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2009年8月31日 (月)

刺青について(1)

「右の手首のすこしうえにある魚の形の刺青は、中国でなければ見られないものです。私は刺青の構図に関しては、すこしばかり研究したこともありますし、その方面の文献に多少の寄与もしているものです。魚のうろこを感じのよい紅で染めるその技巧は、まったく中国特有のものです。……」
(延原謙訳)

“The fish that you have tattooed immediately above your right wrist could only have been done in China. I have made a small study of tattoo marks and have even contributed to the literature of the subject. That trick of staining the fishes’ scales of a delicate pink is quite peculiar to China.---"

 もちろん『赤毛連盟』で、シャーロック・ホームズは質屋のジェイベズ・ウィルソンさんの腕の刺青のことを言っているのであった。

 延原氏の訳文
……その方面の文献に多少の寄与もしているものです。
 原文
I …… have even contributed to the literature of the subject.

 これはこれで正しい訳です。しかし「その方面の文献に多少の寄与をする」とは、具体的にはどういうことでしょうか?
 早川文庫の大久保康雄訳では「その方面の本も書いています」となっている。こっちの方がよく分かる。「本」に限らないと思うけれど。
 ホームズは刺青についてmonographを書いたのだ。

  リーダーズ英和辞典
monograph
n 《限定された単一小分野をテーマとする》小研究論文, 小論, モノグラフ

 モノグラフは本の形で出版することも、雑誌に載せることもある。「刺青については論文も書いています」くらいでよいのでは。雑誌掲載論文はたいてい抜き刷りを作って製本もするから、まあ「本」でもよろしいか。ともかくモノグラフを書くことが、literature of the subject=刺青文献にcontribute=寄与/貢献/寄稿することだ。

 ホームズが書いたモノグラフで一番有名なものは?

Upon the Distinction between the Ashes of the Various Tobaccos

 このモノグラフはどこに出てきましたか?

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2009年8月30日 (日)

証人会

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 大相撲力士の明武谷(1937-)は189cm、113kg。得意技は吊り出し。最高位は東関脇。昭和39年から42年にかけて大鵬に5勝(20敗)するなど、大活躍した。仇名は人間起重機。
 昭和44年に引退し年寄中村を襲名して宮城野部屋で後進の指導に当たっていたが、昭和52年に廃業した。エホバの証人に入信したためである。エホバの証人では輸血だけでなく、格闘技も禁ぜられている。
 ボクシング、レスリング、ムエタイ、柔道、剣道、合気道、空手、中国拳法、相撲などは禁止である。相撲を取るのはもちろん、親方として指導するのもいけない。
 私の小学校の同級生の親類に、エホバの証人に入った一家がいる。子供が高校生で、体育で柔道か剣道が必修であるが、授業拒否が認められているようだ。
 青豆がマーシャルアーツを始めたのは、もちろん脱会してからであった。

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2009年8月29日 (土)

ギリヤーク人

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きのどくなギリヤークじん

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2009年8月28日 (金)

グーグル八分について

グーグル八分とは、グーグルの基準に該当するページが、グーグルのデータベースから除かれ、グーグルで検索しても内容が表示されない状態になることを村八分になぞらえて呼ぶ言葉である。 グーグルの検閲行為とも言われる。(ウィキペディア)

 確かにこういうことはありますね。たとえば中国版グーグルで「天安門事件」を検索しても一切出てこない。グーグルが進出するときに中国政府の検閲を受けるという条件を呑んだらしい。
 もちろん日本語でもグーグル八分はある。ウィキペディアに例が挙がっている。
 私自身、グーグル八分の被害に遭っていると思う。「思う」というのは証拠がないからだ。グーグルは一種の検閲を行っていることは認めているようだが、その検閲の基準は公表していない。
 グーグルに 煙草を吸うな と入力すると、私の書いた
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_92f1.html
 がトップに来たものだったが、いつの間にか表示されなくなった。
 ヤフーでは、今でもトップである。
 Politically incorrectということでグーグル八分にしたのだと思う。反禁煙ファシズムとヒトラーで「合わせ技一本」なのだろう。
 グーグルは確かに便利だ。私は英語を書くときに辞書代わりに使って重宝している。しかし梅田某みたいなグーグル万歳はよろしくないね。

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2009年8月27日 (木)

