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2009年10月 8日 (木)

前田光世伝(9)

 1908年11月に、前田光世はパリに渡った。これは友人の大野秋太郎に会うためだったらしい。パリからキューバに向かい、12月14日にハバナに着いた。ハバナでは一日に二回レスリングをして、たちまち人気者になった。1909年6月23日にハバナを発ってメキシコ・シティに向かった。メキシコは、7月14日にヴァージニア・ファブレガス劇場で初めて顔見せをした。これはプロレス興行ではなく、士官学校の学生を対象にした演武会だった。このすぐ後から、前田はプリンシパル劇場に定期的に出場するようになった。誰の挑戦でも受けるという形式で、前田が相手を投げられなかったら100ペソ(50ドル)進呈、前田を投げた者には500ペソ(250ドル)進呈という条件だった。メキシカンヘラルド紙によれば、この懸賞金を得た者は一人もいなかった。(柔道着着用を条件としたのか、裸でもよかったのかは、参考文献に100年前のメキシカンヘラルド紙が挙げてあるので、これを調べれば分かるはず。)

 1909年9月に、ノブ・タカという名前の日本人がメキシコ・シティに現れ、前田光世に挑戦した。メキシカンヘラルド紙によれば、柔術世界選手権決定戦を挑んだのだという。しばらく公開交渉したのち、11月16日にコロン劇場で前田対タカ戦が行われ、タカが勝った。4日後に再戦があり、今度は前田光世が勝ってチャンピオンに認定された。のちに、このタカなる人物は前田の旧友の佐竹であったと分かった。

 1910年1月には前田光世はメキシコ・シティでレスリング・トーナメントに出場した。準決勝でスウェーデン人レスラーのフジャルマール・ランディンと対戦したが引き分けた。(ランディンが1937年に刊行した自伝には、自分が勝ったと書いてある。)Hjalmar_lundin_05d668ea07_o_2

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