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2009年10月20日 (火)

アメリカにおける山下義韶

①(山下義韶は) 1905年(明治38年)3月29日、ワシントンD.C.で、ジョージ・グランドという体格ではるかに上回るレスラー(山下の身長162cm、体重68kgに対し、このレスラーは身長200cm、体重160kg)と試合をし、抑え込みで勝利した。これを見ていたセオドア・ルーズベルト大統領に認められ2年契約で合衆国海軍兵学校の教官となる。
(ウィキペディア「山下義韶」)

② 1902年5月に、山下は柔道普及のため渡米した。初めはハーバード大学で教えた。彼の最初期の弟子には南軍のリー将軍の曾孫であるメアリー・リーがいた。テオドール・ルーズベルト大統領は彼に海軍兵学校でも教えさせた。そこで行われた戦いで、山下は190cm、113kgのアメリカ人レスラー、ジョージ・グラントと戦った。グラントは体落としとヨコオトシ(?)で投げられてピンフォール(?)された。この目覚ましい勝利によって、山下は海軍兵学校で2年間教える契約を得た。
(Judo Greats Past and Present http://judoinfo.com/greats.htm

Series14_01_2
(アメリカにおける山下義韶と妻の筆)

③ 山下は日本公使館を訪れ、1904年3月に海軍武官の竹下勇中佐は山下をホワイトハウスに連れて行きテオドール・ルーズベルト大統領に紹介した。[11]  ルーズベルトはホワイトハウスでレスリングとボクシングを練習していた。また彼はウィリアム・スターギス・ビゲローから柔術着をプレゼントされ[12] 、長崎滞在中に柔術を研究したフィラデルフィアの警察官J・J・オブライエンから柔術を習っていた。[13][14][15]  ルーズベルトは山下の技に感銘を受け、1904年の3月と4月に、山下はホワイトハウス内の一室で大統領とその家族や職員に柔道を教えた。[16][17]  その後、別の場所で、山下と妻の筆は、マーサ・ブロー・ワッズワース、ホリー・エルキンズ、グレース・デーヴィス・リーなどの名家の夫人とその子供達に柔道を教えた。[18]
 1905年1月、山下は海軍兵学校で柔道を教える仕事を得た。生徒は約25名で、その中には将来提督になるロバート・L・ゴーマリーもいた。[19]  この仕事は学期末で終わり、山下は翌年度は雇用されなかった。[20]  ルーズベルト大統領はこれを聞くと海軍長官に声を掛け、彼を通じて兵学校校長に山下を再雇用させた。[21] その結果、山下は海軍兵学校で1906年6月まで柔道を教えた。[22]
(英語版ウィキペディアYamashita Yoshiaki(名前の読みはYoshiakiまたはYoshitsuguであるとしている))

Fudeyamashita
(柔道を教える山下筆)

 上の③英語版ウィキペディアについている[21]などの数字は参照文献を示す。たとえば
21. Memorandum from Charles J. Bonaparte, Secretary of the Navy, to Chief, Bureau of Navigation, dated November 3, 1905, in US Naval Academy archives.

 米海軍公文書館にある文書を挙げているのだ。年月日に関する限り、英語版ウィキペディアが正しいだろう。①の1905年3月29日にレスラーとルーズベルトの面前で戦ったという記述は不正確だと考えざるを得ない。
 ③の英語版ウィキペディアには、ジョージ・グラントなるレスラーと戦ったという記述はない。だからといって戦いがなかったとはもちろん言えない。しかし②では同じレスラーの身長体重が190cm、113kgとなっている。どちらが正しいか?
 外国での百年前の出来事なので食い違いが起きるのはやむを得ないか?

 もう一つ、山下義韶対レスラーの戦いの「記録」を見てみよう。
http://www.ishiryoku.co.jp/user/takuwa/takuwa01/ser14_p03.html

④ 3月1日ホワイトハウスにおける他流試合はどのようであったのか。山下義韶は身長160センチ、体重68キロ、年令は40歳を超えたばかりであった。これに対するジョージ・グラント海軍大尉は身長2メートル、体重160キロ、年令は山下より10歳若いレスラーであった。レスリングタイツ1枚のグラントに対して柔道衣スタイルの山下は、相手の太い腕に捕まってしまったら勝てないとふんだ。相手が向かってくるところを得意の足技で崩し、のしかかろうとする力を利用して巴投げで投げ飛ばしたという。起き上がろうとするグラントの背中に回って山下は喉(のど)締め(裸(はだか)締め)にいき、グラントが立ち上がろうと伸ばした左手の一瞬の隙をついて腕ひしぎ十字固めで攻めた。慣れない肘関節を極められたグラントはたまりかねてついに右手でマットを叩き「ギブアップ」という結末となった。この間わずか2分であったが、山下もすぐには立ち上がれない程心身を消耗していたという。

 日時は3月1日(何年?)、決め技は腕拉ぎ十字固めである。また別バージョンだ。しかしどういう文献を根拠にこれを書いたのか? なかなか難しいものですね。

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コメント

以下に山下 義韶とレスラーJoseph Grantの1905年2月23日の試合についての記述があります。

http://ejmas.com/jcs/jcsart_svinth1_1000.htm

February 23, 1905 the President arranged a private match between Professor Yamashita and a middleweight catch-as-catch-can wrestler named Joseph Grant. In a letter to his son Kermit, Roosevelt described the outcome:
Grant did not know what to do except to put Yamashita on his back, and Yamashita was perfectly content to be on his back. Inside of a minute Yamashita had choked Grant, and inside of two minutes more he had got an elbow hold on him… [Still,] Grant in the actual wrestling and throwing was about as good as the Japanese, and he was so much stronger that he evidently hurt and wore out the little Japanese.

投稿: Takayuki Yamauchi | 2016年8月 6日 (土) 21時13分

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