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2009年3月19日 (木)

インドのキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(5)

 グレート・ガマは1910年に英国で2試合だけ戦ってインドへ戻った。
 1914年、第一次世界大戦が勃発した。戦争が終わったあとの1919年4月13日には、アムリッツアルの大虐殺事件があった。公園に集まっていた5000人のインド人に英軍が発砲し、400人以上が殺された。
 1920年にはマハトマ・ガンジーが国民会議派の主導権を握り、非協力運動を指導し始めた。

Gandhi

 しかし、そういうことはガマには無関係であった。彼はインド式レスリングに専念しておればよかった。1910年からは彼はパタリアのマハラジャのお抱えレスラーになっていた。
 1928年、マハラジャは見本市のアトラクションとして、ガマ対ズビスコの再試合を行わせることにした。

Zybszkogama1928

 1928年1月29日午後4時15分、特別に建てられた4万人収容の大競技場で、48歳のガマと51歳のズビスコは再び相見えた。
 この試合は、すぐにケリがついた。試合時間は49秒、42秒、21秒、10秒などの説がある。ガマがズビスコを地面に投げ、すぐにおおいかぶさってフォールを奪ったという。「ガマの圧勝であった」ということらしいが、ロンドンで行われた1910年の試合と違って、各新聞が詳しく報道したわけではないので、試合内容は今となってはよく分からない。観客は「インドが勝った! インド万歳!」と歓声を上げたという。ズビスコが勝つわけには行かない試合だったのだろう。

Gama1960

(1960年のガマ)

 ガマは1960年に78歳で亡くなった。(1953年死亡説は間違いらしい。)
 ズビスコは1967年に88歳で亡くなった。
 以上グレアム・ノーブル氏の記事による。
http://ejmas.com/jalt/jaltart_noble_0802.htm

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コメント

レスリング史においてポーランド人レスラーStanislaus Zbyszkoは有名ですが
彼の弟Wladek Zbyszkoは最近になって死去されたグレイシー柔術のHelio Gracieと戦って引き分けてます。
兄弟揃ってレスリングの世界王者です。
Helio Gracieと戦った日本の柔術家には不遷流のTaro Miyakeこと三宅多留次もいてエリオと戦って一本負けしています。

投稿: NダDサク | 2009年3月26日 (木) 12時50分

三宅は谷と同じころ英国にいたのですが、ブラジルにもわたったのだろうか。いつごろでしょうか。

投稿: 三十郎 | 2009年3月26日 (木) 16時11分

不遷流3代目宗家 田辺虎次郎の直弟子 三宅多留次は不遷流でも相当の腕前だったらしく同門のスモール・タニ(こちらは不遷流4代目宗家で寝技日本一と講道館から恐れられた柔術家 田辺又右衛門の直弟子)と勝負して勝っていますね。
三宅はブラジルのサンパウロで指導したことが有るらしく
リオデジャネイロでは1909年カポエリスタのシリアコと対戦しKO負けしています。
日本での多くのカポエイラ書籍やブラジル関連書籍ではシリアコの対戦相手がコンデコマだと勘違いされていますがそれは誤報です。
エリオと三宅が戦ったのが1934年。
年齢差も有ったせいか今度は一本負け。
三宅の全盛時は20世紀初頭でしょうから
かなりの年齢差です。
シリアコとの対戦では英国時代にもやっていたのか
握手をしてから決闘しようとした時に
顔に唾を吐かれそれが目に入ったのかその隙に蹴られてKO負けしたそうです。

投稿: NダDサク | 2009年3月26日 (木) 20時09分

1904年に海外に渡った三宅は世界を転戦しまくっていたようですね。
1928年に日本に一時帰国してブラジルに再び渡ったのでしょうか?
こちらの海外サイトからでもその試合のことが描かれています。
http://72.14.235.132/search?q=cache:YRy59KSSqFEJ:ejmas.com/jcs/jcsart_rodrigues_0800.htm+taro+miyake+capoeira&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
http://209.85.175.132/search?q=cache:snv1lohRdDcJ:www.completemartialarts.com/whoswho/halloffame/heliogracie.htm+taro+miyake+helio+gracie&cd=5&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
元々エリオと三宅の試合についての最初のソースは那嵯涼介さんですけれどね。(あの方の人脈から得られる情報網は凄いです)

投稿: | 2009年3月26日 (木) 20時51分

なるほど。対カポエイラ戦は、上の資料では「本当かどうか怪しい」ということらしいですね。エリオ対三宅戦はどうやら本当にあったらしいけれども、裏が取れていないことは1928年のガマ対ズビスコ戦と同じ程度であって、1910年の最初の試合のように複数のソースで確認できるものではなさそうだ。プロレス格闘技関係の情報は、きちんと調べないでいい加減なことを書く人が多く、伝言ゲームのように広がって行くことが多い。私が取り組んでいる「キャッチ・アズ・キャッチ・キャンのまぼろし」なんぞはその典型だ。その点、グレアム・ノーブル氏は文献をきちんと調べているらしく信頼が置けるのです。

