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2009年9月20日 (日)

前田光世伝(2)

 前田光世は1878年(明治11年)11月18日、青森県弘前市福沢村に生まれた。彼は青森県立第一中学校(現弘前高校)に通った。幼時は栄世という名前であった。中学時代、初めは相撲をしていたが、体格に恵まれなかった。当時の柔道対柔術の戦いで柔道が勝ちをおさめているという話に興味を呼び起こされて、彼は柔道に転向した。

◇柔道対柔術の戦い云々は原文筆者がフィクションと現実を混同している可能性あり。

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 1894年(明治27年)、17歳のときに彼は早稲田の東京専門学校に進んだ。

◇原文英語ではWaseda Universityと書いてある。しかし早稲田大学と改称したのは1902年、正規の大学になったのは1920年。上京時17歳ならば、東京専門学校の予科に入ったか、青森一中から早稲田中学に転校したのかも知れない。

 翌年、前田光世は講道館に入門した。
 講道館入門時の前田の体格は、164cm、64kgであり、いかにも田舎者風なので出前持ちと間違えられたという。しかし、嘉納治五郎は前田に目をつけ、彼を富田常次郎四段に預けた。富田は講道館四天王の中でももっとも小柄であり、柔道で大切なのは体格ではないことを教えたかったものと思われる。富田は講道館創立時からの弟子であった。

◇前田光世は1908年ロンドンで開かれたプロのキャッチ・アズ・キャッチ・キャン・レスリング大会ではミドル級(76.2kg以下)に出場している(柔道か柔術家(68)参照)。体重は講道館入門後かなり増えたはずだ。身長はほかの資料によると164cmのままだったようだ。しかしこの時代ではこれは特に小柄ではない。

◇富田常次郎(1865-1937)は、嘉納治五郎の最初期の弟子である。天神真楊流で嘉納といっしょに修業し、1882年の講道館創立と同時に入門した。『姿三四郎』の作者富田常雄は常次郎の次男。

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1885年頃の嘉納治五郎と弟子たち

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