タイ人と日本人

 青木真也とワンロップ・ウィラサクレックはともに1982年生まれで同い年だ――なんて言っても何のことか分からないだろうな。
 青木真也は日本の格闘家。体重70kgのクラスでは世界で2番目に強いと言われる。柔術をベースとした寝技の達人だ。

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 その青木真也がワンロップ・ウィラサクレックというムエタイの強豪に稽古をつけてもらった様子をゴング格闘技10月号がレポートしている。

 ワンロップは通常体重58kgで青木より15kg軽い。試合のときは55kgで、60kgの日本選手と平気で戦う。

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ワンロップ「でも、タイでやるんだったら52kgか53kgがベストだと思います」
青木「日本では同体重だと差が出るし、やっぱり相手がいないですよね」

 リングに上がって3分3ラウンドのスパーリングをしてみると、青木は首相撲からヒザ蹴りをボディに連打で浴びてしまう。ワンロップは青木のミドルキックをキャッチしてみせる。自分のキックは取らせないのに。
 スパーリングのあとで
青木「やっぱり本職は強い。ワンロップ選手は一つの形として完成している」
ワンロップ「日本人選手は普通もっと簡単に倒せるのに、青木選手は強かった」

 本場のムエタイはすごい。体格や力の差を補う秘術があるのだ。タイの選手が来日して日本人と試合したり道場で教えたりしている様子は何かを思い出させないだろうか。100年前のロンドンでは、タニ・ユキオ(谷幸雄)たちが大きな英国人と戦い柔術を教えていた。谷幸雄やロンドン武道会の創立者小泉軍治がイギリスで尊敬されていたように、タイ人の強さも分かる人には分かっているのだ。
 柔術はブラジルが出藍の誉れになったが、日本のキックボクシングもタイを越えるだろうか? なかなか。
 ワンロップの経歴がすごい。8歳でムエタイを始め18歳で出家するまで続けた。還俗して2003年から日本で戦うようになったのだ。鍛え方が違う。

ワンロップ「相手のバランスを崩す前蹴りと相手にダメージを与える前蹴り、この二つを状況によって使い分けています。相手の状況を見て、バランスを崩して反応できないようだったらパンチやヒザ、ヒジを打っています。ウソ(=フェイント)が肝心です」

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2009年8月26日 (水)

被告人は反省しているか(2)

「反省」を研究社和英大辞典で引いてみる。

はんせい【反省】(hansei)
〔内省〕 self-examination; reflection; introspection;
〔再考〕 reconsideration.
~する examine oneself; search one's heart [soul] 《on a matter》; introspect; reconsider.

「反省」という日本語に上のように英語を宛てている。そのあとに、「自己の行為を反省する」「なんで負けたかみんなよく反省してみろ」など、いくつかの和文の英訳例がついている。しかし、これでは「被告人は反省している(ことが窺われる)」の英訳はできない。
「反省」の用法を一つ忘れている。研究社は反省してもらいたい。

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 どういう英語を付け加えればよいかは、分かるのだけれども、念のために『ビジネス/技術 実用英語大辞典』を引いてみる。

はんせい【反省】
◆a hard-learned lesson  手痛い教訓[反省材料]; 《意訳》きつい戒め[お灸]
◆express deep remorse for [over, concerning] ...  ~に対し[~に関し]深い反省の意を表明する
◆with deep remorse  深い反省をもって
◆a debriefing in which they discussed what went right and wrong  何がうまく行って何がうまく行かなかったのかについて彼らが話し合った反省会
◆the letter had expressed profound remorse over Japanese treatment of British and other Allied POWs  この親書は英国人捕虜およびその他の連合国捕虜に対する日本の処遇について深い反省を表していた
◆Japanese Prime Minister Tomiichi Murayama expressed his profound remorse for Japan's actions in a certain period of the past.  日本の村山富市首相は, 過去のある時期における日本の行為について深い反省を表明した.

 この辞書は網羅的であることを目指していないから、和英大辞典に書いてあるようなことは省いてある。しかし海野文男氏と海野和子氏が「英語圏で作成された文書」から取った用例を集めてデータベースを作り、それに基づいて書いてあるから信頼できるのだ。
 単に頭の中で「反省という日本語は何という英語に当たるか?」と考えたのでは、確かに研究社和英大辞典のような訳語しか思いつかないだろう。remorseはふつう「良心の呵責、自責の念、後悔」などと訳するから。

ともかく、「反省」にremorseを使えばよいのだと分かると、自然に英文が頭に浮かんでくる。

The accused showed remorse.

