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2009年3月 6日 (金)

柔道か柔術か(66)

世界チャンピオン決定戦
――フリースタイル・レスリングの歴史続き

 1904年のセントルイス五輪にはレスリングがあったが、これはフリースタイルだけだった。距離の問題もあり(当時は船旅)、グレコローマンがなかったこともあって、ヨーロッパのレスラーはわざわざ渡米しなかったから、これは実質的には全米選手権だった。

 キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの普及にとって重要な年は1908年だった。この年、ロンドンで開かれた三大イベントがキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの普及を促した。まず、2月1日までアルハンブラ劇場で行われた世界チャンピオン決定戦、次にヘングラー・サーカスのトーナメントは5月6日に始まり8週間続いた。それが終わって2週間後にロンドン・オリンピックが開催された。

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*世界チャンピオン決定戦とサーカスのトーナメントはプロレスの試合である。オリンピックではもちろんアマチュア・レスリングを行った。この三つを対等に並べているのは

・アマレスとプロレスは同じ種類のレスリングをした。
・それは「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン=フリースタイル」であった。
・したがって当時のプロレスには

(1)ドロップキックや空手チョップはなかった。(反則である。)
(2)垂直落下式ブレーンバスターのような派手な技はなかった。(相互の暗黙の了解がなければできない。)
(3)ジャーマンやダブルアームのスープレックスもまずなかった。(フリースタイルのルールでは、よほどの実力差がなければグレコの技は出せない。)
(4)関節技でギブアップを狙う戦いはなかった。(サブミッションは柔術のものでキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの技ではない――しつこいが繰り返しておきたい。)

* ドロップキックやブレーンバスターがプロレスに使われるようになるのは、もう少し後に「オールイン」が始まってからだ。その「裏技」として関節技が使われるようになったのだと思うが、この話はまた。

(ロンドン五輪のレスリング試合は屋外で行われた)

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(アルハンブラ劇場のプロレス試合。1910年。こちらは屋内)

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