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2009年3月 1日 (日)

柔道か柔術か(62)

国際的発展――フリースタイル・レスリングの歴史続き

 国際的な発展は、1870年、スコットランド人のレスラー兼怪力男のドナルド・ディニー(1837-1916)のアメリカ巡業とともに始まった。ディニーは、グレコローマン、スコットランドのバックホールド、コーンウォール・デボン式(着衣レスリング)、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンなどの各種レスリングの選手たちと巨額の賞金をかけて異種格闘技戦を盛んに行った。当時アメリカではグレコローマンが一番盛んだったが、北東部の州ではイングランドから輸入した各種着衣レスリングも人気があった。このうち「カラー・アンド・エルボー」は、アイルランド起源であるとよく言われるが、それは正しくない。

*ウィキペディア英語版には、「カラー・アンド・エルボー」がアイルランド起源の柔道によく似た着衣レスリングであると書いてあるが、筆者はその記述が正しくない(アイルランド起源は疑問だ)と言う。ウィキペディア英語版には「この記事には情報源が示されていない」「ウィキペディアの品質基準を満さない」と注記がある。
*コーンウォール式レスリング(Cornish wrestling)の方は現在も行われているらしい。下は2002年の取り組み。

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 イングランドのキャッチ・アズ・キャッチ・キャン・レスラーたちはアメリカを巡業して大きな成功をおさめた。1879年にはエドウィン・ビリー、1881年にはジョゼフ・アクトン、1888年にはトム・キャノンが渡米し、彼らの活動がこのスタイルのレスリングの人気を高めた。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンは、それまでアメリカで行われていた独自の着衣レスリング、コーンウォール・デボン式、グレコローマン式などと比べてはるかに柔軟で活動的だったからだ。アメリカでも、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの人気が高まるにつれてその他のスタイルへの関心は薄れて行った。トルコの強豪レスラーたちがフランス巡業を経てアメリカにやってきたことも、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンに対する一般の関心を高めた。中でもビッグ・ジョゼフとして知られたコカ・ユスフ(1857-1898)は特に有名だった。彼が海難事故で死んだとき、 抜け目のないプロモーターは、ユスフは泳ぎが達者なのにレスリングで獲得した賞金1万ドルの金貨(25kg)を腹帯に入れていたので溺れ死んだのだという話をでっち上げた。

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*エイブラハム・リンカーン(1809-61)は若いころレスリングが強かったという話がある。ウィキペディアによれば
「1832年4月11日の地方新聞(イリノイ州ビアーズタウン)にレスリングの試合でロレンゾ・ダウ・トンプソンがエイブラハム・リンカーンを2-0で破ったという記事がでた。」
  リンカーンはどういうスタイルのレスリングをしたのだろう?

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