ヴィクトリア皇帝(13)
ロシアの皇帝はツァーリである。
ツァーリの正統性の根拠の少なくとも一部はチンギス・ハーンにある。
これは私の独自の説である。自慢しているのではありません。素人の憶説だということです。
むかし、判例を読んでいると「弁護人の述べるところは畢竟、独自の説であって云々」というのがよく出てきた。独自の説をとなえるとは偉いとほめているのかと思うと、そうではなく、我妻先生や団藤先生の教科書に書いてないような説は問題外ということだ。どうも法学というのはかなわんと思ったね。
チンギス・ハーン(1167-1227)の死後しばらくしてモンゴル帝国は分裂したが、キプチャク・ハーン国がロシアを属国として貢租を取り立ててた。キプチャク・ハーン国によるロシアに対する間接支配をタタールのくびきという。13世紀前半から1480年までの約250年間である。
(http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/kou_chirekikouminn/sekaishichizu/mongoria/mongoria_6.html)
ツァーリは中世ロシアでは最高の主権者という意味でビザンティン皇帝をさしたが,〈タタールのくびき〉のもとではキプチャク・ハーンにも使われ,その使用はやがて同じタタール系のカザン・ハーンなどにも及んだ。ロシアの君主ではイワン3世がリボニア騎士団との交渉でツァーリを称したのが最初であるが,その公的使用はなおしばらくは限られていた。モスクワ大公がタタールに代わるロシア平原の支配者として現れ,西方の神聖ローマ皇帝との対等意識もめばえた15世紀末~16世紀初め,〈双頭の鷲〉の紋章や,ウラジーミル・モノマフがビザンティン皇帝から受領したとされる王冠〈モノマフの帽子〉が使われはじめ,大公家の系譜をローマ皇帝アウグストゥスにさかのぼらせる伝承も生まれ,イワン4世が1547年,最終的にツァーリをその公的称号に取り入れた。(平凡社世界大百科事典)
ツァーリ=皇帝は、はじめキプチャク・ハーンに対して使われた、というのだから、ロシア皇帝位の正統性の根拠を遡るとチンギス・ハーンに行き着くというのは、全くのデタラメとは言えないと思う。チンギス・ハーンは史上最大の大帝国を築いた正真正銘の皇帝だったのだから。
とすると、インドの「ヴィクトリア皇帝」もチンギス・ハーンにゆかりがあるはずだ。
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コメント
はじめまして。
独自の説というか、残念ながら(?)それは近年けっこう言われています。
イワン4世雷帝はチンギス末裔のサイン・ブラトという人物に半年間名目的に位を譲ってから再び即位するという謎の行動をしていますが、これはチンギス家(アルタン・ウルク)の権威を獲得するためだったという説があります。
またモスクワ公ないしロシア皇帝は比較的早い時期から東の遊牧世界では「白いハーン」(西方の王という意味)として知られていました。さらにモスクワの宮廷には多くのタタール系貴族が存在しており、16世紀末には全貴族の三分の一を占めていたとされます。ムスリムも普通にいます。17世紀はじめの動乱期に帝位についたボリス・ゴドゥノフもタタール系で、キプチャク貴族の末裔です。
投稿: 通りすがり | 2008年12月 1日 (月) 18時31分
なるほど、知らなかった。どこのどなたか知りませんが、ありがとう。
投稿: 三十郎 | 2008年12月 1日 (月) 19時37分