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2009年3月 3日 (火)

柔道か柔術か(64)

インドのキャッチ・アズ・キャッチ・キャン
――フリースタイル・レスリングの歴史続き

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(1877年、バロダ藩王国におけるレスリング試合。英国軍将校と夫人たちが観戦している。)

  19世紀を通じて英国は最強の軍事力を誇り、広大な大英帝国内の各地、特にインドでは現地人の兵士が大量に募兵された。これらの現地人兵士が何よりも興味を示したスポーツはレスリングだった。インドでは各地域ごとに少しずつ異なるルールがあった。1937年になって公平な試合を促進するため、英印軍は兵士用の標準キャッチ・アズ・キャッチ・キャン・ルールを制定した。インドの藩王たちはレスリングを愛好した。多くの藩王がそれぞれ30人ほどのレスラーを抱え、他の藩王のお抱えレスラーと戦わせた。英国軍将校の中にもお抱えレスラーを持ち、巨額の金を賭けて藩王のレスラーと戦わせる者がいた。

*タニ・ユキオが1910年に訪英したインドの強豪グレート・ガマに挑戦したことは前に書きました(柔道か柔術か17)。ガマは挑戦を忌避したらしい。このガマ(1882-1953)も、インド中央部のダティア藩王国の藩王お抱えのレスラーだった。
 アントニオ猪木に腕を折られたアクラム(1930-1987)は、このガマの甥である。彼はBholu(1922-1985)を長兄とするパキスタンで有名なレスリング兄弟の四番目であった。

Brothers_3

 アクラム・ペールワンの「ペールワン」は、「チャンピオン・クラスのレスラー」というくらいの意味で、ガマは「ガマ・ペールワン」と呼ばれた(苗字はなかったらしい)。1976年にアクラムが猪木に負けて兄弟の名声は地に落ちた。それまで、兄弟は海外からきた多くの強豪を撃破してきたが、本気を出した猪木には敵わなかった。アクラムとしては、伯父のガマがスタニスラウ・ズビスコをわずか42秒で降した(1928年)ように、ペールワンたる自分が外国レスラーに負けるはずがないと思っていたのだろう。外国では柔術を取り入れてサブミッション・レスリングの研究が進み、イングランドには「スネーク・ピット」というジムまでできたことを知らなかったのだ。
http://www.youtube.com/watch?v=ZS577WPbBbU
 上のyoutubeで見直してみると、早くも第一ラウンドに猪木がアクラムを腕拉ぎ十字固めに捉えている。極まらなかったのは相手が「二重関節」だからだと猪木は言うが、そうではないと思う。「まさか折ってしまうわけにも行かない」と躊躇して逃げられたのだろう。ところが第二ラウンドで相手が噛みついてきたので、「ギブアップしないのなら折るのもやむを得ない」と決心したものと見える。パキスタンでは猪木は今でも最強の男として尊敬されているという。

Armlock

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コメント

ああ、インドにずっと伝統のレスリング的なものがあったというより、英国支配の結果レスリングが広まったんですか。

投稿: Gryphon | 2009年3月 4日 (水) 02時52分

どうなんでしょう? インド伝統のレスリングがあって、それが英国のキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(フリースタイル)とよく似ていたので、インド人の懐柔に利用したのではないでしょうか。イランからインドまで「ペールワン」「ペールヴァン」「パールワン」のようなよく似た発音の単語が昔から「レスラー」の意味らしい。

投稿: 三十郎 | 2009年3月 4日 (水) 10時23分

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