投稿: 三十郎 | 2009年3月26日 (木) 21時25分

ゴング格闘技に柳澤健氏によるエリオ・グレ-シーのインタビューの再録が出ていましたね。90歳のエリオの記憶違いもあるし、自分に都合のよいように話を作り替えている場合もあることに十分留意したインタビューです。
これはまた別に書くつもりだけれど、ビル・ロビンソンの言うことを鵜呑みにするのも困る。彼はウソは言わないだろうけれど、英国のことなら何でも知っているわけではない。

投稿: 三十郎 | 2009年3月26日 (木) 21時55分

>プロレス格闘技関係の情報は、きちんと調べないでいい加減なことを書く人が多く、

それはお前だろう

投稿: | 2009年3月26日 (木) 23時01分

>自分に都合のよいように話を作り替えている場合もある

これもお前だな

投稿: | 2009年3月26日 (木) 23時04分

エリオが三宅と戦って一本勝ちしたことの記録はホリオンら一族が当時の新聞や雑誌の切り抜きやらをスクラップしているのでほぼ間違いは無いでしょう。
カポエリスタのシリアコが三宅に勝ったというのは那嵯さんからのソースだけではなくブラジルのタタミ誌のマルセロ・アロンソも描かれていることですし多くのカポエイラ関係者の間で有名な話です。
シリアコと三宅の試合は
ブラジルでは日本人とブラジル人の最初の他流試合として記録されて残っているもので頭から出鱈目だと決め付けられるのもどうかなと思います。
日本人柔術家だって勝つ時も有れば負ける時も有ったでしょう。
人間ですから全部勝てたわけではない。
これはグレイシー一族でもそうなんでしょうが
どうも当時の日本人柔術家&受動家は無敵だったという幻想を持たれている人が多いのかもしれないので生意気だとは思いますが追記させてください。

投稿: | 2009年3月27日 (金) 00時19分

すいません
2009年3月27日 (金) 00時19分
の投稿は私です。
名前を描きそびれました…

投稿: NダDサク | 2009年3月27日 (金) 00時21分

受動家×
柔道家○
でした。
度々すいません…
間違えました…

そうそう
西洋のレスリングの歴史はいい加減(同意します)で日本の格闘技&武道の歴史はハッキリしているとブログで三十郎さんが描かれていましたがそれに対する反論もしたいです。
前にわたしは日本の柔術の源流は戦国の組み討ちと書きましたがそれもどうやら怪しいみたいです…
それについてはまた何れ。

投稿: NダDサク | 2009年3月27日 (金) 00時31分

そのうちに「キャッチレスリングのまぼろし」という記事を書きます。ブラジルまでは手が回らない。ポルトガル語は読めないから。しかし英国のレスリングと柔術については、私が今まで書いてきたことでサブミッション/関節技の起源などについて、だいたい分かるはず。それをまとめるだけです。「キャッチレスリングまたはキャッチ・アズ・キャッチ・キャンが世界最強のレスリングだった」というのは思い込みである。なぜ、そういう思い込みができたか、ということに興味があるのです。

投稿: 三十郎 | 2009年3月27日 (金) 08時09分

「それはお前だろう」と書いている奴はどこのどいつだろうか? 日本語も読めないアホはどこにでもいるものだなあ!

投稿: 三十郎 | 2009年3月27日 (金) 08時11分

>日本語も読めないアホはどこにでもいるものだなあ

お前だよ

投稿: | 2009年3月27日 (金) 23時44分

質問なんですが、キャッチレスリング=フリーレスリングということはキャッチには元々関節技は存在しなかったということですか?
また、もしそのようにお考えでしたらその根拠をお聞かせください。 

投稿: レスラー仮面 | 2009年4月 5日 (日) 21時52分

「キャッチには元々関節技は存在しなかった」と考えております。もし存在したのなら、「関節技で一本を取った試合の記録が残っているはず」でしょう。20世紀初めの英国のプロレスでは、試合経過がデイリー・テレグラフのような一般紙に詳しく報じられた。だから、私の説が間違いだと証明したいのなら、100年前の新聞のバックナンバーを調べて、「関節技で一本」のキャッチの試合の記録を見つけて下さい。そういうのはまず無いだろう――という見込みをつけているのです。誰かこの見込みに対して反証を出してくれないかな?