 これと「被告人は反省していることが窺われる」を比べてみる。「窺われる」に対する訳がない? しかし、「自発」の意味の「窺われる」は前に述べたように英語には翻訳できないのだ。
 英文の意味は「被告人はremorseを(言葉や態度などによって)示した」ということだ。「反省しているかどうか」は被告人の内心の問題であって、裁判官といえども認定できない。「何かを示したか示さなかったか」は外に現れるはずで、これならば裁判官が認定することができる。直訳にならなかったのは仕方がない。
 というような面倒な問題など、考えたことがある人は少ないだろう。そういう素人に殺人事件などを裁かせるのが裁判員制度だ。大丈夫かな。

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2009年8月25日 (火)

被告人は反省しているか(1)

 刑事裁判の判決をいくつか英訳したことがある。窃盗、業務上過失傷害、詐欺、それに覚醒剤取締法違反などの事件である。外国の学者が日本の刑事裁判を研究する参考資料に使ったのだろう。
 ともかく一語一句正確厳密に訳するよう心がけたが、困ったのは「被告人が反省しているかどうか」の訳だ。量刑を左右する重大問題だけれど、英語でどう言えばよいか。

 判決に「被告人は反省している」とはさすがに書いてない。書けるはずがない。
 小説ならば、「彼は妻を殺したが、今ではそのことを反省している」と書いてもよろしい。三人称小説の作者は特権的な、神の如き立場にあって、登場人物の心理を自由に描くことが許される。下手に書いては説得力がないが、それは別の問題だ。
 しかし、裁判官がいくら偉くても、被告人が心の中でどう思っているか、反省しているかいないか、分かるはずがない。判決はたとえば
「二度と覚醒剤は使わず、真面目に家業に励むつもりだと述べるなど、被告人は反省していることが窺われるので……」
 というふうに書いてあった。窺うのならば構わんのか?
「窺われる」はどう英訳するか。

 研究社和英大辞典の「窺う」は
4番目の意味として
4 〔察知する〕 gather; tell; guess; 《文》 infer; surmise.
例文
・彼がこの提案を受諾する意志がないことはその言葉からうかがえる. It may be gathered from what he said that he has no intention of accepting this proposal.
・彼の話から学識の深いことがうかがわれた. His profound learning could be inferred from what he said.
・彼女のしゃべり方からは内心の不安がうかがえた. I could tell from the way she spoke that she was disturbed.

「窺われる」の「れる」は文法用語ではいわゆる「自発」の助動詞だ。ウィキペディアが上手に「自発」を定義している。

日本語の文法における自発とは、 動詞の表現様式で、行為・動作を人が積極的意志を持って行うのでなく、自然にあるいはひとりでに実現する現象・作用のようにいう表現である。

 しかし英語にはこういう「自発」はない。「被告人は反省している」ことがひとりでに(→裁判官の関与なしに)察知される――は、英語では言えず、判決にならない。どうしても訳すると、辞書の例文にならって

It may be gathered from----that the accused [反省している]
The [反省] of the accused can be inferred from---
I, the judge, can tell from---that the accused [反省している]

しかし、これはmayやcanの「可能」(裁判官が主語)で代用しているので、ずれているし、無理筋だ。裁判官が被告人の心理状態をgather/infer/tellすることは、可能か? 被告人が「何をしたか」はならば察知が可能で、判決で認定することになるだろうが。
 これは、「窺われる」はしばらく放っておいて「反省」の方を考えてみるしかない。(続く)

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2009年8月19日 (水)

覚醒剤について(2)

「覚醒剤について」で検索してみたら、「覚醒剤は安全な薬です。社会のウソ、バラします云々」というサイトを見つけた。
http://kakuseizai.hp.infoseek.co.jp/

「宇宙飛行士の向井さんや毛利さんだって覚醒剤をやっている。」というサイトもあった。
http://d.hatena.ne.jp/ziprocker/20090807

