« 前田光世対カンフー | トップページ | 前田光世と大学 »

2010年1月 6日 (水)

前田光世、グレーシーに柔術を教える

[前田光世は1914年(大正3年)に佐竹信四郎、大倉、清水、上西貞一とともにブラジルでの巡業を開始した。前田はたちまちブラジルでも有名になった。1916年、彼はアマゾン川下流の町ベレンに落ち着いた。]

80679

 1919年には41歳の前田は半ば引退していたが、上流のマナウスで挑戦試合を行うことになった。伝説の格闘家コンデ・コマが再びリングに戻れば客を呼ぶことができた。前田はもちろん金が必要だったのだ。
 このとき相手のレスラーを手配したのが、ガスタオン・グレイシーであった。グレイシーはスコットランドからの移民2世の実業家であった。前田とグレイシーはすぐに親しくなった。
 グレイシーは、長男カーロス(1902-1994)が不良少年で手を焼いている、前田先生、愚息を柔術で鍛えてやってくれませんか、と頼み込んだ。
 前田は「柔術は日本人にしか教えないことにしている」と断った。しかしグレイシーが息子のためなら先生の道場のあるベレンに引っ越すとまで言うので引き受けることにした。
 前田光世はカーロスに、喧嘩や暴力行為の禁止のほか、柔術を他人に教えないことを約束させて弟子にした。カーロスはときどき兄弟を連れて道場に来た。末弟のエリオはまだ6歳から8歳で喘息があったので見学していた。
 カーロスは柔術の腕が上がるとともに素行が改まった。ガスタオン・グレーシーは前田光世に感謝した。
 やがてグレーシー一家はサンパウロに引っ越した。1925年、カーロス・グレーシーは「柔術を他人に教えない」という約束を反故にして自分の道場を開き、やがてグレーシー柔術を名乗るようになった。

 The Toughest Man Who Ever Lived 260頁から271頁までの要約。ほかにレスラーとの試合の描写、日本人移民受け入れ事業の話、前田光世の三度目の結婚の話など。
  著者の一人、樗沢憲昭氏の紹介などがhttp://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/600686/
にあり。 

Mitsuo__count_koma__maeda

|

« 前田光世対カンフー | トップページ | 前田光世と大学 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/32844406

この記事へのトラックバック一覧です: 前田光世、グレーシーに柔術を教える:

« 前田光世対カンフー | トップページ | 前田光世と大学 »