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2009年9月 3日 (木)

刺青について(4)

 刺青はどこの国でもあるが、本場は日本である。古代からそうだ。魏志倭人伝には

男子無大小皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害。今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。計其道里、當在會稽、東冶之東。

男子は大小となく、皆黥面文身す。古より以来、その使中国に詣るや、皆自ら大夫と称す。夏后少康の子、会稽に封ぜられ、断髪文身、以て蛟龍の害を避く。今倭の水人、好んで沈没して漁蛤を捕え、文身しまた以て大魚水禽を厭う。後やや以て飾りとなす。諸国の文身各々異り、あるいは左にしあるいは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。その道里を計るに、当に会稽の東冶の東にあるべし。

 とある。「黥面文身」で全身に刺青をしていたことが分かる。黥が顔(=面)にいれる刺青、文が体(=身)にいれる刺青である。もちろん中国にも刺青はあった。会稽に封ぜられた夏后少康の子などは体に刺青をいれていた。しかし男子は大小となくみなが顔にまで刺青をするという風俗は中国になかった。「大小となく」は「大人も子供も」ではなく「身分の上下に関わらず」という意味だろう。倭では漁師が海に潜って魚や貝を取るときに大魚や水鳥を避けるために刺青をしていたが、やがて飾りのために刺青をいれるようになったというのだ。

 シャーロック・ホームズも魏志倭人伝までは読んでいなかっただろう。しかし19世紀には、日本の刺青の名声は世界に鳴り響いていた。遠山金四郎景元(1793-1855)がどういう刺青をいれていたかなどは、Upon Tattoo Marksの筆者ならば知っていたはずだ。(続く)

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