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2008年12月26日 (金)

シャーロック・ホームズの階級(1)

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 代々の地主の家柄だったのだから、階級は中流の上の方でしょう?
 いや、ここではそういう話ではなくて、ボクシングの階級のことです。
 以前、ホームズはミドル級だと書いたけれども(赤毛のでぶ(2))、訂正した方がいいかも知れない。
 
  ワトソンはこう書いている。

 シャーロック・ホームズは運動のための運動はまずしない男だ。腕力はほとんど誰にも負けなかったし、同じ重量級で彼ほどすぐれたボクサーを私は見たことがない。しかし彼は目的のない運動をエネルギーの浪費と考えていた……
(『黄色い顔』)

『黄色い顔』がストランドマガジンに載ったのは1893年のことである。このころボクシングの階級はどうなっていたか? 

 *フライ級      112ポンド(50.8kg)以下 
 *バンタム級   ~118ポンド(53.5kg)
 フェザー級    ~126ポンド(57.1kg) 
 ライト級     ~135ポンド(61.2kg)
 *ウェルター級  ~147ポンド(66.6kg)
 ミドル級     ~160ポンド(72.5kg)
 *ライトヘビー級 ~175ポンド(79.3kg)
 ヘビー級     175ポンド超過
 
 はじめはフェザー、ライト、ミドル、ヘビーの4階級しかなく、*を付けた階級は遅れてできた――これは間違いがない。ただ、新しい階級がいつごろできたのか? 1893年にワトソンが「同じ重量級」と書いたのは、ミドル級か、ウェルター級か? 私は前には英語版のウィキペディアを参考にして「ホームズはミドル級だ」と書いた。これが間違いとは言えないにしても、ワトソンの友人、コナン・ドイルがボクシングを扱った作品を手掛かりに、もう一度考える値打ちはあるかも知れない。(続く)

Boxing5

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2008年12月25日 (木)

柔道か柔術か(38)


 
 catch-as-catch-canはOED(Oxford English Dictionary)に定義がある。
  動詞catchを用いた語句として、ハイフンなしのcatch as catch canとハイフン付きの形が挙げられている。

catch that catch may, catch as catch can, etc.: phrases expressing laying hold of in any way, each as he can.

catch as catch canはcatch that catch mayと言っても同じ意味で、「掴めるように掴む」という意味を表す語句である。
 一番古い例文は1393年の

Gower Conf. III. 240  Was none in sight But cacche who that cacche might.

 これはミドルイングリッシュで綴りも現在とは違う。1949年の例文

R. Harvey Curtain Time 130  The production was usually a hurried, catch-as-catch-can affair. 
(上演はふつう急ぎの出たとこ勝負のものだった)

ハイフン付きの形は
catch-as-catch-can, the Lancashire style of wrestling.

 キャッチ・アズ・キャッチ・キャンとは、すなわちランカシャー式のレスリングであることが分かる。

 キャッチ・アズ・キャッチ・キャン=掴めるところを掴む

が基本の意味であり、レスリングでは、グレコローマンやカンバーランド・ウェストモーランド式のような制限がなく、自由に相手の体のどこでも掴んでよいレスリングである。
 1895年刊行の『スポーツ百科辞典』から例文二つ

The principal chips associated with catch as catch can wrestling are the double Nelson, the half Nelson, the heave [etc.].
(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン・レスリングの主要な技は、ダブルネルソン、ハーフネルソン、ヒーブ(投げの一種)などである。)

Turkish wrestling is principally carried out in catch as catch can style.
(トルコのレスリングは主にキャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイルで行われる。)

 catch-as-catch-canは、グレコローマンのような制限がないレスリングという意味だ。
 20世紀になって、さらに制限が少ないオールイン(all-in)式レスリングが現れた。これが興業として行われるようになったのが、現在のようなプロレスである。オールインとは「何でもあり」の意味であるが、もちろん本当に何でもありではない。目潰しなどの危険な行為は当然禁止である。格闘技戦で使うようなパンチやキックも禁止である。暗黙の了解に反するような行為も事故につながるから当然禁止である。

 OEDで見る限り、レスリング用語としての「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」は19世紀後半になって用いられるようになったもので、現在の「フリースタイル」とほぼ同じレスリングであった。

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「オールイン」は、現在のプロレス式のレスリングであり、その意味でのall-inは1913年が初出である。

 all-inの定義としてOEDには
in Wrestling, without restrictions. (レスリングで制限がないこと)

とある。その意味で一番古い例文は1913年刊行のJ.E.G.Hadath作Schoolboy Gritという小説にある。

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A fight is just a fight: Catch-as-catch-can, All-in, and Best-your-enemy-anyhow!
(戦いは戦いだ。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンでも、オールインでも、「何でも勝てばよい」式でも。)

 1931年、E・J・ハリソンの『レスリング』から
Any aspirant for mat honours will not seek to explore and master the mysteries of All-in until he has gained a good working knowledge of orthodox Catch-as-Catch-Can.
(マットの上で栄誉を得んとする者は、オールインの神秘を探索し会得する前にまず正統的なキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの十分な実用的知識を得るべきだ。)

1944年、ジョージ・オーウェルがHorizonという雑誌に書いている。
To the extent that all-in wrestling is worse than boxing. 
(オールイン・レスリング(=プロレス)の方がボクシングよりひどい)

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2008年12月24日 (水)

柔道か柔術か(37)

ピンフォールかタッチフォールか

 pin-fallをOED (Oxford English Dictionary)で引いてみよう。

pin-fall  Wrestling, a fall in which a wrestler must hold an opponent down for a specified length of time

