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2008年12月 6日 (土)

柔道か柔術か(29)



  前回は失敗した。那嵯涼介氏からコメント欄で異議が出た。
『Gスピリッツ』のVol.8で那嵯氏がライリーとそのジムのことを書いているのを読んだのに、書くときはすっかり忘れていた。

 那嵯氏によれば

 ライレーは1896年にウィガン郊外のリーという町でアイルランド人の両親から生まれた。母親の反対を押し切りレスリングを始めたのは、彼が10歳前後の頃であったと思われる。鋳型工の見習いをしながらレスリングジムに通い、大人の炭鉱夫に混じって練習していたライレーはすぐに頭角を現し始める。
 1910年に弱冠14歳で初めてプロとして賞金マッチを行い、19年には100ポンドをかけて、地元ウィガンのスプリングフィールド公園でボルトンのビリー・ムーアズと対戦、大英帝国ミドル級タイトルを獲得した。この日は4000人の観客を集めたという。(GスピリッツVol.8 p.65)

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  1920年代には主に賞金マッチを戦い、1930年代に始まったアメリカ式興業では大活躍してミドル級タイトルを取った。ジムを開設したのは1940年代初頭である――これも那嵯氏による。この記事『ウィガンにあった黒い小屋』は5段組11ページにわたり写真も豊富な力作である。
 那嵯氏の記事は特別企画『Uの源流を探る/前編』の一部であるが、次号Vol.9の後編ではサブミッション・レスリングの柔術起源説を真っ向から否定している。

 私が柔道か柔術か(23)で提起した(1)から(7)までの仮説は反証されるか?
 必ずしもそうは言えないと思う。那嵯氏のレスリング研究は行き届いている。しかし、私が(23)でタニ・ユキオ対英国レスラーの戦いについて書いた

 20世紀初頭の英国のレスラーたちが関節技でギブアップを狙うという戦い方を知っていたのならば、体重が57kgに満たない「ちっぽけなジャップ」が連戦連勝できるはずがないではないか。

 という疑問は解消されない。(続く)

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コメント

ご反論、とても嬉しいです。
こうこなくっちゃいけません(笑)。

『Gスピリッツ』VOL.9の拙稿を出来ましたら、再度ご確認頂きたいです。
私は「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン(CACC)にはルール上、興行における通常の試合でのサブミッションによる決着が認められていない時期があった」と断定的に書きました。
その根拠として、私は以下の3点の当時の文献による記述を挙げております。
・夏目漱石が正岡子規に宛てた書簡の中の記述 (こちらでもご紹介されておりますので省略致します)
・前田光世がその書簡(『世界横行柔道武者修 業』等)において「柔道と同じような締めや逆手 はあるが、普段は禁止されている」と記している点。
・1890年(柔道、柔術が欧米で紹介される以前)発行のトム・コナーズの自伝『MODERN ATHLETE』には「1865年から70年頃にかけて 試合での危険技の使用が禁止された」旨が書かれている点。

この3点については、どのようにお考えになりますか?

技術としては存在していても、実際の試合で使用できなければ、競技者はその技術の習得を怠り、「忘れ去られた口伝のみ伝わる」技術と成り下がる。
これ、少し前の日本でもありましたよね。
「グレイシー柔術」がUFCで一躍脚光を浴び、日本格闘技界も「黒船襲来」と騒然となった時、すっかり忘れ去られていた「古流柔術」「高専柔道」「七帝柔道」の技術が見直されました。
日本柔術の出現により、100年前のCACCの世界でも全く同様の出来事が起こった、と推測するのは暴論とも思えないのですが、いかがなものでしょうか。

それから、こちらのブログでは「中世ヨーロッパの騎士たちの戦術の中に組討系の技術は存在しなかった」という内容の記述があったように記憶しておりますが、それでは私が拙稿『危険で野蛮なレスリング』に掲載した古文書に掲載されていた、複数の挿絵をどのように解釈されておられるのでしょうか。

ご高察の程、お聞かせ願いたく存じます。

投稿: 那嵯涼介 | 2008年12月 6日 (土) 16時05分

当方がVol.8をよく読まなくてミスをしてしまったので、論争としては不利ですね。こちらはこちらの論理の運びを考えていたのですが、具体的に疑問点を提起されては答えないわけには行かないだろう。今度はよく読んで慎重に書きましょう。しばらく待ってください。

投稿: 三十郎 | 2008年12月 6日 (土) 20時10分

那嵯さんに質問なんですが、マット・フューリーなるゴッチの晩年の弟子がゴッチから聞いた話として、ゴッチが藤原たちに教えたのはサンボの関節技である旨のことをネット上で書いておりました。
 私も以前からサンボの関節技とゴッチのサブミッションの類似性が気になっておりましたが、これをどのように解釈なさいますか?
 私の考えではランカシャーキャッチアズキャッチキャンにサブミッションはあった、しかしそれはリストを極める程度の単純なものであった、第二次大戦後ビリー・ライレーがサンボを研究し現在の形のサブミッションレスリングが生まれた、このように私は解釈しておりますが?

