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2009年9月13日 (日)

刺青について(8)

 1891年(明治24年)4月下旬に長崎に来たニコライ皇太子とゲオルギス王子は、5月11日には京都にいた。
 ゆるゆると日本各地を見物しながら、東京まで来る予定だった。留学経験のある有栖川宮威仁親王が接待にあたっていた。
 5月11日には、午前中に京都から琵琶湖見物に行った。昼過ぎ、ニコライ皇太子、ゲオルギス王子、有栖川宮威仁親王は人力車を連ねて大津市街を通過した。
 ところが、警備に当たっていた滋賀県巡査の津田三蔵が突然サーベルを抜いてニコライ皇太子に斬りかかった。津田はすぐに取り押さえられ、皇太子は頭に切り傷を負ったが命に別状はなかった。いわゆる大津事件である。大騒ぎになったことはご存じの通り。

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 ニコライ皇太子はすぐに帰国した。1896年(明治29年)にニコライ2世として即位した。1904年(明治37年)には日露戦争が起きた。『坂の上の雲』によると、大津事件の恨みからかニコライは日本人を「猿」と罵っていたという。
 1917年、2月革命が起こり、ニコライは3月に退位させられ、皇帝一家は監禁された。10月革命によりボリシェビキが主導権を握り、翌1918年の7月17日、ロマノフ一族全員が処刑された。

 ニコライ2世は英国王ジョージ5世と従兄弟同士であったから、英国に亡命することもできたはずだ。レーニンのボリシェビキによる10月革命以後は無理としても、2月革命の段階ではケレンスキーの政府は亡命を認めただろう。しかし英国政府が躊躇しているうちに機会は失われた。

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 ニコライとジョージは従兄弟同士で瓜二つだった(写真の左がニコライ)。子供のころにはお祖母さんのいるデンマーク王家でいっしょに遊んだ。二人とも日本で本格的な刺青をいれていた。ニコライは1918年に殺され、ジョージは1936年にベッドの上で死んだ。

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