ピンフォール レスリング用語 レスラーが相手を一定時間押さえていなければならないフォール

 touch-fallはOEDに定義がない。しかし、ピンフォールの「一定時間」という要件を欠くフォールであることは分かるはずだ。
 ピンフォールは「ピンで刺すように押さえつけるフォール」であり、タッチフォールは「相手の両肩を同時にマットに接触させるフォール」である。
 現在のアマチュア・レスリングの規則では、相手の両肩を1秒間マットに押しつければフォールが成立するということになっている。ところがアマレスの試合を見ると

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 レフリーは、ニアフォールの状態になると片手を上げ、両肩がマットに接触した瞬間に上げた手を下ろしてフォールを宣言している。接触が1秒間持続する必要はないようだ。

 OEDのpin-fallには、1907年と1976年の例文が上げられている。

1907 Daily Chron. 21 Dec. 9/5  These two…wrestlers having agreed to contest the best of three pin falls in the catch-as-catch-can style.

この二人のレスラーは、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイルでピンフォールを(3回のうち)2回取った方が勝ちということで戦うことに合意した。

1976 K. Bonfiglioli Something Nasty in Woodshed iv. 41  He helps the other chap back into the ring…then administers a fearsome forearm smash and the winning pinfall. 

彼は相手がリングに戻るのを助け…猛烈な前腕のスマッシュを浴びせてピンフォールで勝ちをおさめる。

 1907年のデイリー・クロニクル紙の記事は、真面目なキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの試合の記事らしい。プロレスか、アマレスか? たぶんプロだと思いますね。この時代にはまだアマレスはそれほど盛んではなかった。一方プロレスは、デイリー・クロニクルのような一般紙(イギリスの東京スポーツではなく)の記事になるくらいのステータスがあった――これは私の推定ですが、だいたい正しいだろうと思う。夏目漱石が1901年12月にキャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイルの真面目なプロレスの試合を観戦し、その試合経過を翌日のデイリー・テレグラフ紙(漱石が取っていたのはこの新聞だった)が詳しく報じているのだもの。

 ところで、以前にcatch-as-catch-canの語はOEDの見出しにないと書いたけれども、これは間違い。載っていました。この点についてはまた。

 1976年の例文は、どうやら小説の一節らしい。明らかに今様のプロレスですね。現在形で書いてあるのは、「試合運びの筋書き」なのかも知れない。前腕のスマッシュforearm smashというのは、プロレス技としては「肘打ち」ですね。ただし、本当の肘打ちは危険すぎてK-1でも禁止されているくらいだから、代わりに前腕部で叩くのだ。

 ピンフォールの定義に戻ろう。相手を一定時間押さえていなければならないとして、その一定時間はどうやって測ったか? もちろん、ワン、ツー、スリーとカウントした。漱石は1901年に見た試合について

西洋の相撲なんて頗る間の抜けたものだよ。膝をついても横になっても逆立をしても両肩がピタリと土俵の上へついてしかも、一、二と行事が勘定する間このピタリの体度を保っていなければ負でないっていうんだから大に埒のあかない訳さ。

 と書いている。「一、二と行事が勘定する」というのは、ツーカウントという意味ではないだろう。

 100年ほど前の英国では、プロレスもアマレスもキャッチ・アズ・キャッチ・キャンであった。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンはピンフォールで勝負をつけた。ピンフォールは、現在のアマレスのように両肩を一瞬マットにつければよいのではなくて、スリーカウントする間(たぶん2秒くらい)持続的に押さえつけておくフォールである。
 たとえば、空手チョップの連打、バックドロップ、ボディスラムなどで相手を弱らせておくことができれば、ピンフォールも取りやすいだろう。

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 しかし、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン(≒フリースタイル)で戦う限り、アマでもプロでもピンフォールを得るのは容易なことではない。なかなか勝負がつかなくて、「西洋の相撲なんて頗る間の抜けたものだよ」ということになるのだ。

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2008年12月17日 (水)

柔道か柔術か(36)

 近代レスリング(エンサイクロペディア・ブリタニカの記事)

 19世紀後半になって、二つのレスリング・スタイルが支配的になった。一つはグレコローマン、もう一つはキャッチ・アズ・キャッチ・キャンすなわちフリースタイルである。
 グレコローマン・レスリングは最初にフランスで広まったが、古代人がこのようなレスリングをしていたと考えられたので、この呼び方になった。グレコローマン・レスリングのホールドは上半身のみにかけることができ、寝技でも相手に脚を巻き付けてはならない。元来グレコローマンはプロのレスリングであり、パリ万博によって普及した。1896年に第1回近代オリンピックに取り入れられてから、1900年と1904年を除いて、毎回のオリンピックで行われている。

 第二のスタイルであるキャッチ・アズ・キャッチ・キャンは、主として英国と米国でまずプロのスポーツとして普及したが、1888年にアマチュア体育協会に公認されてからはアマチュア・スポーツともなった。オリンピックには1904年に導入され、以後1912年を除いて毎回行われている。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンは上半身のホールドと脚のグリップを許し、勝敗はピンフォールで決める。

 フリースタイルあるいは国際フリースタイルはキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを修正した形のレスリングで、1920年ごろアントワープで始められオリンピックで行われるようになった。国際フリースタイルはルーズ・レスリング(組み合った体勢からではなく離れて始めるレスリング)であり、英米式レスリングのピンフォールではなくグレコローマンと同じようにタッチフォールで勝敗を決める。

