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2009年12月21日 (月)

アメリカにおける山下義韶(4)

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……前章で見たように、1879年(明治12年)、嘉納治五郎は前大統領ユリシーズ・グラントの前で天神真楊流を代表して柔術の演武を行った。
 25年後の1903年(明治36年)、嘉納は門弟の中から山下義韶を選んでアメリカに送り、セオドア・ルーズベルト大統領に柔道を紹介させることにした。山下はまもなくこの熊みたいな「テディ」大統領と親しくなった。(テディベアはルーズベルト大統領をモデルに作られた。)

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 ルーズベルトは大学時代にはレスリングの選手だったが、山下の技に感銘を受け、自分も柔道を習うことにした。彼は柔道をアナポリス海軍兵学校のカリキュラムに取り入れるべきだと考えた。
 しかし海軍は大統領の言うことでもなかなか聞くものではない。後にフランクリン・ルーズベルト大統領(1933-45)は、海軍と議論するのはマットレスを叩くようなものだ、こちらが疲れ切るまで叩いても相手は少しもダメージがない、と言った。セオドア・ルーズベルトの提案に対して海軍は「よその国のものは駄目です」と、NIH(Not Invented Here)を盾にとって反対した。
 しかし大統領はプラグマティストらしく、誇り高き海軍が拒絶できない提案をした。アナポリスの方で代表選手を選んで山下と戦わせてみればいいじゃないか、というのだ。代表はすぐ決まった。32歳の海軍大尉ジョージ・グラントが選ばれた。彼は6フィート9インチ(2メートル)で320ポンド(145kg)だった。
 対する山下義韶は41歳、5フィート7インチ(170cm)、150ポンド(68kg)である。観客から失笑が漏れた。日本人がかわいそうじゃないか。グラントにのしかかられたらつぶれてしまうぞ。
 グラントも同じ考えだった。彼は山下に向けて突進したが、柔道の投げをくらって仰向けに倒れた。山下はすぐにチョークに入った。
 西洋式レスリングではチョークは反則なので、グラントはどう防げばよいか分からない。しばらくもがいたが、賢明にもすぐにタップした。
 試合は2分でケリがついた。アナポリス側としては、恐れ入りましたと言うほかなかった。しかし海軍も優れたものが実証されれば納得する。年俸4000ドルで山下義韶を海軍兵学校の格闘技教官に雇うことにした。当時としては大変な高給で閣僚級のサラリーだった。

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(山下義韶と筆の夫婦と米国人の弟子)

 ノリ・ブナサワとジョン・マレー共著の前田光世伝『The Toughest Man That Ever Lived 世界最強の男』の42-43頁です。山下義韶の成功を受けて、嘉納治五郎は第二陣として富田常次郎と前田光世たちを米国に派遣した(この話はまた)。
 

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※管理人〔しーたろう〕から皆さまへのご連絡※12月15日の天皇陛下と中国副主席とのいわゆる「特例会見」の件、遠藤健太郎オフィシャルブログさま「外務省『抗議してほしい』」によりますと、なんと、外務省側があからさまに「抗議して下さい」とおっしゃっているというので、下の記事に文例と書簡・FAXの送付先をアップしております。よろしければご参照ください。  〔しーたろう〕... [続きを読む]

受信: 2009年12月24日 (木) 23時58分

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