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2009年9月 5日 (土)

刺青について(5)

 日本が開国すると、日本刺青の名声は、船員や海軍兵士を通じて海外に広まっていった。彼らは横浜や長崎で日本特有の本格的な芸術性の高い刺青をいれた。
 もっとも西洋には肌脱ぎになるという習慣がないので、桜吹雪や唐獅子牡丹などはせっかく彫っても見えない。せいぜい腕まくりしたときに見えるように彫らせるくらいだった。

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[長崎の刺青 Illustrated London News誌 1881年(明治14年)]

 正典にも、腕まくりして刺青が見えるシーンがありましたね。
 ホームズの言葉。
「あの魚をボートに引き上げようと腕まくりをなさったときに、肘の内側にJ・Aの頭文字の刺青が見えました。文字はまだ読みとれましたが、ぼやけていて周りの皮膚が黒ずんでいたので、消そうとなさったことは明らかです。したがって、あのイニシャルは、一時はごく大切なものだったけれど、その後忘れたいと思っておられることが分かります」
 もちろんグロリア・スコットの事件で、相手は大学(オックスフォードかケンブリッジかそれが問題だ)の級友の父親、トレヴァー老人だった。1874年(明治7年)のことらしい。この事件が名探偵シャーロック・ホームズのキャリアのはじまりになるのだった。
 トレヴァー老人はどうやら20年ほど前にオーストラリアに渡り一財産築いたらしい。
 ホームズはトレヴァーが日本にも行ったことがあると言い当てたけれども、J・Aの刺青は日本でいれたものかどうか。アルファベットの文字だけならば、わざわざ日本で彫らなくてもよい。いや、この場合は、考えてみると日本で彫ってはおかしいはずだ。(続く) 

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