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2009年8月 1日 (土)

英国プロレスの歴史?

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 一昨日の続き。オールインが1930年に始まったというのは、もちろんその興行が始まったということだ。オールインという言葉はもっと前からあった。OEDの用例で一番古いのは1913年であるが(柔道か柔術か(38))、もう少し遡れるだろう。

「柔術とキャッチ・アズ・キャッチ・キャンとグレコローマンを混ぜ合わせたもの」というと、どういうスタイルになるか。
・オールインとは「何でもあり」の意味だ。
・しかし本当に何でもありではない。たとえばパンチを許せばレスリングではなく別の競技になってしまう。打撃はエルボー・スマッシュ(実際には肘ではなく前腕を使う)を黙認するくらいにとどめたはず。
・柔術技、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン=フリースタイルの技、グレコの技を試合で共存させようとすれば、少なくとも「暗黙の了解」が必要だ。たとえば双方がひたすらタックルでテイクダウンを狙うという戦い方では、つまらない試合になる。タックルはある程度自制して他の技を使い、相手はその技をある程度まで「受けてやる」のでなくては、試合が成立しない。
・レスリングのフォールと柔術のサブミッションの共存も、真剣勝負では難しいはず。(グラップリングでピンフォール勝ちも認めるというルールを作ったとすれば、どういう試合になるか。)

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 アメリカ式よりもやや地味ではあるが大体同じスタイルのプロレスが1930年に始まったと考えてよいだろう。
 よく分からないのは、第一次大戦の終了から1930年までだ。
 第一次大戦前の状況はこれまで見てきた通り。
 1901年に夏目漱石がロンドンで見たプロレスの試合は
「西洋の相撲なんて頗る間の抜けたものだよ。膝をついても横になっても逆立をしても両肩がピタリと土俵の上へついてしかも、一、二と行事が勘定する間このピタリの体度を保っていなければ負でないっていうんだから大に埒のあかない訳さ」――つまりフリースタイルのレスリングであった。
 1908年、ロンドン五輪ではキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(=フリースタイル)のアマチュア・レスリングの試合が行われた。同じ年にプロのキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(=フリースタイル)世界チャンピオン決定戦がロンドンで行われた。前田光世がレスラーとして重量級に出場し2位になった。谷幸雄もこの大会にレスラーとして招待されたが出場しなかった。
 1910年に、グレート・ガマ対ズビスコの決戦があった。この試合は記録があるので、現在のフリースタイルとほぼ同じルールで真剣勝負であったことが分かっている。
 これと並行して、谷幸雄が柔術家としてレスラーを相手に戦っていた。

 1914年に第一次大戦が始まるとレスリングどころではなくなった――というのは推定だけれども、大体当たっていると思う。
 1918年11月11日に停戦が成立した。4年以上に及ぶ熾烈な戦いだった。

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 戦後の英国では、亀になったズビスコの上にガマが張り付いて2時間以上が経過するというような牧歌的なレスリングが許容される余地はなくなったはずだ。
 それでは、どういうプロレスがあったのか、あるいはなかったのか? 
 第一次大戦前についても調べ尽くしたわけではもちろんないので、具体的な情報があれば教えて下さい、ということは前から言っている。
 ビリー・ライリーのジム、スネーク・ピットは1940年台初頭に開設された(那嵯涼介氏による)というが、プロレスのジムだったはずだ。ここ教えたレスリングの性格も英国プロレスの歴史との関係で考えなおしてみる必要があるだろう。

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