 ほんとに「安全な薬」なのかどうかは知らない。しかし、この前に見たように、ヒロポン(メタンフェタミンという覚醒剤の商品名、大日本住友製薬の登録商標だった)は昭和26年まで合法だったのだ。坂口安吾(1906-1955)は常用していたけれども、それで気が狂ったりはしなかった。安吾は将棋ファンで観戦記も書いたから、某高段者(うろ覚えなので曖昧に書く)に是非やってご覧なさいと勧めたようだ。終盤の詰むかどうかという局面(たいてい真夜中になる)では絶大な効果があったそうだ。
 イアン・フレミングの小説『ムーンレイカー』では、007ジェームズ・ボンドがブリッジのゲームで集中力を高めるためにベンゼドリンを服用するシーンがあった。

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 これはアンフェタミンの商品名で、1920年代から空軍パイロット用などに使われていたという。日本では、ゼドリンの商標で武田薬品工業からアンフェタミン製剤が発売されていたが、現在では発売が中止されている(ウィキペディアによる)。

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 しかし、危ない薬だという証言もある。これは母から聞いた。もちろん母が服用したわけではない。
 30年以上前、父と母が住んでいた家で、夜中に何者かがドンドンと屋根を踏み歩く音がした。110番すると、警察が「絶対に家の外に出ないで下さいよ」と言ってからすぐに駆けつけて、若い男を掴まえて行ったそうだ。何でも覚醒剤の中毒で幻覚症状が出ると屋根に上り、屋根から屋根へと飛び移って騒動を起こす常習犯だったそうだ。

 しかし、テレビをつけると、まだ「酒井法子容疑者は……」などとやっているのは、少しうるさいね。出演者全員が口をそろえて「容疑者」と言う。なかには「のりピー」とか「酒井さん」などと呼ぶ者もいてよいはずだ。可哀想じゃないか。

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2009年8月12日 (水)

覚醒剤について

反スタイルの記
      坂口安吾
 (青空文庫より)

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 私がヒロポンという薬の名をきいたのは六七年前で、東京新聞のY君がきかせてくれたのである。そのときは二日酔いの薬というY君式の伝授で、社の猛者連中が宿酔に用いて霊顕あらたか、という効能がついていた。けれども、当時はそろそろ酒も姿をひそめて、めったに宿酔もできない世の中になりかけていたから、ヒロポンのお世話になる必要もなかった。
 それから一二年して、仕事にヒロポンを用いているという二人の男にぶつかった。南川潤と荒正人だ。南川がヒロポンというのは話が分るが、荒正人とヒロポンは取り合せが変だ。ヒロポンが顔負けしそうだけれども、彼は女房、女中に至るまでヒロポンをのませて家庭の能率をあげるという奇妙な文化生活をたのしんでいるのだそうである。
 当時は戦争中で、私は仕事もなく、酒もなしという状態でヒロポンのごやっかいになることも少なかったが、時々は、宿酔に用いたこともあって、私の宿酔とくるとドウモウだから、定量以上ガブガブのみ、ちょうど居合せた長畑医師にいさめられたことがある。そのとき、エフェドリンに似た成分の薬だということを教えられた。
 そのうちに空襲となり薬屋にヒロポンの姿もなくなり、本土が戦場になったというような時にヒロポンの必要がありそうだと考えていると、私の兄が軍需会社にいるものだから、その薬なら会社にある、夜業に工員にのませているのだ、といって、持ってきてくれた。ヒロポンが五粒に、胃の薬をまぜて一服になっている。
 私の街が焼野原になった夜、焼い弾が落ちはじめたとき、このヒロポンを飲んだ。どうにも睡くて仕方がないからで、戦争中は私は実にねむかった。そのヒロポンのせいだか、私は妙に怖くなかった。頭上で焼い弾がガラガラやるのを軒の下からながめて、四方の火がだんだん迫ってくるのを変な孤独感で待ちかまえていたのである。
 ホープの編集記者の新美という人が、元来心理学を専攻した人で、戦争中、航空隊に属してヒロポンの心理反応を取り扱い、特攻隊にヒロポンを用いるつもりであったという、多少は度胸をつけること私も実験ずみだが、この新美氏のヒロポンの知識は専門家だから大したもので、私は二時間にわたってヒロポンの講話を承ったが、あんまり専門的な話だから、感心しながら、みんな忘れてしまった。ノートをとっておけばよかった。
 そのとき、ヒロポンは元来モヒ中毒の薬として発明されたものだということを知った。そのうちに覚せい剤としての効能などが分ってきたのだそうである。船酔いなどにも良いそうだ。とにかく、きく。これを飲めば十時間は必ず眠れぬ。その代り、心臓がドキドキし、汗がでる、手がふるえる、色々とにぎやかな副産物があって、病的だが、仕事のためには確かによいから、自然、濫用してしまう。

