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2009年3月 9日 (月)

柔道か柔術か(67)

世界チャンピオン決定戦
――フリースタイル・レスリングの歴史続き

 イングランドで最も権威のある全国スポーツクラブ(National Sporting Club)は、新聞で「世界チャンピオン」「全英チャンピオン」「連邦チャンピオン」などの称号が乱用されているのを憂慮して、ライト、ミドル、ヘビーの3階級で真の世界チャンピオンを決定することにした。第5代ロンズデール伯爵(1857-1944)が同クラブの会長であり、世界チャンピオン決定戦の役員は(選手はプロだったが)全員アマチュアであった。役員の一人は英国アマチュア・レスリング協会会長のA・H・サザーランドであった。このチャンピオン決定トーナメントは毎年アルハンブラ劇場で開催するものとし、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの正統なチャンピオンを決定するプロのための大会であった。当時ヨーロッパ大陸の諸国はグレコローマンだけでよいと主張していたのである。この大会は当時のテクノロジーの許す限り広範囲に広告され、有力選手には 招待状が出された。しかし、ハッケンシュミット、タニ・ユキオ、スイスのシェルピロなどの有名選手は参加を断った。もし負ければミュージックホール・レスリングでの稼ぎがフイになると考えたからである。

*タニ・ユキオは「キャッチ・アズ・キャッチ・キャンのレスラー」として招待されたのである。前述のように、タニは柔術だけでなく裸になって「純レスリング」の試合にも出て好成績を収めていた。下の写真にも「世界的に有名な柔術とキャッチ・アズ・キャッチ・キャンのレスラー」と書いてある。(身長はやはり150センチ台のようだ。ほんとに「ポケットヘラクレス」の体型ですね。)

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*前田光世も1907年に渡英し、(柔術も披露したらしいが)盛んにプロレスの試合に出ていた。彼はこのチャンピオン決定大会にレスラーとして出場し、ヘビー級で2位になった。詳しくは次回。

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