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2010年1月20日 (水)

前田光世対ボクサー(3)

▲扨て勝負の事だが、僕も外国の剛力な大男共を投げ付ける丈けでは物足らない一流の拳闘家(ボキサー)と戦って、一攫千金を得たいが、却々(なかなか)甘く行かない。第一柔道とボキシングとは、ゲームの形式が異う。ヘボな拳闘家なら、幾らも相手は出て来るが、やって見て更に面白くない。自分が面白くないから、見て居る方でも面白くなかろう。突いてくるのを捉える迄で勝負は瞬間に決する。観客は大不平だ。と言って、此方も突かれるのは厭やだから、捉えては直ぐ投げ付けて押さえて降参させる。
▲外人は勝負を見物するにしても、同じ種類の競技で、同じ技倆を持った二人の闘うのを喜ぶが、異ったゲームの、併かも一瞬に勝負の付くのでは呆気ないから文句を言っては、演技場を叩き壊すなどの乱暴を始める。だから、我々も、世界一の拳闘家と覇権を争わんとするには先ず拳闘を練習して、拳闘の勝負を申し込まねばならぬ。つまり、後進国が見くびられて居るので、彼らに向かって『汝の拳闘は、そんなに結構なものなら、乃公(おれ)の柔道と闘って見よう』と言うと、彼等は、内心疑惧しながらも、柔道は拳闘の相手にはならぬなどと逃げを張る。
▲だから、僕は柔道を全世界に紹介して各国人に了解せしめ、柔道拳闘の優劣論を沸騰させ、自然の勢いとして、実地勝負で以て優劣を決せしむる形勢を作りたいと思う。そうなると一流の拳闘家も、僕の挑戦に応じない訳には行かなくなる。
(p.p. 144-5)

 前田光世が博文館の〈冒険世界〉という雑誌に『世界柔道武者修業通信』(大正三年五月~六月号)として発表したものの一部である。横田順彌氏のおかげで読めたので、一部をお裾分け。
 大正3年は1914年である。英語版ウィキペディアによると(その翻訳が前田光世伝(11)
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/11-a4c7.html)、前田光世は1914年11月14日に佐竹、上西、大倉、清水の仲間と一緒にブラジルに到着した。それまでは1913年からエルサルバドル、コスタリカ、ホンジュラス、パナマ、コロンビア、エクアドル、ペルーの諸国を巡業していたらしい。
 英語版ウィキペディアは上記は英語、ポルトガル語、スペイン語の資料によっているようだ。
 日本語の資料としては、上のように前田光世自身が書いたものがあり、さらに
『世界横行 柔道武者修業』薄田斬雲編(明治45年博文館)
『世界横行第二 新柔道武者修業』薄田斬雲編(大正元年博文館)
 がある。
 そのほかにも日本語の資料はすべて検討して文庫本で75頁にまとめたのが横田順彌氏の「世界柔道武者修行者 前田光世」である。この前田伝をおさめる『明治バンカラ快人伝』は読まなければ損というような本だ。
 
 格闘技ファンとしては「前田がどういう戦いをしたか」を東京スポーツの記事風に書いたのを読みたい。しかし百年前のことだから、これはまず無理だ。その無理を敢えてやってみた(潤色をまじえた)のが英語版の伝記である。 

80679

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