 織田作之助がヒロポンを濫用していた。彼は毎日ヒロポンの注射をして仕事にかゝるのだが、毎日というのは、よろしくない。
 私は仕事の日と、遊ぶ日を別にしており、仕事の日は仕事だけ、遊ぶ日は遊ぶだけ、というやり方だからヒロポンは毎日用いてはいない、もっとも、ヒロポンを用いて仕事をすると、三日や四日の徹夜ぐらい平気の代りに、いざ仕事が終って眠りたいという時に、眠ることができない。眠るためには酒を飲む必要があり、ヒロポンの効果を消して眠るまでには多量の酒が必要で、ウイスキーを一本半か二本飲む必要がある。原稿料がウイスキーで消えてなくなり足がでるから、バカげた話で、私は要するに、全然お金をもうけていないのである。
 織田のヒロポンは毎日だから、ひどかった。毎日ヒロポン、仕事、遊び、ヒロポン、仕事という順序で、くぎりがないから不健康だ。織田のヒロポンは注射だが、私は注射は好まない。第一回目だけ、よく利く。打ったとたんに頭が澄んでくるから、バカにきくように思えるけれども、一時間もすると、ぼやけてくる。二本目を打つ。もう、さほど利かない。
 飲む方はすぐは利かぬが、効果が持続的だから、私のように、仕事は仕事だけまとめてやるというやり方には、この方にかぎる。どうしても飲みすぎて、顔色はそう白となり、汗はでる、動きはうつ、どうもいやだ、もう飲みたくないと思うけれども、仕事の無理をきかせるためには飲まざるを得なくなってしまう。
 新潮と改造の新年号の小説の時はひどかった。どっちも、まる四日間、一睡もしていない。そうかといって、書き上げても、酒を飲んででい酔しなければ眠ることができないので、えゝマヽヨ、死んでもいゝや、と思って、銀座のルパンへウイスキーを飲みにでかけたものだ。あの日の心臓の動きはひどかったので、途中でブッ倒れるような気がして、仕方がなかったのである。
 その日、織田が昨日かっ血したということをきいたのである。石川淳がめいていしていて、織田はかっ血したから好きだ。かっ血する奴はみんな好きだ、死んでしまえば、なお、好きだ。と、石川式のことを叫んで立上ってフラフラしていた。
 石川淳だの太宰治というヒロポン型の先生がヒロポンを用いておらず、荒正人だの私のようなのがヒロポンを濫用しているのは、はなはだしくスタイルを裏切るものだから、私もヒロポンはやめたいと思っているのだが、近ごろは万事スタイルの混乱時代で、先日代々木の街頭で、おれがこの道を歩いているとだれでも共産党だと思うだろうな、と言ったら、友人のいわく、さにあらず、共産党はみんなオシャレだよ。とても、身だしなみがいゝんだ、という話で、私みたいのボロ洋服、頭髪ボウボウは共産党にもしてくれない。よってヒロポンを飲み、スタイル混乱期のおつきあいをしているような次第なのである。

 坂口安吾の『反スタイルの記』は、東京新聞の昭和22年2月6日、7日号に載った。当時は覚醒剤はまだ合法だった。
 覚醒剤取締法は、昭和26年6月30日に公布された。

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リングネームについて(2)

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 ビリー・グラハムという人は、現代アメリカの大衆伝道師、テレビ伝道師のうちで一番大物であるらしい。
 1940年台末から盛んに伝道活動をはじめ、ウィリアム・ランドルフ・ハースト(1863-1951)の率いるハースト系新聞のバックアップを受けて勢力を拡大した。ハーストは『市民ケーン』(1941年)のモデルになった人である。

 グラハムは大規模な伝道集会を開いた。たとえば1957年にはニューヨークのマジソンスクェアガーデンを使って16週間にわたる「クルセード」集会を開いた。彼の伝道集会は、しばしばテレビのゴールデンアワーに放映された。プロレスラーがあやかりたいほどの「スーパースター」だった。

