきますが、そこで彼は「数時間前、国王および帝王としての最後の務めを終え」と言っています。虚実ない交ぜの小説ではありますが、このメッセージは本物でしょう。原文を見ていませんが、「帝王」は「emperor」の訳語だと思います。

投稿: 土屋朋之 | 2008年10月26日 (日) 16時06分

なるほど、1936年ならばインド皇帝の位があったはずですね。実際にそういうメッセージを出したのでしょう。

投稿: 三十郎 | 2008年10月26日 (日) 19時49分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/24757962

この記事へのトラックバック一覧です: ヴィクトリア皇帝(6):

« ヴィクトリア皇帝(5) | トップページ | リーマンと山一 »