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2010年1月 7日 (木)

前田光世と大学

[1909年7月23日、前田光世はハバナからベラスケス行きの汽船に乗った。メキシコシティでレスラーの挑戦を受けた。]

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  試合中、いつものように観客席を見回すと、見覚えのある日本人がいるのに気がついた。早稲田の先輩、ホリグチ・クマイチではないか。若い金髪の美人を連れている。
(p.116)
 試合後に控え室を訪ねてきたホリグチと前田は再会を喜んだ。ホリグチはメキシコの公使をつとめていて、一緒にいた金髪美人は公使館で働いているフランス人だという。前田光世は公使館のパーティに招待され、この女性、オルガ・フーシェと交際し始めた。(p.p.116-129)

 しかし、この記述は変だ。
 明治42年ごろに早稲田出身の外交官がいたか? ホリグチ・クマイチ? 
 これは著者の間違い。樗沢憲昭氏は在米の柔道家で格闘技には精通しているが、前田光世の行動範囲が広すぎるので調査不十分もあるのはやむを得ない。
 
 
 
 堀口九萬一(1865-1945)は、今では詩人堀口大学(1892-1981)の父親として知られている。
 東京帝国大学を卒業し、1894年(明治27年)外交官となった。息子は大学在学中に生まれたので大学と名付けた。堀口大学を産んだ妻の死後、九萬一はベルギー人女性と再婚した。1909年にはメキシコ公使館の一等書記官で臨時代理公使をつとめていた。彼は柔道をたしなんだので前田光世のことを知っていて、13歳若い前田をかわいがった。
 前田光世は堀口九萬一の世話でオルガ・フーシェと結婚した。前田は21歳のときに結婚しすぐ離婚しているので再婚だった。オルガ・フーシェは前夫との離婚が未成立だったので、前田とは結婚式は挙げたが内縁の関係だった。前夫との間にセレステという女の子がいた。
 前田は1910年7月に単身でキューバに戻った。以後しばらくは妻子をメキシコにおいて南米各地を巡業し、休暇を一緒に過ごした。
 1911年、19歳の堀口大学は慶應を中退して父の任地メキシコに渡った。前田光世と堀口大学が顔を合わせることがあっただろうか?

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