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2009年9月24日 (木)

前田光世伝(5)

 富田、前田、佐竹の三人は、1904年(明治37年)11月16日に横浜を出航し、12月8日にニューヨークに着いた。
 1905年初め、富田と前田は柔道の公開演武会を何度か開いた。同年2月17日には、プリンストン大学で富田と前田が演武を行い、前田はプリンストンのフットボール選手のN・B・トゥーカーを投げ、富田は同校体育教師のサミュエル・イーグルスを投げた。
 1905年2月21日には、ウェストポイント陸軍士官学校で柔道演武会を開いた。富田と前田が型を演じた。観客の要望に応えて前田光世が士官学校学生と取り組み、簡単に投げて見せた。型の演技では富田が取り、前田が受けであったから、(学生たちは富田の方が強いのだと思い)富田にも相手を所望した。富田は最初に出てきたチャールズ・デイリーという男は簡単に投げた。しかし次にティプトンというもう一人のフットボール選手には、巴投げを掛けようとして二度失敗した。富田の方がずっと小さかったので、日本人の側は本当は自分たちの勝ちだと思ったが、アメリカ人たちは笑って、前プロレス世界チャンピオンのトム・ジェンキンスを士官学校のレスリング・コーチに雇った。
 1905年3月8日のニューヨーク・アスレチック・クラブの演武会はもう少しうまく行った。ニューヨーク・タイムズの記事は、前田光世と体重200ポンド(90kg)のレスラーのジョン・ネイシングの試合を評して「車輪を飛ばしたようにきれいに投げが決まった」と書いている。この試合の経過は
「前田対ネイシング戦は、互いの技術が全然違うので、マット上で学童の喧嘩のように組んずほぐれつする乱戦になった。15分経過したところで前田が最初のフォールを取った。しかしこの試合はネイシングのピンフォール勝ちに終わった」

◇これは1905年3月9日付けのニューヨーク・タイムズの記事の引用。全文を見ればもっと詳しく書いてあるはず。

◇前田対ネイシングの戦いは、この記述を見る限りでは、道着なし絞め技や関節技なしのレスリングのルールで行われたらしい。

◇英語版ウィキペディアで何年何月何日と書いてある記述はすべてその日付の新聞記事等の引用であり、原文にはその旨の注がついている。日本語のウィキペディアの記述は典拠を示していないので再検討する必要がある(これについてはまた)。

◇アメリカにおける山下義韶と前田光世の活躍時期は、山下の方が早く始まっているが、重なるようだ。詳しくは次回以降。

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