投稿: | 2008年12月 6日 (土) 22時20分

名前を書き込むのを忘れてしまいましたスガヤスと申します

投稿: スガヤス | 2008年12月 6日 (土) 22時26分

スガヤスさん

マット・フューリーが何を発言したのかは詳しく知りませんが、ゴッチのレスリング人生において、その周囲にロシア出身の数名のレスラーの存在があった時期があるのは確認しておりますので、技術の一部にサンボからインスパイアを受けたものが存在した可能性は否定しませんが、もし仮にそれが事実であったとしても、極々一部であることは断言できます。

>第二次大戦後ビリー・ライレーがサンボを研究し現在の形のサブミッションレスリングが生まれた
それでは、戦前に出版された欧米のレスリング技術書に掲載されている、複雑な関節技の数々をどのように解釈されますか?
Gスピリッツにおける拙稿は、ご覧いただけましたでしょうか?
もしご持論を展開されるのなら、もう少し資料を読み込むなりの勉強が必要である気が致します。

投稿: 那嵯 | 2008年12月 6日 (土) 23時06分

那嵯様お返事ありがとうございます。
>それでは、戦前に出版された欧米のレスリング技術書に掲載されている、複雑な関節技の数々をどのように解釈されますか?

ウールフェアで行われていたレスリングにそれ程高度な関節技があったのでしょうか?それは本当に中世の騎士が行っていた戦闘術との歴史的連続性があるのでしょうか?

投稿: スガヤス | 2008年12月 6日 (土) 23時49分

スガヤスさん

すみませんが勉強不足で「ウールフェア」という単語を存じませんので、お答えのしようがありません。
それから、まず私の質問にお答え頂けますでしょうか。


投稿: 那嵯涼介 | 2008年12月 7日 (日) 00時00分

こんにちは。各エントリーを興味深く読ませて頂きました。那嵯さんの登場で盛り上がって来ましたね。

さて、タニ・ユキオ対英国レスラーの戦いについては、明白な要素を見逃しておられるように思います。

1)柔道家は、柔道ルールであれば、柔道未経験のレスラーには体重差があっても勝てる可能性が高い。

関節技の有無よりも着衣かどうかのほうが影響するように思います。

2)日本人選手が連勝してスターになることは、興行上の大きなメリットがある

日清日露、日英同盟の時代ですから、日本人選手が外人エースとして扱われるのはあり得ることです。

投稿: D | 2008年12月 7日 (日) 02時04分

D氏のコメントについて(ほかのコメントについてはのちほど)。「明白な要素を見逃している」のではありません。逆にD氏の方に見逃しがある。タニの戦いの大部分は「プロレス興業」ではありません。ミュージックホール・レスリングである。素人も飛び入りオーケーの懸賞試合です。タニに勝てば100ポンドという大金を得られる真剣勝負だったのだ。「興業上のメリット云々」の話は成り立たない。着衣かどうかは大きな要素だったでしょう。しかし相手がプロで体重差が大きければ帳消しになるはず。未知の関節技の効能が大きかったのだ。

投稿: 三十郎 | 2008年12月 7日 (日) 09時44分

返信ありがとうございます。

木戸銭を取っていたのか、飲食料金に上乗せしていたのか、対戦相手から参加料を取っていたのかは
知りませんが、対価を払う客を呼ぶためにレスリングの試合をするのであれば、それは興行でしょう。
また、観客が一切対価を払わなかったと仮定しても、スポンサーにとっては大きな会場でたくさんの
人の前で試合が行われることに意味があるのですから、集客を増す為の努力は興行と同じですよ。

いかにも強そうな大男ではなく小柄な日本人だから素人が挑戦する気になるというのもあるし、
タニに負けたレスラーにだって、「あんな小男にやられたんだから俺でも勝てるかもしれない」と
思わせることで挑戦者を呼び込むというメリットがある。

ちなみに、ご存知かもしれませんがチェスタトンのブラウン神父に「銅鑼の神」という話があり、
ボクシング興行の話が出て来ます。文庫の解説には原著の出版は1914年とありましたが、貴族が
興行主となり、レフェリーがいて、音楽堂に観客を2000人も集めるタイトルマッチのエピソード
が書かれています。同じ時期に、レスリングでも同様の「プロレス興行」が行われていても
不思議ではないですし、そこで勝敗がコントロールされることがないとは言い切れません。

また、タニだってまがりなりにも柔道でメシを食ってるプロですから、いかに相手が一流レスラーで
あっても、柔道を見た事が無い選手と柔道ルールで闘えば30キロ前後の体重差などどうにでもなると
思いますね。研究されたら勝てなくなるかもしれませんが、初戦ならまず負けは無いですよ。

投稿: D | 2008年12月 7日 (日) 15時03分

「プロレス興業」というのは単に「商売」「プロ」ということではなく、アルバートホールやセントジェームズホールのような大会場でやる、現代のような形式の興行のことです。そういうのを夏目漱石も見た。その興業はアマレス式のレスリングで、真剣勝負だったので漱石は退屈した。それとは別にミュージックホール・レスリングがあった。これも入場料を取ったのだから広義の興業ではあるけれど。ミュージックホールは音楽堂にあらず。日本で言えば「寄席」みたいなものです。ここで酒も出す。この点は私も書いているはず。ミュージックホールがどんなものかは、たとえば長谷川如是閑の『倫敦! 倫敦!』参照。

投稿: 三十郎 | 2008年12月 7日 (日) 15時19分

追加。ミュージックホール・レスリングの賞金は100ポンドという大金だった。現代の貨幣価値に換算すれば100万円以上(最近の円高で少し下がったか)です。だから、バーナード・ショーの『バーバラ少佐』に出てきたように素人が挑戦して「真剣勝負」を挑むことはよくあったはず。「純プロレス」の「純興業」でも、20世紀はじめにはほとんどが真剣勝負だったのではないかと私は見ています。暗黙の合意が始まるのはプロレスのルールが変わってからでしょう。

投稿: 三十郎 | 2008年12月 7日 (日) 15時26分

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