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2010年2月22日 (月)

インド独立裏面史(1)

 第二次大戦終了後の英国では、戦争を指導したチャーチルの保守党が選挙に負け、1945年8月にクレメント・アトリーの労働党政権が発足した。
 アトリー首相は、独立後の政体についてインド人の間で合意が成立すればすぐに政権をインドに委譲すると表明した。インドの独立は不可避だった。
 インド内部ではヒンドゥーとムスリムの対立が激化していた。ムハマンド・アリー・ジンナー(1867-1948)のインド・ムスリム連盟はパキスタンの分離独立を求めていた。ヒンドゥーとムスリムの過激派が多くの都市で暴動を起こした。
 宗教対立をおさえるためにガンジーは必死の努力をした。

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(1947年)二月、アトリーは下院で、英国は統一の如何に関わらずインドに政権を委譲する用意があると述べた。三月、政権委譲の指揮を執る総督として、ヴィクトリア女王の曾孫、ルイス・マウントバッテン卿がニューデリーに着任した。六月、新総督は、約千マイル離れた二地域、西パンジャーブ(およびシンド、北西辺境州、バルチスタン)とムスリムが多数を占める東ベンガルがパキスタンとなってインドから分離するか否かについて、立法参事会議員に賛否を問う投票の手続を公布した。折衝を重ねた後、会議派もムスリム連盟も分離に賛成票を投じた。…………
……八月十五日、インドは独立し、同時にパキスタンが誕生した。ガンディーは独立式典に参加しなかった。彼は三十二年の事業が「不名誉な終わり」を迎えたと思った。十月、七十八歳の誕生日の祝賀を述べる人々に、彼はこう言った。「お祝いなど無用です。この際、お悔やみをいただいた方がよいでしょう。……かつては、私が何を言っても民衆はついてきてくれた。今では、私の声に誰一人応えない」
(『ガンディーと使徒たち』p.225-226)

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インド独立式典。中央白い軍服姿がマウントバッテン伯爵。その左がネルー首相。二人の後にマウントバッテン夫人

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