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2009年3月28日 (土)

プロの美人たち(8)

 リリー・ラントレーと皇太子の関係は1880年6月まで続いた。しかし、1879年6月にフランスの大女優サラ・ベルナール(1844-1923)がロンドンを訪れると、皇太子はこの女優に入れあげ、リリーも愛人を作った。

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(サラ・ベルナール)
 
 1880年に皇太子と別れると、それまで請求を控えていた債権者が押し寄せて大変なことになった。夫のエドワード・ラントレーはこれで破産した、という説もあるが、これは間違いなのだそうだ。
 皇太子の後釜になったのは、英王室の親戚でオーストリアの太公であるルイ・バッテンベルグ(1854-1929)だった。バッテンベルグ家は第一次大戦のときにマウントバッテンという英国風の苗字に改姓した。最後のインド総督であったマウントバッテン伯爵はこの人の息子である。
 りりーは1881年に女の子を産んだ。父親はもちろん夫ではなかったが、ルイ・バッテンベルグでもなかったらしい。

 1880年に皇太子と別れたあと、何か生計の道を見つけなければならなかった。友人のオスカー・ワイルドが女優になったらどうかと勧めた。これは大成功で、特にアメリカで人気が出た。イギリスで公演するときには、初日に皇太子が見に来て、楽屋を訪問して談笑するのだった。 
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   アメリカの百万長者の愛人になった。夫は1897年になってようやくリリーと離婚し、まもなく亡くなった。
 リリーは1899年、46歳のときに自分よりはるかに若い男爵と結婚し、モナコで1929年に亡くなるまで豊かに暮らした。
 彼女の墓は生まれ故郷のジャージー島にある。

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コメント

お久し振りです。

「プロの美人たち」シリーズたいへん勉強になります。
一人でも多くのホームズ愛好家に読んで欲しいと思ったので、
勝手ながら、ミクシィ「ホームズの世界」コミュニティーの
情報欄で紹介させて頂きました。

今後とも読み応えのある研究期待しております。

投稿: 熊谷 彰 | 2009年3月28日 (土) 12時31分

ありがとうございます。もう少し続けてチャーチルのお母さんのことも書きます。

投稿: 三十郎 | 2009年3月28日 (土) 14時38分

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