 19世紀末から20世紀初頭にかけての有名なプロレスラーには、ロシア人のジョージ・ハッケンシュミットがいた。彼はグレコローマンのアマチュアであったがプロに転向し、1900年からはキャッチ・アズ・キャッチ・キャンで戦った。彼は1908年まで世界チャンピオンだった。アメリカ人レスラーのフランク・ゴッチは、1908年と1911年にハッケンシュミットを破った。プロレスはボクシングに人気では負け始めていたが、ゴッチが1913年に引退して以降は真面目なプロスポーツではなくなった。以後は特に米国でラジオ中継やその後はテレビ放送によって観客こそ増えたものの、全くの見世物になってしまった。選手は「ヒーロー」と「ヴィラン」(「ヒール」とは言わないのだろうか?)に分かれ、どちらが勝つかは技術ではなくプロモーターの都合で決まった。レスリング技はますます派手で人工的で偽物になってきた。

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 ひどい? 「ライオンには動物学を教えさせない」という原則で執筆者を選んでいるらしいのです。

 グレコローマンは、近代のフランスで作ったレスリングなのですね。壺絵などにレスリングをしている男が描かれているのを見て、「昔はこういうレスリングをしたのだろう」と想像してルールを作ったのだ。
 だから、柔道か柔術か(33)で訳したハリソン氏の論考を敷衍すれば――ネロ皇帝時代のレスラーが近代フランスの「グレコローマン」を見たら、「これがギリシャローマ式レスリングだって? とんでもないよ」と言うだろうというのだ。
 スープレックスという単語もフランス語なんだって。仏和辞典には載っていなかったけれど。

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 ジャーマン・スープレックスと呼ばれるようになったのは、アメリカ人がカール・クラウザー(ゴッチ)をドイツ人だと思ったからだ。それに、フレンチ・スープレックスなんて、French kissや French letterの仲間みたいでしょう。

 ブリタニカの記事に戻ると、ピンフォール(pin-fall)とタッチフォール(touch-fall)という英語が出てきた。どう違うのか、調べてみよう。(続く)

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2008年12月16日 (火)

ブッシュに靴

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 ブッシュはいい気味だったね。ざま見ろ。

 投げつけた話なら、私も聞いて知っている。
 投げたのは草鞋で、相手は昭和天皇だ。
 私が卒業した高校の名物教師で
「あの先生は天皇に草鞋を投げつけたんだって」
 という評判の先生がいた。 
 昭和20年代に天皇が全国巡行をなさったときに、何も見るもののない市だから、元県立一中だった我が母校にご案内した。

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 学徒出陣帰りだったK先生は、校舎の2階から
「私の戦友はお前のおかげで死んだのだ!」
 と叫んで草鞋を投げつけたらしい。今なら大騒動だけれど、当時は別にどうということはなかったのだという。

 投げた草鞋が顔に当たった話もある。私の曾祖父が投げた。
 我が家の仏間に、紋付羽織袴で威儀を正した40代の曾祖父の写真がある。その曾祖父の子供のころ(江戸時代)の話を祖母から聞いた。
 庭で遊んでいた曾祖父が、落ちていた草鞋を何気なく投げた。ところが間の悪いことはあるもので、草鞋は表の街道を歩いていた侍の顔に当たった。
「おのれ、武士の面体に何たる無礼をするか。子供と言えども許さん。手討ちに致す。それへ直れ」
 平謝りに謝って、お金も出して許してもらったのだそうだ。
「もしあのときに手討ちにされていたら、おまえも今ここにいない」
と、祖母は言ったのだけれど、本当だろうか。

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2008年12月15日 (月)

柔道か柔術か(35)

Rikifouzan
 (「思い出館」よりお借りしましたhttp://omoidekan.com/rikidouzann.html

 全国のプロレスファンの皆さん、今晩は。提供は三菱電機です。
 キャッチ・アズ・キャッチ・キャンとは、カール・ゴッチやビル・ロビンソンのレスリングではありません。ビリー・ライリーのスネークピットでやっていたという物凄いレスリングではありません。
 フリースタイルのことなのだ。
 だいたい分かってきたと思うけれど、証明するために、もう二押し三押ししてみたい。
 まず、エンサイクロペディア・ブリタニカのレスリングという項目を見てみよう。エンサイクロペディア・ブリタニカは、昔から有名だ。

Oldencyclopedia

 1890年(明治23年)、赤毛連盟の会員に選ばれたジェイビズ・ウィルソン氏は、週に4ポンドの報酬で、エンサイクロペディア・ブリタニカを筆写するという仕事を与えられた。彼はこの百科辞典の項目をペンとインクで紙に写して行き、Abbots, Architecture, Armour, Atticaと進んで、やがてBに入ろうかというところで……

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 有名な百科辞典であって、たいてい当代の最高権威が執筆する。たとえば「現象学」の項目はフッサールが書いているはずだ。

 この「最高権威が執筆する」という点は、レスリングについてはどうなっているか?
 
 ウラジミール・ナボコフをハーバード大学のロシア文学教授に招聘しようかという話が出たときに、ロマン・ヤコブソンが

「しかし、動物学教授にライオンを招聘しますか?」
と反対して潰してしまった。

 ブリタニカのレスリングの項目も、執筆者は最強のレスラーではない。
 まあ、どう書いてあるか見てみよう。(続く)

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2008年12月14日 (日)

柔道か柔術か(34)

 「各種のレスリング」補遺

 ハリソン氏が見たというタイホーという相撲取は誰だろうか? 大鵬ではもちろんない。身長6フィート6インチから7インチというと2メートルくらいだ。大内山? 出羽ヶ岳? 時代が違う。ものすごく強い横綱ならば太刀山だろうか? 

