« 明治初期の柔術(1) | トップページ | 明治初期の柔術(3) »

2010年2月 9日 (火)

明治初期の柔術(2)

 嘉納治五郎は1860年に生まれ、1873年(明治6年)はじめて親元を離れて東京の芝にある育英義塾という学校の寄宿舎に入った。ここで腕力の強い者にいじめられるので

  日本に柔術というものがあり、それはたとえ非力なものでも大力に勝てる方法であると聞いていたので、ぜひこの柔術を学ぼうと考えた。
(p.12)

 ところが柔術の先生は簡単には見つからなかった。明治10年(1877年)に東京大学が創立され、嘉納治五郎は数え年18歳で入学した。創立というと新しい学校を作ったようだが、嘉納が在学していた東京開成学校が東京大学と名前を変えただけらしい。ともかく嘉納治五郎は東京大学の一期生である。
 この年、整骨(骨接ぎ)は柔術家の仕事だと聞いたので、整骨の看板を掛けている所を訪ねては、柔術をしますかと聞いたが、なかなか柔術家には出会わなかった。あちこち探してようやく天神真楊流の福田八之助を見つけて入門した。福田は元幕府の講武所の柔術教師で維新後は整骨が本業だった。道場は9畳で、門人は毎日来る人が一人、一日おきに来る人が一人、たまに来る人が四、五人だった。

Series14_06_1
18歳ごろの嘉納治五郎

 明治12年に福田八之助が亡くなった。20歳の嘉納が伝書一切と道場を嗣ぐ形になった。しかしまだ一本立ち出来ぬと思ったから、福田の師匠に当たる磯正智に入門した。  
 明治14年(1881年)東京大学文学部を卒業した。専攻は政治学と理財学(経済学)であった。この年に磯正智が亡くなったので、起倒流の飯久保恒年に入門した。
 明治15年、嘉納治五郎は数え年23歳である。五月に講道館を創立した。この年に学習院の教師となった。月給80円だった。生徒はたいてい嘉納より年上だった。4歳上の生徒もいた。

406pxsugata_sanshiro_poster  
   姿三四郎では、三四郎が二十代前半、矢野正五郎は四十代に見える。大河内傳次郎が堂々たる貫禄だ。
 三四郎のモデル、西郷四郎は1866年生まれだった。嘉納より6歳若い。明治15年に17歳で講道館に入門したらしい。

|

« 明治初期の柔術(1) | トップページ | 明治初期の柔術(3) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/33284915

この記事へのトラックバック一覧です: 明治初期の柔術(2):

« 明治初期の柔術(1) | トップページ | 明治初期の柔術(3) »