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  日本では、たとえばお題目を熱心にとなえる人はいても、大布教集会が武道館や国立競技場で開かれたりテレビ中継されるようなことはない。そんなのは神仏を恐れぬ所行だという感覚があるはずだ。ガンジーやキングに並ぶくらい偉いI田D作先生でもテレビには出ない。もっぱら小集会で布教されたらしい。

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 キリスト教のことは我々日本人には分かりにくい。シャーロック・ホームズを翻訳する人でもカトリックの神父とプロテスタントの牧師の区別がつかないくらいだ。しかし、たとえば上智大学、青山学院大学、国際基督教大学などの大学やミッション・スクールなどを経営しているのは「まともなキリスト教」だと思っていて、だいたいこれは間違いないだろう。テレビ伝道なんかしない教派である。 
   テレビ伝道師として有名なのは、グラハムのほかに、パット・ロバートソン(1930-)やジェリー・ファルウェル(1933-2007)などがいて、ブッシュのアメリカを支えたのは、こういう人たちの崇拝者である。

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2009年8月 6日 (木)

リングネームについて(1)

 むかし、東京スポーツを見ると、「空飛ぶオランダ人」というプロレスラーが来日してジャイアント馬場と戦っていた。どうも変なリングネームだなあ。どういうことだろう?
 よく考えてみて分かった。
Der fliegende Hollaender→The flying Dutchman→空飛ぶオランダ人
さまよえるオランダ人』だったのだ。ワーグナーが好きなレスラーだったのだろうか。

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  スーパースター・ビリー・グラハムというレスラーの名前もよく分からなかった。この人。

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 ものすごい筋肉ですね。しかしビリー・グラハム(グレアム)はまずふつうの名前で、日本で言えば山本太郎くらいのものだ。それがなぜ「スーパースター」なのか?
 これはアメリカでは、同じビリー・グラハムという名前ではるかに有名な人がいるのだ。プロレスラーはこの同姓同名人にあやかって「スーパースター」を自称したらしい。

 ウィキペディアによると

 ビリー・グラハム (英語:Billy Graham / William Franklin Graham、Jr、KBE、1918年11月7日 - ) は、現代アメリカの最も著名なキリスト教の福音伝道師、牧師、神学校教師、福音派キリスト者。アメリカの伝道師と呼ばれる。
 アメリカ南部バプテスト教会の福音主義伝道者。
 彼はアメリカ合衆国大統領の霊的助言者であった。大統領就任式の際の祈祷をたびたび担当している。またギャラップ社の「20世紀で最も評価される人」の7人目に選ばれた。
 グラハムは今まで生きた誰よりも多く世界中の人々に福音を語った。1993年時点で、250万人以上が伝道大会で「イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れる」ために進み出た。2002年で彼の生涯における聴衆は、ラジオとテレビ放送を含めて20億人に達した。……

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 ウィキペディアの記事の筆者は信徒らしい。キリスト教の教義に沿って書いているから、これを読んでも、さらに続きを読んでも、普通人には何のことか分からないだろう。
 焦点を絞って別の角度から見る必要がある。(続き)

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2009年8月 5日 (水)

法律用語の英訳(2)

 研究社和英大辞典の間違いをもう一つ。

仲裁 arbitration; mediation; intervention; intercession; peacemaking

調停 mediation; arbitration; intercession; intervention; peacemaking

 仲裁と調停が同じものだと思っているらしい。まったく違うものだ。広辞苑には正しく書いてある。

調停 (1)当事者双方の間に第三者が介入して争いをやめさせること。仲裁。
      (2)〔法〕裁判所その他の公けの機関が中に立って、当事者の互譲により紛争を円満に和解させること。仲裁と異なり、解決案は当事者の承諾をまって効力を生ずる。

仲裁 争いの間に入り、双方を和解させること。仲直りの取持ち。法的には、当事者を直ちに拘束する点が、当事者の承諾をまって拘束する調停と異なる。

 法律用語としては、仲裁=arbitration  調停=mediationです。仲裁が行われるためには、ふつうは仲裁契約が必要だ。

【仲裁契約】一名または数名の仲裁人を選定して私法上の法律関係についての現在または将来の争いの仲裁をさせ、これに服することを目的とする当事者間の契約。また国際紛争を国際裁判に付託すべきことを約する国家間の合意。(広辞苑)

