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2009年9月23日 (水)

前田光世伝(4)

 三船久蔵によれば、1904年(明治37年)に前田は三人抜きをしたのち吉武良雄(漢字?)に跳腰で敗れたが、その次の月次試合では八人抜きを成し遂げて四段を与えられた。前田光世は柔道の普及に最大の貢献をした一人であるが、柔道そのものを教えるよりも数多くの異種格闘技戦を通じて柔道の威力を知らしめたのだ、と三船は言う。前田は、弟子に稽古をつけるときも実戦さながらで手加減をせずに投げた。相手を重んじたからこその態度であったが、若い弟子はこれが分からず前田を敬遠してほかのセンセイにつくことが多かった。

 1879年(明治12年)、第18代大統領(1869-77)であったユリシーズ・グラントが訪日した。東京滞在中、彼は飛鳥山の渋沢栄一邸で開催された柔術演武会を観戦した。嘉納治五郎がこのとき柔術家の一人として出場していた。当時は欧米でも柔術の存在が知られ始めていたころで、外人が新聞や怪しげなパンフレットなどから得た聞きかじりの知識で柔術家を自称することもあった。柔道と柔術は区別されていなかった。講道館の設立(明治15年)から何年も経ってからでも、両者は同一視されていた。日本で柔道と柔術の区別がやかましく言われるようになったのは1925年(大正14年)以降のことであり、完全に分離するのは1950年代である。

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(山下義韶)

 1903年(明治36年)、講道館の山下義韶は、シアトルの実業家サム・ヒルの要請で渡米した。ワシントンD.Cでは、山下はセオドア・ルーズベルトをはじめとする著名なアメリカ人たちを弟子に持った。ルーズベルトの要請で彼は海軍兵学校でも柔道を教えた。在米日本公使館では、柔道が日本の評判を高めると考えて、山下義韶の事業を続けるべく柔道家を派遣してほしいと講道館に要請した。富田常次郎は渋々これに応じた。前田光世と佐竹はこの機会にとびついた。

◇山下義韶の読み――英語版ウィキペディアのMitsuyo MaedaではYoshiakiである。Yamashitaの項目ではYoshiakiまたはYoshitsuguとなっている。義韶という漢字が大切なので読みはヨシツグでもヨシアキでもよろしい――という考え方は昔はよくあった。
 たとえば榎本武揚は「たけあき」らしいが確かではなく、ふつう「ぶよう」と音読みにする。読みの分からない名前は結構あって、適当な読みを当人も是認する場合があった。

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コメント

はじめまして。

ウィキペディアで格闘技関連の編集をしているものです。勝手なお願いで恐縮ですが、もし時間が許すのなら、この連載を下敷きにウィキペディア日本語版「前田光世」の編集もお願いできないでしょうか。ご存知かもしれませんが、英語版の版を明記すれば全文を翻訳転載が可能です。現在の英語版の充実ぶりなら、日本語版をそっくり入れ替えるのも許容の範囲内かと考えます。何卒、ご検討頂きたく存じます。

投稿: フェデリコ | 2009年9月23日 (水) 22時30分

それも考えましたが、どうも(1)貧乏暇なし(2)ウィキペディアの技術面に暗い(3)格闘技自体の知識に限界があるの3点で、ためらったのです。
私は英語版をそのまま訳すのではなく、必要な修正や注釈を付け加えています。私の記事をベースにさらに改良して日本語版を書くには適任者がおられるでしょう。日本語で出ている前田光世資料に通暁した人がいるはず。その人が日本語資料と拙訳を総合して、完璧に近いものを作れるのではないか。
どんなものでしょう。

投稿: 三十郎 | 2009年9月24日 (木) 00時22分

そうですか。残念です。三十郎さんのように資料を元にきちんと書ける人は滅多にいないので。。
私などの第3者が勝手に転載すると著作権などのややこしい問題が出てきてしまうので、出来れば訳者本人にご登場願いたかったのです。ウィキペディアの記法は確かにとっつきにくいですが慣れると難しいものではないので、貧乏暇なしでは無くなった折には是非共習得していただきたいです(^^;)。

ひょっとするとすると近い将来、転載の許諾を頂きに来るかもしれません。

投稿: フェデリコ | 2009年9月25日 (金) 19時47分

私が訳した・訳する「前田光世伝」のウィキペディアへの転載(一部改変を含む)については、無条件に許諾します。植村昌夫
これでよろしいでしょうか。
本当にご苦労様です。ウィキペディアを少しでもよくしたいという思いは私も同じです。利用させてもらっていますから。
二三の項目を一部書き換えたこともありますが、なかなか難しいものですね。

投稿: 三十郎 | 2009年9月25日 (金) 19時58分

本当にありがとうございます。
外部サイト文章の転載についてはサイト管理人が当該サイト上で許諾の旨を表明をすればOKというきまりのはずですが、今回は「英語版→外部サイト上で翻訳→日本語版で翻訳として記載」と少しややこしいケースなので、どういう手続きが必要か、まだウィキペディア上の議論を見つけられていません。ただ基本的には同じなので確認してみたいと思います。ご協力本当に感謝いたします。たしかにリンクを付けるなら[[]]で括ればいいだけですが、注釈の入れ方などはちょっと複雑ですよね。まともな記述をしようとしたらそれなりに記法を学ばないといけないのがウィキペディアの良くないところです(汗)この前田光世伝も英語版の注釈を復元するのにはかなり時間がかかりそうですね(大汗)

投稿: フェデリコ | 2009年9月25日 (金) 21時01分

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