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2009年1月19日 (月)

柔道か柔術か(45)

 タニ・ユキオ略伝(2)

 ウエニシは「ラク」というリングネームを用いていたが、ゴールデンスクウェアに道場を開いた。ウエニシは弟子のネルソンの助けを得て1906年にJu Jutsu as Practised in Japanという教科書を出版した。
 
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 1908年ごろラクが英国を去ると、この道場は弟子のウィリアム・ガラッドが受け継いだ。タニはミヤケといっしょにオックスフォード・ストリートに道場を開き、これは2年ほど続いた。このころは、ほかにも日本人の柔術家が何人か訪英した。オオノやマエダなどである。後者はグレイシー柔術の始祖である。

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 1906年はじめにタニとミヤケも The Game of Ju-Jitsu - for the Use of Schools and Collegesという本を出版した。またラクの弟子であったエミリー・ワット夫人も同じ年に  The Fine Art of Jujitsuという本を出している。1904年12月にはバンキアがJu-Jitsu: What It Really Isという本を出した。これは雑誌に連載した記事を元にしたもので、タニとウエニシの写真多数を含んでいる。ここに挙げた本はみなよく書けているが、日本人の書いたものがバンキアやワットのものよりすぐれている。そのほかにも英語の柔術の本は多数出版されたが、大方は単なる珍品であって真面目な研究には値しない。

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(訳者補足 OEDにも引用されているものにHancock & Higashi Complete Kano Jiu-Jitsuがある。柔道か柔術か(3)参照。タニも別の本を出している。)

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 イーディス・ガラッドと婦人参政権運動

 ウエニシの弟子であったウィリアム・ガラッドの妻イーディスは、柔術に熟達していた。彼女は婦人参政権運動家として、また婦人参政権同盟の設立者エミリーン・パンクハースト夫人(1857-1928)のボディガードをつとめる「戦う参政権論者」の柔術教師として悪名をはせた。イーディスは夫と離婚し、オックスフォード・サーカスに道場を開いた。この道場が参政権運動家の基地となり、女たちはここから出撃して街で窓などを割って回り、すばやく戻って警官が来るころには何食わぬ顔で柔術の稽古をしているのだった。イーディスは小柄で負けん気の強い女性だった。1910年から12年ごろの写真に彼女が警官をやっつけるところをとったものがある。彼女は当時流行だったむやみに大きい帽子をかぶっている。

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訳者補足 英国で婦人参政権運動が本格化したのは1865年以降である。20世紀初めになると過激化し、運動家たちはハンガーストライキを武器とした。暴力に訴えることもあった。ゲバ棒をふるって反対派の集会に乱入することもあったようだ。イーディス・ガラッド女史は柔術を使って素手で戦ったから偉いのだ。運動の成果により、1918年に30歳以上の女性に選挙権が認められ、1928年には男女とも21歳以上に選挙権が認められた。)(続く)

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(『パンチ』誌1910年7月号から、警官を一人でやっつけるイーディス・ガラッドの勇姿。「THE SUFFRAGETTE THAT KNEW JIU-JITSU柔術の心得がある婦人参政権運動家」と書いてありますね。)

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