 たとえば契約書に次のような条項を加えておけば、裁判ではなく仲裁を行う事になり、その裁定は裁判所の判決と同様に当事者を拘束する。
「本契約に明示的に定める場合を除き、本契約から生じまたは本契約に関わるすべての紛争、論争および請求は、ニューヨーク市において3人の仲裁人からなる仲裁委員会で仲裁時のアメリカ仲裁協会の商事仲裁規則に準拠して処理決定するものとする。」
 いつだったか、中国企業との契約で、「紛争は北京で仲裁に付す」という条項があったので、「北京でやって公平な裁定が出るはずがない。絶対におやめなさい」と翻訳者の分際を越えて口を出したことがある。クライアントは分かったようでシンガポールでの仲裁に書き換えた。

 調停は、たとえば離婚しようかという夫婦に「お互いに言い分はあるでしょうが、お子さんのこともありますし、ここは一つ……」などとなあなあの解決を勧めることだ。これは当事者双方が納得しなくては拘束力を持たない。

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2009年8月 4日 (火)

法律用語の英訳(1)

業務上過失致死 【法】 professional negligence resulting in death
                 (研究社和英大辞典)

 もちろん、これは間違いです。数年前、刑事裁判の判決を訳する仕事が来たので辞書を引いてみてびっくりした。
 英辞郎では

業務上過失致死
death caused by negligence in the conduct of business // fatal professional negligence // professional negligence leading to death // professional negligence resulting in death

 これも間違い。professional云々がよくない。in the conduct of businessというのもだめでしょう。
 たとえば自動車を運転中に不注意で起こした事故については、職業的運転手と素人運転手で罪名に違いがあるわけではない。刑法の211条の規定

(業務上過失致死傷等)
第二百十一条  業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
2  自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。

「業務上」という言葉の使い方がちょっと特殊なのだ。刑法など主要な法律には半公式の英訳がある。日本の国内法の英訳というサイトで、上の英訳を調べてみると

Article 211. (Causing Death or Injury through Negligence in the Pursuit of Social Activities)
(1) A person who fails to exercise due care required in the pursuit of social activities and thereby causes the death or injury of another shall be punished by imprisonment with or without work for not more than 5 years or a fine of not more than 1,000,000 yen. The same shall apply to a person who through gross negligence,causes the death or injury of another.
(2) A person who commits the crime proscribed under the first sentence of the preceding paragraph by driving a vehicle may be exculpated in light of circumstances if the injury is minor.

 この場合は、そもそも刑法の規定が日本語に無理をさせているので素人には分かりにくい。和英辞典が間違えたのにも情状酌量の余地があるかも知れない。

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2009年8月 3日 (月)

恩賜の煙草

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……天皇があの温厚な笑顔で、言うのだ。

 「最近、煙草への風当たりがたいへん強いようですが、健康に悪いとしても、強制にならないのがいいですね」

 と、言うのだ。

 「昭和の天皇陛下は、恩賜の煙草というのをご下賜なさっておられました。先の陛下が、そのような、健康に大きな害を与えるものを国民のみなさまにお与えになっておられたかと思うと、胸が痛みます。適度な喫煙なら、ストレス解消にいいのではないでしょうか。あまり厳しいのは、いけませんね」

 そしてみなが、天皇陛下、ばんざーい、と叫ぶ。なぜか、俺もその中に混じっているんだ。ところが、いつの間にか俺はテレビの放送を観ていて、禁煙推進議員連盟会長の綿貫民輔が、記者たちからマイクをつきつけられて、天皇発言の感想を求められ、苦い顔つきで、「あう……。天皇の政治的利用は……」とか言っている。次は、やはり禁煙推進派の小宮山洋子が、顔をこわばらせながら、「ノーコメントです。ノーコメント」と言いながら逃げるように去っていく。次は、厚生労働大臣の舛添要一が、いつも官房長官がやっているような記者会見場で、にこにこしながら、「陛下の、やり過ぎはいけないというお言葉を、重く受け止めたいと思います。煙草の吸い過ぎも、まあ、禁煙のやり過ぎも、いけないってことですね」などと言っている。どこかの新聞社の若い女の記者が「天皇の政治的利用ではないですか!」と金切り声を上げている。……

