« モルグ街の新訳(1) | トップページ | モルグ街の新訳(3) »

2009年5月20日 (水)

モルグ街の新訳(2)

This young gentleman was of an excellent --indeed of an illustrious family, but, by a variety of untoward events, had been reduced to such poverty that the energy of his character succumbed beneath it, and he ceased to bestir himself in the world, or to care for the retrieval of his fortunes.

この若き紳士はまことに端倪すべからざる名家の出身ではあったが、さまざまな紆余曲折を経て没落の一途を辿り、現在の貧窮ときたら持てる力を振り絞ってもかなわないほど。かくしてデュパンは一念発起することも資産回復を図ることも断念せざるを得ない、というわけなのだった。(新潮文庫p.15)

 特に変なところはどこか? まあ全部変ですが。
「端倪すべからざる名家」なんておかしな日本語があるものか。無理に「端倪」なんて漢文由来の言葉を使うから間違えるのだ。
 塩谷温『新字鑑』によれば

端倪 ①山のいただきと水のほとり。きわ。はし。転じて事のはじめとおわり。
   ②わかつ。くぎる。転じて、測り知ること。

「端倪すべからざる○○」とは「測り知ることができない○○」の意味である。ここで助動詞「べし」はもちろん当為ではなく可能(できる)の意味。
 明治時代、まだ漢文を読む人がいた時代の例を一つ。

「虞美人草」以前の氏は変幻出没端倪すべからざる概があつたが、近来は少し型に入り過ぎたやうな気味のあるのを慊らぬやうに思ふ。
(中央公論明治41年(1908年)3月号 滝田樗陰「月旦」の夏目漱石『坑夫』評)

 昭和になってからの例文。

才能は端倪すべからざるものがある。
(昭和41年(1966年)直木賞候補作「さらば、モスクワ愚連隊」(五木寛之)に対する水上勉の選評の一部)

 才能や能力など「人の属性であって程度の高低を言うことができるもの」について「端倪すべからざる○○」と言うのが比較的新しい(昭和時代の)使い方のようだ。選考委員の水上勉が新人五木寛之をなかなか偉いとほめているのである。

 滝田樗陰の「変幻出没端倪すべからざる概」は、漢文本来の語法だろう。必ずしも「程度の高低」を言わない。滝田樗陰は、五木寛之に対する水上勉とは違って、自分の方が漱石より上だと思っているのではない。坊っちゃんでも猫でも虞美人草でも、これまで漱石の書いてきたものは変幻自在であって次はどこから何が出てくるか見当もつかないほどであった、というのだ。

 いずれにせよ、「端倪」なんて、よく知らない言葉は、筆者なら絶対使わない。知ったかぶりをするから変な日本語になる。
 新潮文庫の新訳はほかにも変なところが多い。たとえば

……現在の貧窮ときたら持てる力を振り絞ってもかなわないほど

 上の下線部は「話し言葉」の口調である。ところがこのセンテンスは「この若き紳士はまことに端倪すべからざる…」と文語調で始まっている。よく平気でこういう日本語を書くね。びっくりする。

 同じ箇所を光文社文庫版で読んでみよう。口直しです。

 一八××年の春から夏に掛けて、私はパリに住んで、C・オーギュスト・デュパン氏なる人物を知った。若い紳士である。名家の出であって――いや、じつに由緒正しき名門の末というべきだったが、いろいろと不本意な出来事が重なり、気力まで衰える窮乏を強いられて、もはや世間で頭角を現そうとか、家運を盛り返そうとか思ってはいなかった。ただ一応は債権者が猶予してくれたおかげで、わずかながら残った遺産があり、それを元手にした収入もあったので、切り詰めていさえすれば、どうにか暮らしは立っていた。よけいな買い物はしない。もともと道楽といえば本が好きなことだけで、またパリは書物の出回っている町だった。

 どうも、うまいものですね。ただ次の段落はちょっと問題があると思う。(続く)

|

« モルグ街の新訳(1) | トップページ | モルグ街の新訳(3) »

コメント

「巽先生共編著『エドガー・アラン・ポーの世紀―生誕 200周年記念必携』が5月27日(水)に研究社より、いよいよ刊行されます!ポー 200周年記念事業の一環として、日本ポー学会の初代会長・八木敏雄先生と、今年4月より新会長に着任した巽先生の共編である本書は、両先生を中心に、ポー学会の総力を結集した記念すべき一冊。」だそうです。ご参考まで。

投稿: 土屋朋之 | 2009年5月20日 (水) 22時39分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/29694612

この記事へのトラックバック一覧です: モルグ街の新訳(2):

« モルグ街の新訳(1) | トップページ | モルグ街の新訳(3) »