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2010年2月 2日 (火)

嘉納治五郎の柔術

 嘉納治五郎が明治23年(1890年)31歳のとき、欧州からの帰国船中で力持ちのロシア人士官を投げて見せた話がある。

 このときかのオランダ人とスイス人とが前日自分が話をした柔術の話を思い出して、一つの動議を出した。かねて柔術の話を聞いていたが、どうして投げるのか。この際実演をして見せてほしい、とこういうのである。……
 いよいよ立ちあがると、彼の士官は自分の背に両手を組み合わせ、右に左にねじ倒そうとした。自分は最初一二度それをうけて、適当なはいりこむ機会を狙ったが、やがて機を見て、半ば腰投げ、半ば背負い投げの形で投げ倒した。その時、当たり前ならば頭から落ちるのだが、自分はすばやく手をもって支えて、頭から落ちないように助けてやった。そこで彼は、腰から先に落ちて、怪我がなくてすんだ。
 船中大喝采。この士官も至極悪びれず、ていねいに握手を求めて快くわかれた。その後この人とは上海まで仲よく話し合うて来た。船中はそのことあって以来、人々から一層親しまれ、これまで冷淡にして通りすがりにも見ぬふりをした人々まで、翌日から皆ねんごろに挨拶をするという具合で、大いにもてた。
 ある英人のごときは、自分が相手を助けたのを見て、試合に勝ったことは術であろうが、あの場合敵を助ける余裕を示されたのは感服のほかはないといって賞嘆した。ここに殊に着眼したのは、いかにも眼のある人と見えた。
(p.p. 227-8)

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 嘉納治五郎、強かったのですね。
 明治15年に柔道を創始したのに、ここでは外国人に対して英語では「柔術」と言ったようだ。
 嘉納治五郎自身が「柔道か柔術か」の区別をやかましく言わなかった。
 それに「ジュージツ」の方が外国人に通じやすかった。
 嘉納が1889年に外遊する以前に、すでに柔術家が渡欧していたのではないだろうか。この柔術家に習っていたから、シャーロック・ホームズは1891年5月4日、ライヘンバッハの滝から生還できたのか?

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