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 カンバーランド・ウェストモーランド式レスリングとはどんなものか、知らないで訳したのだけれども、あれで間違いはなかったようだ。
 選手が右四つに組んだ体勢から試合を始め、倒れたら負けになる。その点では韓国のシルムとほぼ同じである。シルムではまわしをつかみ合うのに対して、カンバーランド・レスリングでは互いに相手の背中に回した両手をクラッチする。その手が離れれば、倒れなくても負けになるというルールだ。

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 そんな軟弱なレスリングでは話にならんというのが、ハリソン氏の意見らしい。
 ただ、掴んでいる手を離せば負けというルールは、ほかのレスリングにも影響を与えている。
 ご存じ「人類最強の男」アレクサンドル・カレリンにまつわる話である。

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 1999年前田日明と唯一の他流試合を戦ったのち、カレリンは前代未聞の五輪4連覇をかけて2000年のシドニー大会に臨んだ。アメリカのガードナーとの決勝戦で惜しくも敗れたが、そのとき判定のポイントになったのが、このクラッチであった。
 両選手は互いに相手の背中に回した手をクラッチしてもみ合っていたが、一度カレリンの手が離れたことがビデオ判定の結果分かって、ポイントで負けたのだった。

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 それはともかく、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンとは、要するにフリースタイルのことであって、全国のプロレスファンの皆さんが考えているようなすごいレスリングではない――この点はどうでしょう? もう(33)で分かったはずだけれど、もう少し(続く)

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2008年12月13日 (土)

柔道か柔術か(33)

各種のレスリングについて  Schools of Wrestling

               By E.J. Harrison

From Wrestling: Catch-as-Catch-Can, Cumberland & Westmorland, & All-in Styles, published under the auspices of W. (Billy) Wood, London, W. Foulsham and Co. Ltd., 1928.

原文は
http://ejmas.com/jcs/2004jcs/jcsart_Harrison_0704.htm

 太古の昔から世界の各地域で徐々に発達してきた各種のレスリングをすべて列挙することは至難の業、否ほとんど不可能である。したがって、本書ではそのような無謀な企てを試みるつもりはない。ほとんどどの国でも、活動的な男子は何世紀にもわたって何らかの形のレスリングを行ってきたのであり、その各種形態を綿密に観察すれば、必ずや相互に家族的類似性が認められるだろう。当然のことながら、レスリングの術の初期の段階では、どこで行われても、対戦は技術・技巧よりも単なる力を試す場になり、通常は体重が重く力が強い側が勝ちをおさめることになる。やがて共同体が知的物質的福利において次第に進歩すると(但し退廃に至っては駄目であるが)、スポーツや運動競技にも専門化ということが起こってくるのは、人間活動の他の分野におけると同様であり、特にレスリングにおいても優れた技術が決定的な役割を果たすようになる。

 しかし、ここで注目すべきは、試合を組む際にたとえば体重という要素を全く無視し、重い者と軽い者を無差別に対戦させることができるレスリング(と呼んでよいかどうか)がただ一つあることである。もちろん、これは日本の柔術または柔道である。ここではしばしば軽量の者が優れた技術によってはるかに重い相手を打ち負かす。どのようなレスリングでも技術がきわめて重要であることは否定できないし、プロレスリングではある程度の重量差が許される。しかし、対戦相手同士の体重の懸隔が柔術ほど甚だしいレスリングはほかにないと言ってよい。カンバーランド・ウェストモーランド式、グレコローマン式、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン式、オールイン式、あるいは日本の相撲においてさえ、軽量級はふつう重量級にかなわない。ほかの条件が同じならば、重くて力持ちの方が軽くて弱い方に対して優位に立つことは、暗々裏に認められている。

Jujitsu

 私は前二節ですでに比較的よく知られたレスリングのスタイルを挙げた。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンすなわちランカシャー式、カンバーランド・ウェストモーランド式、フランス式すなわちグレコローマン式(もっともネロ皇帝時代の闘士が蘇ったとして、グレコローマン式を見て自ら習い覚えた技と同じものがあると思うかというと、疑問なしとしない)、オールイン式、日本の相撲、柔術である。柔術については本シリーズで別に一巻が宛てられているので、本書ではその他の種類のレスリングの説明に役立つ場合に随時に柔術に触れるにとどめた。

 日本の相撲スタイルのレスリングについても触れておきたい。これはプロの重量級レスラーが行うものである。彼らは正に脂肪と筋肉の山であり、体重は20ストーン(280ポンド、126kg)あるいはそれ以上にもおよぶ。このスタイルのレスリングでは、相手をリングから押し出すか運び出せば勝ちになるので、体重と腹が出ていることが重要となる。しかし、このスタイルには48種類もの投げ技もあり、なかには我が国のカンバーランド・ウェストモーランド式の技と似たものもある。ただ相撲では腕のグリップが自由である(freedom of arm grip is permitted)。一方の力士が地面に膝をつけば負けとなる。力士はその巨体にもかかわらず驚くほど敏活で柔軟である。「股割り」などはいとも簡単に行うし、途方もなく太い腿をほとんど肩の高さまで上げることができる。何年も前のことであるが、日本の山岳景勝地である宮ノ下に滞在していたとき、私はタイホーという力士を見たことがある。彼は当時の相撲のチャンピオンであり、身長は6フィート6インチから7インチ、体重は20ストーンを越える巨人であった。彼は冒険好きの若いアメリカ人に、いいから走ってきてわしの腹を蹴ってみなさい、と言った。蹴りが入った。相手はタイホーに跳ね返されて宙を飛び背中から落ちた。相撲式のトレーニングには、生まれつき強力な四肢を大いになめしたりbating ハリソン氏が何を言いたいのかは不詳)や木の柱に肩をぶつけたりして堅くすることが含まれる。食物もふつうの日本人より強力なものを途方もなくたくさん食べる。

