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2009年3月25日 (水)

プロの美人たち(5)

 Professional beautyというフレーズを流行らせるのに一番功績があったのはフランク・マイルズ(1852-1891)という画家だった。彼はオスカー・ワイルド(1854-1900)の友達で愛人だった。ちなみにコナン・ドイル(1859-1930)やシャーロック・ホームズ(1854-)は、彼らの同時代人である。
 このマイルズは上流の女性をモデルにした水彩画が専門であり、その最も有名なモデルでプロフェッショナル・ビューティの典型となったのが、リリー・ラントレー(1853-1929)である。

Lillie_langtry_2
(マイルズによるリリー・ラントレーのスケッチ)

 リリー・ラントレーはジャージー島出身の職業的美人で女優であり、「ジャージー・リリー」の綽名で知られた。彼女は、後にエドワード7世(在位1901-10)になる皇太子アルバート・エドワード(愛称バーティ)をはじめてとして多くの有名な愛人がいた。

 ジャージー島で英国国教会の聖職者の娘に生まれたリリーは、1874年20歳のときに6歳年上のアイルランドの地主エドワード・ラントレーと結婚し、まもなくロンドンに出てきた。彼女は社交界にあこがれていた。
 父親の友人の主催したパーティに出たときに、彼女は美貌とウィットでたちまち注目を浴びた。当時は一張羅の黒服しかなく宝石類も身につけていなかったのであるが。

Lillie119

 その晩のうちにマイルズはリリーのスケッチを何枚も描き、それらは絵葉書として売り出された。有名な画家ジョン・エヴァレット・ミリアスの描いた「ジャージー・リリー」という肖像画はロイヤル・アカデミーに展示されて大反響を呼んだ。

Lillie_langtry_by_millais_2

 彼女はさらにジェームズ・ホイッスラー(1834-1903)をはじめ当時の有名画家たちのモデルにもなった。
 たちまち有名になった。あちこちからパーティへの招待が殺到した。街を歩けば見物の人だかりができる。写真や絵の複製が至るところに飾られる。ヴィクトリア女王がぜひ会いたいと仰せられて謁見がかなった。
 はじめ黒服しか着なかったのは、夫のラントレーにあまり金がなかったからだが、その問題は何となく片付いた。彼女のようにプロフェッショナル・ビューティになってしまうと、服飾費はほとんどかからない。宣伝になるので向こうから着て下さいと持ってくるのだ。
 プロフェッショナルという言葉には「お金を稼ぐ」という含意がある。絵や写真のモデル料が入ったが、現代のヘアヌード写真集なんぞとは違うから、そんなに大規模な稼ぎではなかったはずだ。石鹸や化粧品などもプロフェッショナル・ビューティが使っている品には箔がついた。しかしテレビコマーシャルのような仕組みはまだなかったので、確実な収入があったわけではないようだ。
 それでも、リリー・ラントレーは田舎地主の夫人からプロフェッショナル・ビューティになって、社交に必要なお金は調達できる信用がついた。すなわち借金ができるということで、これは貴族の夫人でも同じである。社交にはいくらお金があっても足りないのだから。
 どこのパーティでもPB(professional beauty)が不可欠になった。「PBを呼んであります」と言えば、パーティに人が集まるのだった。PB二人が鉢合わせすることもあった。
 リリーのほかに、何人かの女性がプロフェッショナル・ビューティと目されていた。その中には政治家ウィンストン・チャーチル(1874-1965)の母親、レディ・ランドルフ・チャーチル(1854-1921)もいた。
 プロフェッショナル・ビューティ二人の鉢合わせ状態のことを頭に置いて、ホームズはレストレードとグレッグソンのことを

They are as jealous as a pair of professional beauties.

 と言ったのですよ。「商売女」ではありません。
 しかし、リリー・ラントレーのことをもう少し見ておこう。(続く)

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