« 中国は崩壊するか(3) | トップページ | 前田光世伝(11) »

2009年10月14日 (水)

前田光世伝(10)

 前田光世は1910年7月にキューバに戻った。ここで、前田はフランク・ゴッチ(1878-1917)およびジャック・ジョンソン(1878-1946)との試合を行おうとした。しかし、二人とも彼の挑戦を無視した。前田と戦っても何のメリットもなく、もし負ければ大変な損失になるからだった。

◇フランク・ゴッチ1908年にジョージ・ハッケンシュミットを破ってプロレス世界チャンピオンを名乗っていた。彼は1911年にハッケンシュミットとの再戦に勝ち、1913年までチャンピオンとして君臨した。180cm、91kgであった。

◇ジャック・ジョンソンは、史上初の黒人のプロボクシング世界チャンピオンであった。身長187cm。

Jackjohnson1

彼は1908年にカナダ人トミー・バーンズを破りヘビー級チャンピオンとなり、1915年までタイトルを保持した。彼の勝利は激しい人種差別意識をかきたてた。1910年には元チャンピオンのジェイムズ・J・ジェフリーズが「偉大なる白人の希望の星」としてジョンソンに挑戦したがノックアウトされた。ジョンソンは白人女性と結婚していたためいっそう白人から憎まれた。

Article1166876044012e7000005dc470_4

 1910年8月23日には、前田はハバナでジャック・コンネルとレスリングの試合を行い、引き分けた。1911年になると、キューバにいる前田と佐竹に大野秋太郎と伊藤徳五郎が加わった。彼らはキューバ四天王と呼ばれるようになった。
 四天王のキューバにおける人気は日本に伝わり、ジャパンタイムズ紙は前田たちを日本柔道の名声を高めているとほめたたえた。この結果、講道館は1912年1月8日付けで前田光世に五段を与えた。ただ日本国内では、前田がプロレスに関わっているという理由で昇段に反対する意見もあった。

◇前田光世が「講道館から破門された」というのは間違い。嘉納治五郎がそんなことをするはずがない。もし嘉納治五郎が存命ならば、石井慧の総合格闘技進出を喜び、活躍すれば段位を進めるだろう。

Ishii_satoshi001

|

« 中国は崩壊するか(3) | トップページ | 前田光世伝(11) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/31771664

この記事へのトラックバック一覧です: 前田光世伝(10):

« 中国は崩壊するか(3) | トップページ | 前田光世伝(11) »