 さて、各種のレスリングを比較しどれかを選んでこれから始めるとすると、健康増進だけでなく役に立つかどうかを考えるのは当然だろう。そのような見地から、どのスタイルに一番効用があるか? ファースト・ダウン・トゥ・ルーズ(先に倒れたら負け)のレスリングを称揚する泰斗は多い。グレコローマンもキャッチ・アズ・キャッチ・キャンもだめだ、ましてやオールインなんてと言う。寝技がきわめて重要な部門なのがよくないというのだ。仮にそういう意見に賛成ならば、私は本書を書いたりはしない。柔術を例外として、どんな種類のレスリングでもルールや約束事のせいで攻撃方法として有効性が削がれていることは否めないが、実際の経験や観察から、たとえばキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの方が、カンバーランド・ウェストモーランド式よりも実戦ではずっと効用が大きいと思う。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンには立位からの投げと寝技があるが、カンバーランド・ウェストモーランドでは、ホールドの仕方が一種類に制限されていて、必然的に動作の範囲が狭まり技の種類も少なくなる。単に体を鍛える運動としても、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの方がまさる。このスタイルでは首の筋肉を大いに働かせなければならないが、カンバーランド・ウェストモーランドの方はそれが少ない。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンで首の筋肉を強くしておけば、実戦では必ず役に立つ。実戦では、両者が地面に倒れてから本当の正念場が来ることが多いのだ。そうなれば、まさに「オールイン(何でもあり)」だ。首締め(stranglehold)の効果的な掛け方を知っているか、掛けられるか、が勝敗を分ける。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンやグレコローマンの試合では、両肩をマットに付けられた方が負けになるのだが、実際の死闘ではそんなことで済むものか! 敵を制するには、はるかに激烈な手段に訴える必要があるのだ。現存するどのスタイルからでも役に立つことは学べるし、折衷主義はほかのスポーツ同様レスリングでも結構なことだ。しかし、実用の見地からは、カンバーランド・ウェストモーランド式に腕のポジションをほとんど一つに制限してしまい、一方がホールドをブレークすれば(掴んでいた手を離せば)まだちゃんと立っているのに負けにされるというようなやり方ではだめだ。腕と手を効果的に脚の補助に使って相手の平衡を崩し両肩をマットに付けようとするキャッチ・アズ・キャッチ・キャンには(ましてや柔術には)、とうてい敵わないのである。

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むっとする風

 柔道か柔術か、番外
 (31)で、那嵯氏が怒ったようだ。コメント欄。
 「1865年から70年頃にかけて、試合での危険技の使用が禁止された」を
「(禁止期間が5年ほど続いて)1870頃には解禁された」と読んだのは、当方の読み間違い。
 ただし、この書き方にも責任がある。これだけ読めば普通はそう読む。
 Gスピリッツの本文の中に入れて読めば、「禁止されたのが65年から70年頃のある時点」という意味だな、と分かる。
 しかし、「1865-70年頃から20世紀初め(?)まで危険技が禁止されていた」と読み直しても、問題が解消されるわけではない、と思う。
 (30)に書いたように、こちらは論ずべきことがかなりあるから大回りしてそちらを論じてから、「那嵯氏に答える」に入ろうと思っていた。 
 しかし、(29)を読み直しているうちに、気が変わってしまった。少々むっとして、慌てた。
むっとする風もあろうに柳かな」と申しますな。
 小生もまだ修業が足らん。
 しかし、書くことはまだまだあるので、暇を見て続けます。

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2008年12月12日 (金)

柔道か柔術か(32)

 サブミッション技は「昔はあったのに滅んだ」のだろうか?
 これに関しては、那嵯涼介氏は、柔道か柔術か(29)のコメント欄で

 こちらのブログでは「中世ヨーロッパの騎士たちの戦術の中に組討系の技術は存在しなかった」という内容の記述があったように記憶しておりますが、それでは私が拙稿『危険で野蛮なレスリング』に掲載した古文書に掲載されていた、複数の挿絵をどのように解釈されておられるのでしょうか。

 と書いておられる。

 この「複数の挿絵」というのは、GスピリッツVol.9の51頁にある3点である。ドイツとオランダの16世紀と17世紀の格闘技術書の挿絵である。
 ドイツの技術書Ringer Kunst(1539年)掲載のものは、男が相手の後ろ手をとってねじ上げている図である。男も相手も立ったままであるが、相手は左腕をねじられて、上半身を水平にかがめている。お巡りさんが泥棒を捕まえようとするところ、といった格好である。
 もう一枚の挿絵では、男が立ったままの相手の手首と肘を掴んでいる。これから相手をどうにかしようというところで、まだ技は決まっていない。
 さらにもう一枚も、双方立ったままである。しかし、これは関節技か? 攻め手が体を沈めて、左手で相手の左膝裏を掴み、右手で左手首を掴んでいる。これで極めにかかることはできないだろう。肩車のような投げ技に入る格好ではないだろうか?
 
