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2009年3月27日 (金)

プロの美人たち(7)

Lillie1

 1877年5月24日の夜、サー・アレン・ヤング主催のパーティで、皇太子はリリー・ラントレーの隣の席に坐れるように手配させた。リリーの夫ももちろんパーティに出たが、離れた席に坐らされた。皇太子はすぐにリリーに夢中になった。まもなくリリー・ラントレーが皇太子の半公式的な恋人であることは公然の秘密となった。そのうちに奥さんのアレクサンドラ妃もリリーと会って、親しくなった。

 リリーの夫はどうしていたか? 社交界では夫婦一緒に行動するから、夫は妻と皇太子の関係を知って知らないふりをしなければならなかった。これは相手が皇太子だからというわけではない。上流階級では、一定の条件がある場合、姦通が半ば公認されていたのだ。騒ぎ立てるような野暮な真似はしないことになっていた。
 この「一定の条件」が具体的に何かまではまだ研究していない。ともかく姦通公認の場合があることを頭に入れておかないと西洋の本を読んでも分からないことがある。
 これはもう少し後の20世紀に入ってからであるが、バートランド・ラッセル(1872-1970)の自伝にも姦通の話が出てくる。

 ラッセルは政治的には進歩派で自由党に属し婦人参政権運動などをしていたが、友人で同志の自由党代議士の夫人がラッセルの愛人として周囲も公認の存在だった。ラッセルがほかのガールフレンドとつき合うときは、この愛人に気づかれないように友人たちが協力した。彼女の夫も当然二人の関係は知っていたが、ふつうにラッセルとつき合っていたようだ。これはどうもよく分からない。
 ラッセルと愛人とはそのうちに何となく疎遠になって別れた。
 大分たってから、別れた理由が判明したという。ラッセルはそのころ歯槽膿漏だったので、キスをすると大変に臭いのだった。しかし当時の上流階級に属する愛人は「あなたの口が臭い」なんて下品なことは恥ずかしくて言えなかった(姦通は平気だったけれども)。
 ラッセルが手術して歯槽膿漏が治ったと聞いて、愛人がよりを戻しましょうと言ってきたけれども、そのころにはもうラッセルの方でその女性に関心を失っていたのだそうだ。

 皇太子とリリー・ラントレーの関係は、1877年後半から1880年6月まで続いた。皇太子はドーセット州に二人で過ごすための邸、Red Houseを新築した(現在はラントレー・マナーという名前のホテルになっている)。設計はリリーに任せた。

Outside

 皇太子はリリーに
「あなたには軍艦を一艘を建造できるくらい(お金)を出したのだ。I've spent enough on you to build a battleship.」
 と言った。
  リリーはすぐさま答えた。
"And you've spent enough in me to float one."
「そうですわ、軍艦を一艘浮かべられるくらい……」(訳を完成せよ)

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