投稿: 三十郎 | 2009年4月 5日 (日) 22時53分

「関節技で一本を取った試合の記録」というのは、柔術の影響を受ける以前の「純プロレス」の試合ですよ。私の「格闘技」のカテゴリーをじっくり読んでもらえれば、
(1) キャッチ・アズ・キャッチ・キャン=フリー=関節技なし
(2) 関節技は柔術の影響で始まったらしい。
ことが分かるはず。但し、(2)はまだ推定であって証明されていない。(1)は「フリースタイルレスリングの歴史」などを訳していますのでご覧下さい。

投稿: 三十郎 | 2009年4月 5日 (日) 22時58分

我ながらしつこいね。念を押しておきます。
上記(1)(2)は、新説です。(1)は、catch as catch canという英語の用法を検討すれば分かることです。英語の用法をビル・ロビンソンに聞くのは、日本語の用法をジャイアント馬場や北の湖親方に聞くのと同じだ。(1)については、証明済みと言っててよろしい。
(2)は、証明するのがむつかしい。英国のプロレス関係者に「温故知新」の精神が足りないせいだ――これはそのうちに詳しく書きます。

投稿: 三十郎 | 2009年4月 5日 (日) 23時11分

関節技の写真は見当たりませんが、それはあまりに乱暴な理屈ではありませんか? 
それでは日本の柔術やサンボにも元々関節技がなかったことになってしまいませんか?
ブログはすべて読ませていただきましたが、キャッチに関節技がなかったとする根拠として「タニ ユキオ」を大きく取り上げておられますが、はっきり言って裸と胴衣ありとでは全く違うスポーツと言っていいでしょうレスラー達が連敗するのも不思議ではありません。

投稿: レスラー仮面 | 2009年4月 5日 (日) 23時46分

文献を読む限り(雑誌ですが)スネークピットはとても閉鎖的な場所であったそうです。ゴッチのスネークピットに対する不満はご存じかと思います。 
そんな彼らが自分達の技を写真という形で公然と残すとは思えません。
実は私もキャッチレスリングを学ぶ者ですが、この技術体系は他の柔術などのものと同じとは到底思えません。 
また、タニ ユキオを通して関節技を取り入れたというなら、胴衣を着ていないのは不自然ではありませんか?

投稿: レスラー仮面 | 2009年4月 5日 (日) 23時59分

よく読んで下さいね。
私の言うのは関節技があったのなら「キャッチの試合」に用いられたはずだ、というのです。密かに練習では使っていたが、試合では使わなかった? それでは梶原一騎の「地下レスリング」ではないか? 何年何月何日の試合で、何某が何という関節技で一本を取りました――という記録があるなら出してみて下さい、と言っているのだ。
柔術の関節技を取り入れたら、道着を着なければならない? なぜ? たとえば腕拉ぎ十字固めは道着ありでもなしでも掛けられますよ。
関節技の写真がない? 私のブログにあるとか無いとかは無意味。私の言うのは「20世紀初めのプロレスの試合の記録をご自分で調査して、プロレス独自の関節技で勝負をつけた例を見つけてご覧なさい」というのです。それなら兜を脱ぎますよ。
スネークピットは閉鎖的? その通り。しかし、いつ出来たと思うのですか。1940年代初頭ですよ。もっと後で書くつもりだったが、柔術ではなく裸レスリングに使うために当然アレンジはしている。しかし、技のルーツのことには無関心だった。これが「温故知新が無い」ということです。

投稿: 三十郎 | 2009年4月 6日 (月) 05時19分

失礼ながら「プロレス最強説」という偏見が邪魔をしているようで、それはあなただけではないらしい。
そのうち、まとめて「キャッチレスリングのまぼろし」を書きます。
しかし、これまで書いてきたことだけでも、「ふつうの英語ではキャッチ・アズ・キャッチ・キャンという単語は現在のフリースタイルの意味に使われてきた」ということだけは立証したはずですが、いかがですか?
20世紀初めの英国では、プロもアマも「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン=フリースタイル」のレスリングをしていたことは、1908年のロンドン五輪と世界チャンピオン決定戦の例を出しました。1910年のグレート・ガマの例も出しました。
レスリング独自説をとなえる人は、レスリング独自の関節技で勝負を決めた試合の例を出してみて下さい、というのですよ。

投稿: 三十郎 | 2009年4月 6日 (月) 05時40分

みなさん、working hypothesis作業仮説という考え方がよく分からないらしい。
「プロレスの関節技は柔術から導入した」
というのは、どこかに書いてあったことではない。そういう仮定を立てると色々なことがうまく説明できるようだ、と私が考えたのですよ。もちろんこれは証明されていない。
色々調べれば証明されるかも知れない。まだ証明はされていないけれども、反証はあがっていない(「間違いだ」という証明もない)。
プロレス最強説の人は反証を見つけて下さい。反証が見つかれば「プロレス学」の前進につながるので、大いにけっこうなことだ、と言っているのだ。

投稿: 三十郎 | 2009年4月 6日 (月) 05時55分

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