 これらは関節「」と言えるレベルではない。相手の腕をねじ上げるくらいのことは特に研究しなくてもできる。
 それに、双方立ったままでは、関節技はほとんど極まらないはずだ。私は実戦の経験は余りないけれど、それくらいは分かる。
 関節を極めるには、相手を倒してコントロールするのが先決だ。立ったまま双方動いていて、関節を極められるか? よほど実力差がなければ無理でしょう。
 合気道? しかし、「乱取り」がない。柔道家、レスラー、相撲取、単なる力持ちに力づくで来られたらどうしようもない。まあ、女の子が覚えておけば、痴漢をやっつけられるか。

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 那嵯氏は
「他にも欧州には、16-18世紀にかけてサブミッションを伴う格闘術を記載した文献が多数あり、……」
 と書いておられる。
 柔術のように相手を寝かせてコントロールしてから関節を極めにかかる技の挿絵はないのだろうか?
 肘などの関節の逆を取れば有効だ、くらいのことは昔の欧州人でも分かっていただろう。その逆の取り方が「こうすればこうなる」という「」として定式化された場合もあったかも知れない。しかし、いくつか技はあったとしても、それが「」のレベルにまで体系化されていたかどうか?
 Ringer Kunstというドイツ語は「レスラー術」という意味なのだけれど。

 西洋の剣術は体系化されていたから、剣が実用性を失って久しい19世紀末でも盛んに行われた。フェンシングとsinglestick(木刀術)である。シャーロック・ホームズはいずれも達人だった。
 ところが、レスラー術は、ドイツで昔そういう名前の本が出たことは確かだが、柔術のような完成度に達しなかった。だから、19世紀末、20世紀初めには廃れていて、日本の柔術が英国人を驚嘆させた――という推定は成り立つのではないだろうか。
 
 現代の普通の(プロレス関係者ではない)英国人の認識もそうなのではないか。
 たとえば

「柔道は柔術から発達したもので、古来から伝わるこの術は特殊部隊にとって色々役立つ。柔術の起源はあまりに古く定かではないが、日本において数々の武将や侍、流派によってつちかわれてきた。弓術や剣術、馬術などを専門に教える道場で格闘技も教えられたのである。柔術は武器をとられた武将や不意打ちで鞘から刀を抜く間のない場合の手段と考えられた。敵の武将を捕虜として生け捕りするにも有効であった。……
 柔術では敵を倒すために投げ技と固め技を組み合わせて使うが、相手の頭や胴体にパンチを入れることはない。これはおそらく武士が鎧兜に身を包んでいた中世の名残であろう。こうした敵の弱点は腕と脚のみであるから、固め技や関節技に重点が置かれたのである」
(『サバイバル戦闘技術』p.17)

 この本は英国特殊部隊SASの戦闘技術(徒手、刀剣、火器による戦闘)を扱ったものである。著者は
「ヨーク大学で戦史を研究し、イギリス諜報部員として国外での数々の作戦行動に従事したあと、現在はフリーライターとして特殊部隊にかんする著書を多数書いている」

 戦史を研究した著者が、ヨーロッパの中世騎士ではなく日本の侍に実用的格闘術の起源を求めている。
 書いてあることもだいたい正確でしょう。柔術が「敵の首を取るための技術だった」と書いて、馬手差(めてざし)、すなわち右腰に差す「鎧通し」のことまで書けばさらによいのだけれど。
 騎士の格闘術は、あるいはあったかも知れない。しかし日本の柔術のレベルには達しなかった。だから残らなかった――と考えるのが妥当なのではないか。

 次は「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」という英語を改めて考えたい。

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2008年12月11日 (木)

柔道か柔術か(31)

 予定を変更して、まず那嵯涼介氏が柔道か柔術か(29)のコメント欄で述べられた意見への反論をしたい。
 はじめは大変な難問だと思ったが、そうでもない。
 まず、那嵯氏曰く

 私は「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン(CACC)にはルール上、興行における通常の試合でのサブミッションによる決着が認められていない時期があった」と断定的に書きました。
その根拠として、私は以下の3点の当時の文献による記述を挙げております。
・夏目漱石が正岡子規に宛てた書簡の中の記述 (こちらでもご紹介されておりますので省略致します)
・前田光世がその書簡(『世界横行柔道武者修 業』等)において「柔道と同じような締めや逆手 はあるが、普段は禁止されている」と記している点。
・1890年(柔道、柔術が欧米で紹介される以前)発行のトム・コナーズの自伝『MODERN ATHLETE』には「1865年から70年頃にかけて 試合での危険技の使用が禁止された」旨が書かれている点。

この3点については、どのようにお考えになりますか? (以上那嵯氏)

  まず、トム・コナーズの自伝の件。
「1865年から70年頃にかけて、試合での危険技の使用が禁止された」
 ということは、すなわち、
「1870年頃には、危険技の使用が解禁された」
 ということになりませんか? 

 そうすると、夏目漱石がプロレスの試合を見た1901年にはどうだったのか? 危険技は解禁か? それとも再び禁止されていたのか? この試合は「危険技」なしで、ほぼアマレス式に行われたはずでしょう?
 それに危険技=関節技と、どうして断定できますか? パンチやキックや肘打ちを指すのかも知れない。20世紀初頭のレスリングに「奥の手」として関節技があったという証拠にはならない。

 前田光世の書簡の件。これも史料価値がない。
「柔道と同じような締めや逆手はあるが、普段は禁止されている」
 というのは、前田がそういう話をレスラーから聞いたということでしょう?
 仮に前田の書簡に

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「何月何日、吾輩は何某というレスラーと対戦した。相手が柔道と同じような絞めや逆手を出してきて、さすがの吾輩も少々困ったのであるが、何とか勝ちをおさめることができた。愉快愉快」
 