 猫を償うに猫をもってせよの『天皇の煙草』から無断引用です。面白いよ。
 しかし、恩賜の煙草は先帝でお終いになったのではなく、当今もご下賜なさっておられたのだ。平成18年末まであったそうです。
 私は吸ったことがある。身内が昭和天皇から勲章といっしょに恩賜の煙草を一箱もらったのだけれど、私が全部吸ってしまった。
 ウィキペディアには
 成分的には普通のたばこと何ら変わらないが、たばこ葉は純国産品である。吸った事のある人によると「非常な辛口」「きつい」との事。
 とあるが、どんな味だったか、私はもう覚えていない。十六菊の紋章はさすがだと思ったけれど。

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2009年8月 1日 (土)

英国プロレスの歴史?

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 一昨日の続き。オールインが1930年に始まったというのは、もちろんその興行が始まったということだ。オールインという言葉はもっと前からあった。OEDの用例で一番古いのは1913年であるが(柔道か柔術か(38))、もう少し遡れるだろう。

「柔術とキャッチ・アズ・キャッチ・キャンとグレコローマンを混ぜ合わせたもの」というと、どういうスタイルになるか。
・オールインとは「何でもあり」の意味だ。
・しかし本当に何でもありではない。たとえばパンチを許せばレスリングではなく別の競技になってしまう。打撃はエルボー・スマッシュ(実際には肘ではなく前腕を使う)を黙認するくらいにとどめたはず。
・柔術技、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン=フリースタイルの技、グレコの技を試合で共存させようとすれば、少なくとも「暗黙の了解」が必要だ。たとえば双方がひたすらタックルでテイクダウンを狙うという戦い方では、つまらない試合になる。タックルはある程度自制して他の技を使い、相手はその技をある程度まで「受けてやる」のでなくては、試合が成立しない。
・レスリングのフォールと柔術のサブミッションの共存も、真剣勝負では難しいはず。(グラップリングでピンフォール勝ちも認めるというルールを作ったとすれば、どういう試合になるか。)

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 アメリカ式よりもやや地味ではあるが大体同じスタイルのプロレスが1930年に始まったと考えてよいだろう。
 よく分からないのは、第一次大戦の終了から1930年までだ。
 第一次大戦前の状況はこれまで見てきた通り。
 1901年に夏目漱石がロンドンで見たプロレスの試合は
「西洋の相撲なんて頗る間の抜けたものだよ。膝をついても横になっても逆立をしても両肩がピタリと土俵の上へついてしかも、一、二と行事が勘定する間このピタリの体度を保っていなければ負でないっていうんだから大に埒のあかない訳さ」――つまりフリースタイルのレスリングであった。
 1908年、ロンドン五輪ではキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(=フリースタイル)のアマチュア・レスリングの試合が行われた。同じ年にプロのキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(=フリースタイル)世界チャンピオン決定戦がロンドンで行われた。前田光世がレスラーとして重量級に出場し2位になった。谷幸雄もこの大会にレスラーとして招待されたが出場しなかった。
 1910年に、グレート・ガマ対ズビスコの決戦があった。この試合は記録があるので、現在のフリースタイルとほぼ同じルールで真剣勝負であったことが分かっている。
 これと並行して、谷幸雄が柔術家としてレスラーを相手に戦っていた。

 1914年に第一次大戦が始まるとレスリングどころではなくなった――というのは推定だけれども、大体当たっていると思う。
 1918年11月11日に停戦が成立した。4年以上に及ぶ熾烈な戦いだった。

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 戦後の英国では、亀になったズビスコの上にガマが張り付いて2時間以上が経過するというような牧歌的なレスリングが許容される余地はなくなったはずだ。
 それでは、どういうプロレスがあったのか、あるいはなかったのか? 
 第一次大戦前についても調べ尽くしたわけではもちろんないので、具体的な情報があれば教えて下さい、ということは前から言っている。
 ビリー・ライリーのジム、スネーク・ピットは1940年台初頭に開設された(那嵯涼介氏による)というが、プロレスのジムだったはずだ。ここ教えたレスリングの性格も英国プロレスの歴史との関係で考えなおしてみる必要があるだろう。

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