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2009年7月23日 (木)

1976年以前のアントニオ猪木(2)

 猪木の話の続き。しかし、これはプロレス談義です。出典ははっきりせず、真偽のほどは保証できない。
 若いころの猪木について、マサ斎藤は、
「猪木さんは本当にうらやましいような体をしていた。体重もあのころは115kgくらいあった」
 と言っている。

Inoki

 黒パンツではないから、ストロングスタイルを標榜し始めるより前の、ごく若いころの写真だ。確かに筋肉の張りが後年とは全然違う。
 これより少し後のことだろう。フリッツ・フォン・エリックと戦った試合があった。
 エリックが猪木を掴まえてボディスラムで投げようとする。猪木危うし。ところが猪木は空中でひらりと身を翻して、相手の背後に降り立った。何という身の軽さだ。コブラツイストを掛ける。一回り大きなエリックに効くとは思えないのだけれど、相手はびっくりしてやる気を失ったのか、ギブアップしてしまった。
「どうも最後がもう一つ説得力に欠けたなあ。あそこでジャーマンスープレックスが出ればよかったけれど、ちょっと無理か。しかし、猪木もエリックも強い。面白かった」
 と思った。
 プロレスというものは誰でもこういう見方をしているのだろう。真剣勝負と信じる人がいたのはもっと昔だ。フレッド・ブラッシーが力道山に噛み付いて流血の惨事になったのを見てショック死した老人がいたそうだけれど――と私は思っていたけれども、そうでもないらしい。
 新日本プロレスのストロングスタイルは本物だ。いや、あれはまだまだだったけれどUWFは真剣勝負のはずだ――と考える人が結構いたらしい。たとえば

《僕は、UWFというものの出現を、いまだに夢のような感動でもって受けとめている。こんなものが自分の生きている間に出てき、存続し得るとは思えなかったからだ。ましてや、東京ドームで6万人の人間とともに、リアルファイトの異種格闘技オリンピックを目にすることができた、というのは、これを書いている今でも頬をつねりたくなる思いである》(中島らも)
 実際のUWFは、もちろんリアルファイトではなかった。
(柳澤健 p.438)

 なるほど、そういうことだったのか。信者がたくさんできたのか。
 ところがUFCというものが始まって、グレーシー一族がデビューした。高田延彦がヒクソン・グレーシーに一方的に殴られ、絞められ、腕拉ぎ十字固めを掛けられてあっさり、ギブアップした。「プロレスは最強の格闘技である」という幻想を否定された日本のプロレスファンはヒクソンおよびグレーシー一族を憎むようになった――という次第は、柳澤氏の本の446頁以後に詳しく書いてある。
 前にキャッチ・アズ・キャッチ・キャンについて書いたら随分反発があったのもこのせいだったのか。(続く) 

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