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2010年2月 8日 (月)

明治初期の柔術(1)

 明治初期に多くの柔術師範が藩指南役等の立場を失ったため、柔術は指導されなくなったように言われているが、実際には全国的に地方の村落などで逆に柔術が流行し、娯楽の一種のように受け入れられ大変広まった。特に柔術が盛んだった地方では、一つの村落に幾つもの道場が存在し、集落の若者の大部分が入門していたことが様々な記録に残っている。この時期の奉納額が多くの寺社に残っている。(ウィキペディア)

 ウィキペディアには上のように書いてあるが、本当だろうか。地方の村落などで逆に柔術が流行し? どこの地方?
 柔術は少なくとも東京では廃れていたようだ。

 当時こういう武術をやる人は、相当に残ってはいたが、世間のだいたいからいうと、武術などほとんど省みられない状態であったから、武術は極端に廃れていたといってよい。それ故、武術家は糊口の道にすら困って来て、かの有名なる剣客榊原健吉でさえ、撃剣試合を興行して、木戸銭をおさめて糊口の資となし、ある柔術家は、相撲取と取り組んで木戸銭をあつめたということがあった時代だ。
(p.18)

 嘉納治五郎の言葉なら信じてよいだろう。
 榊原健吉(1830-1894)はものすごく強くて有名な剣客だった。明治27年日清戦争の始まる年まで生きたのだから、さぞ困ったことだろう。

Kyosai_sakakibara_kenkichi_2

「どうもご無沙汰を致しました。しばらく」と御辞儀をする東風君の顔を見ると、先日のごとくやはり奇麗に光っている。頭だけで評すると何か緞帳役者のようにも見えるが、白い小倉の袴のゴワゴワするのを御苦労にも鹿爪らしく穿いているところは榊原健吉の内弟子としか思えない。従って東風君の身体で普通の人間らしいところは肩から腰までの間だけである。「いや暑いのに、よく御出掛だね。さあずっと、こっちへ通りたまえ」と迷亭先生は自分の家らしい挨拶をする。

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コメント

はじめまして。趣味で柔術史を研究しているものです。
たまたまこちらを見つけたのでコメントさせていただきます。

ウィキペディアに書かれていることは概ね事実です。維新後、廃藩置県までは各地の藩校その他で武芸が教えられていましたし、各地の私設道場でも教えられていました。

関東近辺の各地では、埼玉、群馬に起倒流、真神道流、霞新流、気楽流、荒木流、天神真楊流など、茨城には為我流、三和無敵流、浅山一伝流、千葉には戸塚派楊心流、石黒流などの流儀の道場があり、各地の神社に明治以降に掲げられた奉納額や石碑があります。
どの奉納額にも多くの門人名が書かれており、当時の隆盛を物語っています。

また、昭和半ばから埼玉県各地の古武道師範や師範の子孫を訪れ研究された埼玉大学の故山本教授の論文によると、維新直後には入門者が減っているが、その後は盛り返している例がいくつもあったようです。


また中国四国については、明治後期に西進した講道館に対して、不遷流、無双流、竹内流等の各流派が寝技で優位を誇った事実からもわかるように、柔術が衰退したわけでもありませんでした。
関東の師範家子孫と同じく、各地の柔術師範家に明治以降の隆盛の記録が残っています。

東北に関しては、旧仙台藩領農村では一村一流派と言われるほど多くの流派が存在し、現在でもいくつかの流派で継承者が残っておられます。
また、仙台には現在でも古武道にしては盛んな流派に柳生心眼流がありますが、現在の隆盛の元になった柳生心眼流名人、星貞吉は幕末から明治後期にかけて活躍し、多くの弟子を育てました。


まだほかにも実例はありますが、ウィキペディアにあるように全国的な柔術の衰退は大正昭和になってからだと考えて問題ないとおもいます。

投稿: 柔術史アマチュア研究家 | 2010年2月 9日 (火) 14時25分

なるほど。具体的な歴史を見なければいけませんね。明治21年ごろ、警視庁で講道館と千葉の戸塚一門の柔術家が大勝負をしたということを嘉納治五郎も書いているのだから、地方では柔術が盛んに行われていたのでしょうか。しかし嘉納治五郎が「武術が廃れていた」と言うのも、旧幕時代なら講武所教師だった人が骨接ぎで細々と生計を立てていたのだから間違いではないのでしょう。

投稿: 三十郎 | 2010年2月10日 (水) 21時15分

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