前田光世伝(11)
1913年になると、伊藤徳五郎をキューバに残し、前田光世と佐竹は、エルサルバドル、コスタリカ、ホンジュラス、パナマ、コロンビア、エクアドル、ペルーの諸国を巡業した。エルサルバドルでは前田たちが滞在中に大統領が暗殺された。パナマではアメリカ人レスラーが前田に金銭を提供して勝ちを譲らせようとした。彼らは南に進んだ。ペルーではラク(上西貞一)が軍で柔術を教えていたので彼を仲間に入れた。チリでは大倉が、アルゼンチンでは清水が加わった。1914年11月14日、一行はブラジルに着いた。
ベレン市日本人移民協会会長(ポルトガル語?)の堤ゴッタ(?)氏提供の前田光世のパスポートの記録によれば、前田がブラジル南部の港湾都市ポルトアレグレに着いたのは、1914年11月14日である。ここで彼は最初の演武を行った。その後、前田の一行はブラジル中を巡業した。1915年8月26日には、前田、佐竹、大倉、清水、ラクは北東部の港湾都市レシフェにいた。10月にはベレンにいて、12月18日にマナウスに着いた。伊藤徳五郎はしばらくしてからここに着いた。
1915年12月20日に、ベレンで初めての演武会がポリテアマ劇場で行われた。オ・テンポという新聞にこの演武会の予告が出ている。同紙によれば、演武会ではまずコンデ・コマが主要な柔術の技を実演し、禁じ手の説明をし、護身術の技も見せることになっていた。その後は観客で柔術家たちに挑戦したい者がいれば挑戦を受け、締め括りにはアルゼンチン選手権者の清水対ペルー軍学校教師のラクがブラジル初の柔術試合を披露する予定だった。オ・テンポ紙によれば、12月22日に柔術世界チャンピオンの前田とニューヨーク・チャンピオンの佐竹が柔術の試合を行って一大センセーションをまきおこした。同じ日に、トルコ出身のオーストラリア・グレコローマン・チャンピオンであるナギブ・アセフが前田に挑戦した。12月24日には、バルバディオ・アドルフォ・コルビアノというボクサーが前田に挑戦したが、前田は「秒殺」で勝ち、コルビアノは前田の弟子になった。
前田対ナギブ・アセフの試合は、翌1916年の1月3日にポリテアマ劇場で行われた。前田は相手を投げて舞台から落とし、最後はアームロックでギブアップを奪った。
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