 というようなことが書いてあるのなら、関節技があった証拠になるだろう。しかし、レスラーが「実は奥の手として締めも逆もあるのだ」と口では言ったとしても、実際にあったという証拠にはならない。
 ほんとに奥の手があるのなら、出してみればいいじゃないか。前田やタニと戦ったときに、レスラーの側も関節技を出せばいいのだ。
 ところが実際には、タニとの対戦の場合には、はるかに体重の少ないタニに簡単にひねられている。せめて、絞め技や関節技に対する防御方法くらいは心得ていていいはずでしょう。

  タニは1900年に渡英して、しばらくバートン=ライトの下で「バーティツ」の教師をしていたが、やがて彼と別れてミュージックホール・レスリングの世界に入り、有名になった。
 柔道か柔術か(14)では、トロンプ・ヴァン・ディゲレンというレスラーの自伝を引用した。彼は

 1908年にアポロ・サルド・クラブで、私は初めて柔術の凄みを知った。当時タニはイングランド中のミュージックホールで技を見せて回っていた。それまでヨーロッパではこの護身術はよく知られていなかった。すばしこいちっぽけなジャップが大男を数秒のうちにやすやすとやっつけるのを見て、人々は驚嘆した。力は無益だった。タニの技は敵の力を利用していた。タニが電光石火のごとくかけてくる技から逃れようと、こちらがもがけばもがくほど痛みが強くなるのだ。

 と書いている。タニがレスラーと戦い始めてから何年もたっても、
「それでは、こちらも奥の手のサブミッション技を出して、こしゃくなジャップをやっつけてやろう」というレスラーは現れなかったものと見える。
 
 20世紀初頭の英国のレスラーの間では、関節技は、
「知られていなかった」
 というのは、言い過ぎかもしれない。
 しかし、
「関節技を使いこなせるレスラーはほとんどいなかった」
 と推定してもよいのではないだろうか?

 それでは、関節技などは、「昔はあったのに滅んだ」のだろうか? (続く)

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2008年12月 7日 (日)

柔道か柔術か(30)

 前回、那嵯氏にコメント欄で難問を出されてしまった。発端は前々回に私が那嵯氏の記事をよく読まないで明らかに間違いを書いたことにあるのだから、論争としてみれば分が悪いことは否めない。
 論点をずらさないで全部に答えたいが、それはゆっくりと時間をかけて行う。
 箇条書きで答えるのは勘弁してもらって、大回りして周辺を固めてから答えを出す。
 自分のペースでやった方がよろしいのは、プロレスと同じだ。ペースを守るといっても独善的な戦い方は駄目だ。理想は、猪木対ドリー・ファンク戦ですね。猪木対ジャック・ブリスコもよかった。猪木がコブラツイストに入るところを、ブリスコがどういう手を使ったか弾き飛ばしてしまったシーンが印象に残っている。DVDなどで見直してはいないのだけれど、何年前だったかな?

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 まず英語の講釈から入りたいが、そのうちにということで。なにしろ貧乏暇なしなのです。
  しかし、元々は「バリツとは何か?」というシャーロック・ホームズ学の問題だったのです。思わぬ所まで来てしまった。

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2008年12月 6日 (土)

柔道か柔術か(29)



  前回は失敗した。那嵯涼介氏からコメント欄で異議が出た。
『Gスピリッツ』のVol.8で那嵯氏がライリーとそのジムのことを書いているのを読んだのに、書くときはすっかり忘れていた。

 那嵯氏によれば

 ライレーは1896年にウィガン郊外のリーという町でアイルランド人の両親から生まれた。母親の反対を押し切りレスリングを始めたのは、彼が10歳前後の頃であったと思われる。鋳型工の見習いをしながらレスリングジムに通い、大人の炭鉱夫に混じって練習していたライレーはすぐに頭角を現し始める。
 1910年に弱冠14歳で初めてプロとして賞金マッチを行い、19年には100ポンドをかけて、地元ウィガンのスプリングフィールド公園でボルトンのビリー・ムーアズと対戦、大英帝国ミドル級タイトルを獲得した。この日は4000人の観客を集めたという。(GスピリッツVol.8 p.65)

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  1920年代には主に賞金マッチを戦い、1930年代に始まったアメリカ式興業では大活躍してミドル級タイトルを取った。ジムを開設したのは1940年代初頭である――これも那嵯氏による。この記事『ウィガンにあった黒い小屋』は5段組11ページにわたり写真も豊富な力作である。
 那嵯氏の記事は特別企画『Uの源流を探る/前編』の一部であるが、次号Vol.9の後編ではサブミッション・レスリングの柔術起源説を真っ向から否定している。

 私が柔道か柔術か(23)で提起した(1)から(7)までの仮説は反証されるか?
 必ずしもそうは言えないと思う。那嵯氏のレスリング研究は行き届いている。しかし、私が(23)でタニ・ユキオ対英国レスラーの戦いについて書いた

 20世紀初頭の英国のレスラーたちが関節技でギブアップを狙うという戦い方を知っていたのならば、体重が57kgに満たない「ちっぽけなジャップ」が連戦連勝できるはずがないではないか。

 という疑問は解消されない。(続く)

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2008年12月 5日 (金)

柔道か柔術か(28)

 千葉周作(1793-1856)の北辰一刀流は現代剣道の源流らしい。赤胴鈴之助も千葉周作門下だった。♪♪剣を取っては日本一の……

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 中西派一刀流を学んだ千葉周作は独立して北辰一刀流を創設し、上州で馬庭念流との他流試合を行い、江戸に帰って開いた神田於玉ヶ池の玄武館は幕末三大道場の一と言われた――『北斗の人』を読めば分かる。しかし、これは司馬遼太郎が作った話ではない。千葉周作自身が詳しい記録を残しているのだ。

