« 従順なる召使(2) | トップページ | 前田光世伝(2) »

2009年9月19日 (土)

前田光世伝(1)

 ウィキペディアの「前田光世」の項目(2009年9月18日現在)はもう少し何とかなりませんかね。ちゃんと調べたら資料はあるはずだと思う。
 英語版ウィキペディアのMitsuyo Maedaは、ポルトガル語と英語の資料を十分に使って(参考文献が53項目)詳しく書いてある。これを訳してみよう。
 どなたかが日本語の資料もしっかり調べて、ウィキペディアに柔術の本家にふさわしい「前田光世」の記事を書いてくれませんか。

Maeda_ca_1910

[1910年(明治43年)頃の前田光世]

前田光世(1878年11月18日-1941年11月28日)は、ブラジルに帰化(ブラジル名はオタビオ・マエダ)した日本人の柔道家およびプロの総合格闘家である。前田はコンデ・コマの異名でも知られていた。これは1908年(明治41年)スペインで活躍しているときにつけられた仇名である。(英語に直すとConde=Count、Koma=Combatであるから、「格闘伯爵」というような意味だ。)
 同じくブラジルに帰化したアントニオ・ソイシロ佐竹(?)とともに、前田はブラジル、英国、その他の国における柔道の先駆者となった。
 前田はグレイシー一族に柔術を教えて、ブラジリアン柔術の発展の根底を作った。また前田は日本からブラジルへの移民を促進する役割も果たした。前田はプロ格闘家として生涯に2000試合以上を戦い勝った。これにより彼は「歴史上もっともタフな男」と呼ばれ(この題名の英語の本があるが、日米のアマゾンでは買えない)、ブラジリアン柔術の父と見なされている。

(佐竹ソイシロというのは佐竹信四郎か? このように怪しい点は、これからも出てくるでしょう。原文筆者は日本語ができないのでやむを得ない。怪しい原文を何とかするというのは、まあ慣れているのですが、当方の格闘技の知識には限りがある。間違いが分かる人は是非ご教示下さい。) 

80679

|

« 従順なる召使(2) | トップページ | 前田光世伝(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/31426577

この記事へのトラックバック一覧です: 前田光世伝(1):

« 従順なる召使(2) | トップページ | 前田光世伝(2) »