 ビリー・ライリーBilly Rileyがランカシャー地方のウイガンという炭坑町に開いた「スネークピット」と称されるジムは、現代のシュートレスリングストロングスタイル、あるいはCatch WrestlingScientific Wrestlingの源流であるらしい。

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 ところが、千葉周作より百年以上あとの現代人ビリー・ライリーは、生没年さえ明らかでない。ウィキペディアの「ビリー・ライレージム」は、彼の生年を示さず没年を1982年としている。英語版WikipediaのBilly Rileyを見ても生年は分からず、没年は1979年となっている。
 スネークピットの開設は、日本語版ウィキペディアでは1920年代、英語版では1950年代だ。
 ビリー・ライリー氏は自伝など書かなかったし、周辺の人たちもインタビューなど残してくれなかった。イギリスの下層階級にはそういう習慣がなかったのだ。
 日本人は違う。カール・ゴッチのインタビューの記録が新たにDVD付きで発売される。

 ビリー・ライリーは、たぶん1900年以降の生まれだろう。もし私が1970年代にでも渡英して彼に会えたとしたら、まず

「スネークピットで教えたようなレスリングを、あなたはいつどうやって覚えたのですか?」
と聞きたかった。また
「関節技は、ひょっとしてランカシャーにもよく巡業に来て人気があったタニ・ユキオの柔術が起源ではありませんか?」

 しかし、明確な答えは返ってこなかっただろう。タニがレスラー相手に盛んに懸賞試合を行っていたころ、ライリーはまだ幼児だった。タニの相手をしたレスラーたちがあるいはライリーを教えたかもしれない。しかし、彼らは黙々とレスリングをして、能書きなんぞ垂れなかったはずだ。日本人とは違うのだ。

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2008年12月 4日 (木)

柔道か柔術か(27)

 ラグビーはどうして始まったか? 
 1823年、名門パブリックスクールのラグビー校の校庭でフットボールの試合が行われていた。興奮したウィリアム・ウェッブ・エリス少年は思わずボールを抱え込み、相手ゴール目指して走り出した――というのは有名な話だ。
 剣術はいつどうして始まったか? 古すぎて起源は分からないけれども、塚原卜伝(1489-1571)などが初期の剣豪だろうか。卜伝は宮本武藏が木刀で撃ちかかったのを鍋の蓋で受け止めたそうだ。

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 柔術についても、剣術ほどではないが古い言説・文献は多い。関口流、起倒流などの流派名は門外漢でも知っていて、それぞれ伝書があることは想像できる。
 こういうふうにスポーツや武術の起源をたどろうという発想は、我々日本人には当然のことだ。しかし外国では必ずしもそうではないのではないか。
 極端な例を挙げてみよう。

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 コムドをやっている人たちはどう思っているか? コムドとは韓国剣道のことである。剣道は倭奴(ウエノム)が始めたと思っている人が多いけれど、そうではない。ウリナラのものなのだ! 起源は韓国だ! アイゴー!
 でもいつの時代にどういう階級の者が日本刀(韓国刀?)を振るったのか? 韓国に侍がいたのか? 宮本武蔵や荒木又右衛門みたいな剣豪がいたのか――というようなことを聞いてみたいし、もし私が韓国人ならば自問するだろう。
 しかし、一度「ウリナラのものだ」と決めてしまえば、そういう細かいことなんか気にしない――という意識の仕方があるらしい。
 日本人のようにいちいち起源を気にする方が特殊なのではないか? 
 これは日本人のliteracyの高さと関係があるのではないか。日本人は何でも記録に残してきた。庶民が読み書きを知っているから、日本史には史料がほとんど無限にある。
 英国でも上流と中流上層には、記録を残す習慣がある。だからラグビーやクリケットの歴史をたどろうと思えば、史料に事欠かない。
 武術でも同じだ。トーナメント(「馬上槍試合」)についてはいくらでも文献がある。

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 コナン・ドイルは、中世の武術、特に弓術に関する古い文献を渉猟して、『白衣の騎士団』を書き上げた。

 サブミッション・レスリングの源流となる騎士の格闘術が仮に存在したとしたら、「伝書」が残っているはずだ。日本の柔術に初めて接しても、驚愕することはなかっただろう。「柔術とは我々のアレと同じだな」と思えば済むのだ。ところがそうはならなかった。少なくとも前田日明選手の「西洋の騎士が関節を極め合う戦いをした」という推定は、間違っていることになる。
 
 レスリングはどうか? レスリングは中流以下の階級の競技であって、文献が少ない。
 プロレス雑誌『Gスピリッツ』の最近号に載った那嵯涼介氏の研究は労作であり学ぶところが多いが、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの起源については、決定的なことは言うには史料が足りないようだ。

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2008年12月 2日 (火)

裁判員に選ばれたら

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 とりあえず「死刑!」 何が何でも「死刑!」

Komawari

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2008年12月 1日 (月)

柔道か柔術か(26)

 26回目は回り道から本題に戻って話を進めるつもりだったけれど、その前にウィキペディアの「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」をもう一度見ておこう。
 柔道か柔術か(19)-(21)あたりでウィキペディアの記事を「空想的」と批判したのだけれども、ずいぶん改良されている。(19)に引用した記事のたどたどしさがなくなっている。
 那嵯涼介氏の研究を取り入れて、筆力のある人が書き換えたらしい。
 しかし、まだ改良の余地はありますね。私は野暮用があって今日は詳しくは書けないけれど。

Gotchi

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